「はた」についてもう少し書いてみたい。「はたち」は二十歳をいう言葉だが、はたーちと解析できる。なぜ二十歳が「はたち」と言われているか?「はた」は多いという意味の朝鮮語だとも言う。では接尾の「ち」は何か?「みずーち」の「ち」は、霊魂を指す。「ち」は血で ...
カテゴリ: 秦氏研究いろいろ
国宝桂宮院・八角円堂とは
With2ブログランキングへ■桂宮院八角円堂 けいきゅういん・はっかくえんどう「(広隆寺境内)上宮王院太子殿の西、境内西北隅に桂宮院がある。聖徳太子が楓別宮を起こした場所と伝えられ、現在は広隆寺の奥の院にあたる。建長3年(1251)以前の建物で国宝。法隆寺夢殿に ...
摩多羅神 用語解説 動画付き
●引声(漢音いんぜい(天)、呉音いんじょう(浄)) 日本音楽の用語。 (1) 天台声明における演奏形式の一種。主として序曲といわれる非拍節リズムの曲にはテンポや墨譜1つずつの旋律の長短によって長音 (ちょういん) ,引声,短声,切音 (きりごえ) などの分類があるが,引声 ...
依智秦氏
滋賀 トレジャーナビ http://www.maff.go.jp/kinki/seibi/midori/cultureagri/treasure/shiga/shiga032.html依智秦氏の里 古墳公園(えちはたしのさと こふんこうえん) 所在地 :滋賀県愛知郡秦荘町(現・愛庄あいしょう町)上蚊野地先 依智秦氏の里 古墳公園 愛知 ...
弥生時代から秦氏はいた。日本史は持統から始まった。
弥生時代から秦氏はいた。宇治に。宇治の「池山古墳」、古墳の痕跡見つからず 墓地の可能性、名称変更を京都府に提案へ古墳だと思っていたら中世の墓地だったという記事が考古学ニュースに出ている。この宇治の墓地のあるのは、往古、巨椋池があった低湿地帯である。し ...
全国原発所在地の確実性の高い秦氏渡来伝承と遺跡
日本の原子力発電所一覧 日本の原子力発電所 ・柏崎刈羽原子力 1~7号新潟県柏崎市青山町16-46 旧国名 越中国古志郡(平安・三嶋郡)刈羽郡刈羽村 ※地名青山は墓所、三嶋は瀬戸内、刈羽は鉱山と祭祀の地名・東海 第一茨城県那珂郡東海村白 ...
秦氏と継体大王の関係/若狭・近江秦氏と原発乱立地帯若狭湾・敦賀半島の因果関係の謎
滋賀県高島市と福井県美浜町の秦氏について(水谷千秋『継体天皇と朝鮮半島の謎』2013 より)近江国高島郡三尾(みお)郷の南市東(みなみいちひがし)遺跡・下五反田(しもごたんだ)遺跡に渡来人の痕跡が出土している。これは継体大王の母方出自となる三尾氏となる人々のもの ...
ケルティック・クランと秦氏 序章
この記事は「友だち公開」設定しています。一般読者には読めません。 「無謀にも」と書いた理由は、ケルトと秦氏では、地域も年代もかけはなれた両氏族ゆえであるが、意外に両者には共通点は多い。ともに茫洋としてつかみどころがなく、あまりに多様な血脈の混入が ...
ケルトと秦氏 エントリー一覧
無謀だがこれからケルトと秦氏を比較する。目次 1 首狩り2 渦巻き3 精銅4 トルコ5 陸のケルト、海のケルト6 商売繁盛 順不同 記事はすべて一般公開しない。友だち公開で。 来年春ごろ、このブログはたぶん100万アクセスを達成するはず ...
秦氏と氏族同族化 神社の謎を解明する
押せば順位がひとつあがります ↓ ↓With2ブログランキングへ★すべて「断定はしない」と断っておく。◆松尾大社由来『本朝月令』松尾祭事所引『秦氏本系帳』逸文「秦氏本系帳に云く。正一位勲一等松尾大社の御社は、筑紫胸形に坐す中部大神なり。戌辰年(天智 ...
