【独自】泥岩層から出土した大伽耶初の「大王」の痕跡…1500年の謎を解くか : 文化 : ハンギョレ新聞 (hani.co.kr)「大伽耶は、約1500年前に慶尚道西部と全羅道東部にかけて繁栄し、新羅と競合した強力な小国家だった。大伽耶の人々が最高首長を当時の新羅のように「大王 ...
カテゴリ:秦氏研究いろいろ > 秦王国の考古学
広隆寺の謎 2 北野廃寺は広隆寺前身ではない
昨日の記事で、考古学が北野廃寺を広隆寺の創建と見ることを書いた。それは昨今、定説化したかに見えるが、さて?それでいいのだろうか?この説の提唱者は考古学者の田辺昭三である。彼は北野平野神社近くで出た北野廃寺跡遺跡こそが太秦の広隆寺の前身だと信じて疑わな ...
丁勝巻手一家の戸籍
にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・古代史へ豊前国豊津に居住していた記録が残る丁勝(ちょうのすぐり?ていのかつ?)一家の戸籍。http://docs.google.com/viewer?a=v&q=cache:2UTHrnT_AH0J:teapot.lib.ocha.ac.jp/ocha/bitstream/10083/33699/1/5_06.pdf+%E4%B8%81%E5%8B% ...
呰見(あざみ)大塚古墳 2 ・鳳文環頭柄と箕田(みだ)丸山古墳
にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・古代史へ呰見(あざみ)大塚古墳から西北へすこしゆくと、豊前では綾塚・橘塚方墳のある勝山黒田地区にぶつかる。黒田の隣に箕田(みだ)地区があって、なんということもない農村だが、立派な前方後円墳が二基もある。ひとつは扇神社古墳 ...
秦王国の装飾円墳初発見・みやこ町呰見大塚古墳 1
にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・古代史へ「秦王国」有力比定地である豊前国地域には、これまで民衆横穴墓はいくつも出ているが、円墳(6世紀後半)に装飾壁画を持つものは発見されていなかった。今回は、みやこ町というかつての豊前国府があった場所で、奈良時代には秦 ...
中津市上ノ原遺跡内長者屋敷官衙遺跡国指定遺跡へ
■奈良時代から平安時代の官衙・国史跡へ答申 国の文化審議会が文部科学相に答申した20日、県内では中津市永添の長者屋敷官衙(ちょうじゃやしきかんが)遺跡が国指定史跡として答申された。登録されれば県内の国指定史跡は39件目。■「中津市が一九九六年から取り組んで ...
装飾壁画共栄圏試論 3秦氏と線刻がなぜか蘇我氏の謎を解く !
装飾古墳の分布の謎を解くにはどうしても船が使える氏族がいる必要がある。なぜなら、装飾古墳、線刻古墳は鳥取や出雲、香川どころか大阪、福島、茨城、東北にまで存在しているからだ。これだけの広範囲に装飾葬送が広まるには、実際に九州にまで葬儀を見に来たか、九州人が ...
装飾壁画共栄圏試論 2
これまでKawakatuがこのブログで調査してきた九州の装飾古墳に関わる氏族は以下のとおりである。九州の日下部氏に関するKawakatuの諸論考http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/MYBLOG/yblog.html?m=lc&sv=%C6%FC%B2%BC%C9%F4%BB%E1&sk=1九州の的臣に関するKawakatuの諸論 ...
装飾壁画共栄圏試論
これはまだ九州北部と瀬戸内・日本海とに限った分析であるが、5世紀から6世紀かけてほぼ同時代(倭五王時代)に、豊前上毛郡の穴ヶ葉山古墳群を中心として、線刻画を持つ人々と、円文を持つ人々のすみわけと共栄があったらしき痕跡を証明しようとする試論である。論拠とし ...
豊前の出土している渡来系土器と秦氏
以前の記事で竹並横穴墓群を「秦氏のいた場所ではないだろう」と書いてしまったが、実際には確かに一部横穴様式には隼人系のものがあるとしても、同時に多くの渡来系土器が出土している。横穴墓であるから渡来系とは行っても実務を行う秦の民=秦部の使った土器であろうかと ...
墳丘のある横穴墓・竹並G、上ノ原など
豊前から筑豊の田川郡にかけて「墳丘を持つ横穴墓」という過渡期的な特殊墳墓が見られる。最古のI期のものが大分県中津市の上ノ原横穴墓群から4基見つかっており、その後も民衆墓であるはずの各地の横穴墓群の中に何基かずつ発見されている。Ⅰ期大分県中津市上ノ原横穴墓群 ...
稲堂古墳群と帆立貝型石並古墳
稲堂古墳群(いなどう・こふんぐん)豊前国北部旧仲津郡南部の海岸線に集中する円墳群。石並古墳同じく豊前国の稲堂古墳群のやや南に位置する帆立貝型前方後円墳。海岸線に作られた古墳はこのほかに行橋市北部の苅田(かんだ)町に御所山古墳、石塚山古墳、番塚古墳、木ノ元 ...
