ただいま、過去記事の中から抜粋して文章や画像を見やすく書き直す作業中です。重複記事になりますが、読みやすくしてあるつもりですので、もう一度ご覧ください。筆者Kawakatu弥生時代から秦氏はいた。宇治に。宇治の「池山古墳」、古墳の痕跡見つからず 墓地の可能性、名 ...
カテゴリ: 秦氏研究いろいろ
大伽耶王は大王と自称?/秦氏と葛城氏は金官伽耶の王の一人
【独自】泥岩層から出土した大伽耶初の「大王」の痕跡…1500年の謎を解くか : 文化 : ハンギョレ新聞 (hani.co.kr)「大伽耶は、約1500年前に慶尚道西部と全羅道東部にかけて繁栄し、新羅と競合した強力な小国家だった。大伽耶の人々が最高首長を当時の新羅のように「大王 ...
京都ディープ全編5・6・7+広隆寺の謎1
京都ディープ5 五条松原道祖神社、双体道祖神とは何か?2018年07月09日 13:08京都に道祖神は多い。有名なのは神社になっていて、下京区には二箇所ある。ひとつは京都駅すぐ西の塩小路堀川角にある道祖神社、もうひとつは松原通りにある松原道祖神社。松原道祖神社松原道祖 ...
みづらからユダヤ人渡来説を考える・ユダヤ人埴輪の年代測定をせよ
千葉県芝山古墳出土埴輪明治の日ユ同祖論者が捏造して埋めた可能性が高い。スコットランド人ニコラス・マクラウドが最初に唱えた日ユ同祖論は日本人では英語教師・佐伯好郎や牧師の川守田英字らによって広められたが、軍部にいて最初はナチスのユダヤ排除に賛同していた酒 ...
一言主は高鴨神の後戸神とは?
後ろ戸(うしろど、うらど)とは、どの辞書も言わない筆者独特の考えでは「ある氏族の裏側(家臣のまた家臣の末端にいた被差別の民人)が祭った神で、氏族の祖人とも言うべき主祭神の裏側にあって、主祭神を護る守護神となりつつ、氏族の敵となった神と人を恨み、祟り、食らう ...
秦氏の考古学カテゴリートップページ 正倉院文書・豊前戸籍記録の秦氏再掲載
カテゴリ:秦氏研究いろいろ > 秦王国の考古学トップページ秦王国の考古学 : 民族学伝承ひろいあげ辞典 (blog.jp)正倉院文書・豊前戸籍記録の秦氏2009年10月23日 08:05「正倉院文書」大宝2年(702)残簡戸籍(最古)■仲津郡丁里(行橋の一部、豊津、犀川に当たる)秦 ...
安倍晴明『簠簋内伝』と渡来の民 「ほき」とは何か? 老子
2016年05月22日 08:15「簠簋(ほき)内伝」は陰陽道の書として有名。内容は主に安部晴明伝説である。ほき【簠簋】正式名称『三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集(さんごくそうでん/いんようかんかつ/ほきないでん/きんうぎょくと/しゅう)』は、1 安倍晴明が編纂したと伝承 ...
豆腐・油そして油揚げ 歴史で東西の流れが見えてきた
前回は油揚げの形状の東西の違いを考えた。その中からでは豆腐自体に違いがあったのではないかという疑問が新たに生じた。すると豆腐だけでなく、油を食用とする時代まで考えねばならないことに気づいた。ざっと書く。小難しい引用などははしょる。まず豆腐。豆腐が日本に来 ...
きつねうどんのお揚げ、なぜ東西に違いがあるか?
にほんブログ村きつねうどんには揚げが乗っている。ところが関東では四角で、関西以西では三角だ。これはなぜ?油揚げ自体は尾張名古屋で発祥したそうだ。まずは江戸の寿司屋がこれを甘辛く炊いたもので作ったものに酢飯を詰めて売り歩く「稲荷寿司」の原型が生まれたことと ...
織田信長と津島神社明智光秀と岐阜船木氏、天海は船木氏出身
簡単に書こう。織田家にはもうひとつ愛知で尊崇する神社がある。愛知県の津島神社(津島牛頭天王社)である。祭神はもちろんスサノオで、ご神文は木瓜である。(もっとも、信長はほかにも6つも家紋を持っていたが)ここは信長以前の父親から続く尊崇。この「つしま」は対馬に由 ...
上宮一族は虚像か?
聖徳太子がイメージでしかないのなら、子孫などいるはずがない。とか、あなた、考えることありますか?『日本書紀』記述が、藤原氏摂政の正当化のために書かれているとするならば、当然蘇我氏を最悪に描き、蝦夷も入鹿も、最低に描いて当然。そもそも、一巳の変などあったの ...
なぜ秦河勝は祟り神なのか?