稲荷と園韓
前記事で見てきたように京都の秦氏の祭る神社には秦氏オリジナルの神というものが祭られていないようだ。それらの祭祀の形態は先住氏族のもとからそこにあったものの取り込み、ほかの地域の神の勘定の二種類があった。では先に大荒神=大地母神だと分析した伏見稲荷の「うか ...
ハタの民とは
「ハタ」の氏族を、古代の日本人はどう捉えていたかというと、「波多」「はだ」の人である。「はた」「はだ」とはなにかと言えば、浪を越えてやってきた帰化人のすべてである。ヤマトの葛城山山麓には、もともと弥生時代から葛城の民が住まっており、彼らと久米・阿曇・隼人 ...
黄牛(あめうし)と新羅神・アメノヒボコ、多遅麻毛理と非時香菓と秦氏
ここでは遠回りな解説はしない。ずばり、黄色い牛とは生贄である。殺牛殺神を思い出していただきたい。黄色とは新羅道教でも、中国道教でも=土。大地である。あの生贄は雨乞い儀式での生贄であるから「あめうし」なのである。(大分県竹田市に黄牛の滝がある。滝 ...
秦氏はいつごろ嵯峨野に入ったか?
京都市内には縄文遺跡はもちろん、弥生。古墳時代の遺跡や大古墳もちゃんと存在する。で、京都市内の遺跡一覧を検索してみて、すぐに分布図くらい出てくるだろうと思っていた。ところがヒットしたのは筆者が添付した縄文遺跡分布図だけだった・・・。 PDFでもヒットし ...
蘇我氏と秦氏/深草秦氏と馬と産業
『古語拾遺』長谷朝倉朝条「長谷朝倉の朝に至りて、秦氏分け散(あら)けて、他族に寄り隷(つ)きき。(中略)此より後、諸国の貢調、年々に盈(み)ち溢(あふ)れき。更に大蔵を立てて、蘇我満智宿祢をして三蔵[斎蔵・内蔵・大蔵]を検校せしめ、秦氏をして其の ...
渡来人としての秦氏まとめ 京都移住は弥生時代中期
上田正昭が考える「渡来の画期」とは、次の四段階になっている。 Ⅰ 弥生時代前後(前3~後3世紀の間?なお、筆者は縄文時代中期~後期から渡来は始まっているとみる)Ⅱ 応神・仁徳を中心とするの五世紀の前後Ⅲ 雄略朝を中核とする五世紀後半から六世紀前 ...
秦氏本系帳逸文全文
◆本系帳とは奈良時代後期以降、各氏族に造進させた氏族系譜。761年のものが最も早い。799年のものは814年に「新撰姓氏録(しようじろく)」としてまとめられた。「秦氏本系帳(はたうじ・ほんけいちょう)」はその中の秦氏(はたうじ)の作ったもの。原書は残っておら ...
秦河勝の葛野大堰を推理復元する/愛媛県古照遺跡の堰から
With2ブログランキングへ◆江戸時代までの堰と現代の堰・その種類往古の堰(せき)にはいくつかの工法がある。河口に設置する河口堰や海浜の堰は、諫早湾や長良川河口堰が、地元の反対などで話題になったので有名である。また河川の中流域ややや上流の広く浅いところに ...
嵯峨野紅葉 葛野・太秦・鴨氏と秦氏・秦氏と機織・かばね
With2ブログランキングへ嵯峨野平野屋鮎茶屋の紅葉http://www.flickr.com/photos/nobuflickr/2116563195/◆葛野郷(加度乃)Kadono or Kazuno葛野郡(かどののこおり・かどのぐん)は山城国、京都府にかつて存在した郡である。古代に隣接する愛宕郡とともに郡域の一部 ...