蛇行剣と行橋市竹並横穴墓群
■蛇行剣 だこう・けん祭祀用の曲がりくねった形状の鉄剣。日本各地で出土例あるが、その数はきわめて少ない。隼人祭祀者、有力者だけが持つとも考えられている。 「(長野県諏訪市)のフネ古墳は、昭和34年、農耕中発見された古墳で、守屋山山麓の丘陵上にあり、地籍は諏 ...
豊前地域出土6世紀周辺遺物
次回は稲童古墳群、豊前渡来部族割合一覧、五所ヶ谷神護石などの予定奈良の大仏建立とともに衰退する豊前北部。香春の銅とともし栄えた豊前国、その栄華盛衰と渡来秦の民、そして中央から来ていた官衙たちの泣き笑いが見えたらご喝采。面白いと思ったらクリックよろしく!↓I ...
九州北部の官道図
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京都郡の遺跡分布図、古墳位置など
画像参照「豊前地域の横穴墓」「稲童古墳群展 倭王に仕えた武人の実像」「古墳から寺院へ 椿市廃寺とその時代」など面白いと思ったらクリックよろしく!↓If you feel this article if interesting, please make a ranking click. I ask! ↓ ↓ ...
丁里は京都郡勝山から豊津にあった・勝山黒田
以前ここで勝山地名渡来由来を考察したことを覚えている方もおられよう。http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/50082616.html豊前にも旧仲津郡、今の京都(みやこ)郡勝山町がある。そこは豊前国秦氏管理者が最初に集結した場所であろうかという証拠として、二つの大古墳 ...
秦王国特定
聖徳太子の「日出る處の天子」の親書を持っていった小野妹子は中国皇帝煬帝の使者である裴世清(はい・せいせい、記事には裴清と表現)とともに日本に帰還してくる。船は当然筑紫国を経て穴門(関門海峡)を通り抜け瀬戸内に入るのだが、そのときおそらく妹子が言ったのだろ ...
陰陽石・佐用の神・米神山経石ストーンサークルなど
陰陽石を探して今日、大分県庄内町の星山まで上がったが、道路整備中で山道をいけなくなった。いずれはいきたい。星の山とは修験道の妙見思想と大いに関係があるだろうと思う。宇佐市安心院町の米神山メンヒルはかなり有名である。著書にも書いたが、これらの立石や山頂のス ...
豊前秦氏推定居住地
旧企求(きく)郡北九州市和布刈神社荒神森古墳(小倉南区) 円光寺古墳(小倉南区) 丸山古墳(小倉南区) 上ん山古墳(小倉南区) 茶毘志山古墳(小倉南区) 御座古墳群(小倉南区) 日明一本松塚古墳(小倉北区) 京都郡豊津町豊前国分寺三重塔 彦徳甲塚古墳川の上遺跡 豊 ...
登美鎮・絹富名・金富神社・大富神社・矢幡神社
■登美鎮登美の鎮守という意味で、おそらく奈良時代の国衙であろう。この登美を吉富町に当てる説が今のところ多いようだが、築上郡の築城町旧国道沿いにある金富八幡宮が、かつて矢に関わる矢幡を元の社名としており、広嗣の乱の際、この近くに武器庫を置いていた可能性があ ...
中津市上ノ原遺跡(うえのはる・いせき)と渡来人
■佐知平原地区丘陵内林道沿いの神護石(朝鮮式山城の石垣跡)大分県中津市上ノ原(うえのはる)遺跡写真は中津市三光村全景。このすべてが遺跡である。2009年までに発掘された大分県の遺跡 5,688ヶ所のうち最大数の遺跡集中地帯。福岡県の渡来人密集地であった旧豊前国 ...
正倉院文書・豊前戸籍記録の秦氏
「正倉院文書」大宝2年(702)残簡戸籍(最古)■仲津郡丁里(行橋の一部、豊津、犀川に当たる)秦部 239戸、丁 勝(かつ) 51戸、狭度勝(さわたり・かつ) 45戸、川辺勝 33戸、古溝勝 15戸、大屋勝 10、高屋勝 3戸、阿射彌勝 1戸、黒田勝 1戸、門勝 1戸、 ...
豊前秦氏と鉱脈の遺跡を巡る
旅に出ていた。豊前国中央部。豊前市、吉富町、大平村、中津市、宇佐市、宇佐市院内町、宇佐市安心院町の装飾古墳群を総まくりで集中的に巡ってきた。(詳細紀行と各古墳画像・検証は後日「かわかつワールド」で)廻った古墳群は宇佐市四日市古墳群一鬼手(いちきて)支群お ...




