秦氏はイスラエルから来ていない、来たとすれば鴨氏だ
With2ブログランキングへ古代イスラエル式の渦巻状(まいまいず)井戸◆井戸様式・石材・仮名遣いから見た「いさら井」福井県一乗谷で復元した井戸。井桁を備え、つるべと桶で使用する。これは江戸時代の井戸吉製作の復元井戸である。●井戸吉とは?伝説では、井戸吉と ...
秦氏といさら井/いさらいとは「おいど」=尻の民衆駄洒落
いさらい ゐさらひ 【▼尻/▼臀】〔「いざらい」とも〕しり。[名義抄]三省堂大辞林http://www.weblio.jp/content/%E3%81%84%E3%81%95%E3%82%89%E3%81%84「いさらい」は尻であるそうな。With2ブログランキングへ語尾の「い」を井戸の「井」にして検索すると京都太秦・ ...
なぜ稲荷神社に狐が祭られるのか?
夏休みなので、既存の解読記事をお子様向け・初心者向けにしてみたい。With2ブログランキングへ●ヒントはおおさき・おおさけ各地にある「大崎地名は「おおさけ」でオオカミ、犬、キツネを表す。つまり稲荷信仰の民間伝説地名である。またそれは「大辟」でもあって、秦 ...
ハタの民とは
「ハタ」の氏族を、古代の日本人はどう捉えていたかというと、「波多」「はだ」の人である。「はた」「はだ」とはなにかと言えば、浪を越えてやってきた帰化人のすべてである。ヤマトの葛城山山麓には、もともと弥生時代から葛城の民が住まっており、彼らと久米・阿曇・隼人 ...
稲荷と園韓
前記事で見てきたように京都の秦氏の祭る神社には秦氏オリジナルの神というものが祭られていないようだ。それらの祭祀の形態は先住氏族のもとからそこにあったものの取り込み、ほかの地域の神の勘定の二種類があった。では先に大荒神=大地母神だと分析した伏見稲荷の「うか ...
秦氏と氏族同族化 神社の謎を解明する
押せば順位がひとつあがります ↓ ↓With2ブログランキングへ★すべて「断定はしない」と断っておく。◆松尾大社由来『本朝月令』松尾祭事所引『秦氏本系帳』逸文「秦氏本系帳に云く。正一位勲一等松尾大社の御社は、筑紫胸形に坐す中部大神なり。戌辰年(天智 ...
秦氏研究に欠かせない15の図説資料
筆者事情により秦氏研究とこのブログをいずれ休止せねばならなくなるだろうから、そうなるとあと10年はネット活動もどうなるかわからない。それでその間にほかの好事家や在野研究者、学生論文用に図説資料を。With2ブログランキングへ1 全国古代秦人分布図図1畿内 ...
秦河勝坂越伝説とは 『風姿花伝』の河勝
押せば順位がひとつあがります ↓ ↓With2ブログランキングへ↑ ↑ ↑amariomosirokuhaarimasenn秦河勝坂越伝説とは◆『風姿花伝』に登場する秦河勝●序 「それ、申楽(さるがく)延年の事わざ、その源を尋ぬるに、あるひは仏在所より起り、あるひは神代 ...
秦氏人名一覧 木簡と文献記録から
奈良時代の日本の人口が推定440万~590万人(鎌田元一)、多くて約700万人ほどの時代に秦氏関連者の人口は推定17万人とされている。日本最大の氏族が秦氏である。(水谷千秋)With2ブログランキングへ秦氏一覧◆考古学から■平城宮出土木簡に書き残された間 ...
欽明の夢・秦大津父・安閑・宣化・二匹のオオカミ・阿蘇氏
押せば順位がひとつあがります ↓ ↓With2ブログランキングへ↑ ↑ ↑欽明天皇の夢■「風姿花伝」神儀篇欽明天皇の御宇に、大和国泊瀬の川に洪水の折節、川上より一つの壺流れ下る。……中にみどり子あり。かたち柔和にして玉のごとし。これ降人(ふりび ...