坂越(さこし)の大辟(おおさけ)神社や、世阿弥「風姿花伝(花伝書)」には「河勝は祟る鬼」という伝承が記録されている。なぜ河勝は祟るのか?それは河勝が蘇我氏に組した闇の暗殺者で、歴史の闇である障礙神 (しょうぎじん=マハーカーラのごとき宿神=後戸の神=影のフィク ...
秦河勝は坂越へ本当に行ったのか?
秦河勝坂越伝承についての疑義シリーズ。秦河勝(はたのかわかつ)が兵庫県の坂越へ逃げたという伝承が坂越の大辟(おおさけ)神社には存在する。その時代は、蘇我入鹿が実質的王権ともいえるようになるときから一巳の変の間だと言われる。いわゆる「入鹿の乱」を逃れて=避けて ...
蔚山なの?蔚珍なの?どっちなの?秦氏出身地
https://koreancastle.com/korea/byeongyeongseong/ 蔚山左兵営城" ●蔚珍郡もともと北の蔚珍、南の平海に2つの行政官が置かれていた。現在の蔚珍郡の枠組みができたのは植民地時代に規模の小さな両郡が統合されて以降である。 古代には高句麗と新羅が争奪した。 朝鮮王 ...
太秦地名の謎は簡単明瞭 地名+官位 太秦は朝鮮語発音で「うじゅまさ」
広隆寺の謎 5 ですでに書いたが、太秦由来だけを切り取って書き足し、再度貼り付けておきたい。検索を意識しての再掲載ですので特にナイスは無用です。「うずまさ」とは、うづたかく献上物を差し出したから拝領したというのが文献にあるが、定かではなく、「うつ」と ...
広隆寺の謎 5 蛇塚古墳は前方後円墳 太秦=蔚山の王
予備知識として一つ前に過去記事「京都葛野郡太秦の古墳一覧」記事を再掲載してあります。太秦広隆寺のちょうど北側におどろおどろしい古墳がある。https://kyoto-option.com/blog/hebiduka-tumulus/蛇塚古墳(へびづか・こふん)という。盛り土のすべてが長い年月と伏見地 ...
秦氏本拠地・葛野郡の古墳群一覧
葛野(かどの)郡は大正時代に衣笠村が京都市上京区に編入。 朱雀野村・大内村・七条村、西院村の一部が京都市下京区に編入。 昭和6年に嵯峨町・花園村・西院村・太秦村・梅ヶ畑村・梅津村・京極村・松尾村・桂村・川岡村が京都市に編入。などしている。http://ja.wikipedia ...
広隆寺の謎 4 いさらゐ 牛祭 修験道
いさら井 (いさらい) 京都市右京区太秦蜂岡町 (市バス:太秦開町 嵐電線:太秦広隆寺駅) 「【日猶同祖論】という摩訶不思議な説が存在する。かいつまんで言うと、日本人とユダヤ人とは祖先が同じである、日本人の祖先は“消えたイスラエル十部族”の末裔である ...
広隆寺の謎 3 では九条荒見社とはいったいどこなのか?
平安京条里の再現プロジェクトは昭和のはじめに、建築史の福山敏男が手がけ、田辺昭三や中村修也が信じ込んだ、「平野そばに九条も五条もあった」意見のきっかけになった。しかし福山の書いているのは、五条荒蒔は紙屋川(天神川・荒見川)によって北にある今の太秦広隆寺 ...
広隆寺の謎 2 北野廃寺は広隆寺前身ではない
昨日の記事で、考古学が北野廃寺を広隆寺の創建と見ることを書いた。それは昨今、定説化したかに見えるが、さて?それでいいのだろうか?この説の提唱者は考古学者の田辺昭三である。彼は北野平野神社近くで出た北野廃寺跡遺跡こそが太秦の広隆寺の前身だと信じて疑わな ...
京都学・平安京千本六角堂へそ石の謎・秦河勝邸宅はいずこ
◆京都の要石「六角堂へそ石」 「多くの人や車が行き交う烏丸通から六角通を東に入る。間もなく現れる山門の奥に、静かな境内が広がる。ハトが群れをなし、せせらぎの音が心地よく響く。中央に建つ重厚な六角形の本堂が六角堂で、そのまま寺の愛称になった。 正式な名称は ...
秦氏「弓月君」の由来解明
これまで秦氏の伝説上の祖神である弓月君(ゆつきのきみ、ゆんずのきみ)についてはいくつかの自説を書き並べてきたが、筆者自身、いまひとつ納得がいかないところもあった。今回、かなり納得できる説が見つかったので書き留めておく。弓月を、これまでは月読神=王家、太 ...
葛野大堰と巴蜀の都江堰 秦氏本系帳が語る秦氏の実態 京都は日本人のふるさとは大間違い
現在の桂川渡月橋の堰。これは段差施設だけで、本来の大堰施設ではまったくない。大堰のスケールはもっと巨大で勇壮である。「京都嵐山を流れている「大堰川(おおいがわ)」は、丹波山地の大悲山付近に源を発する川ですが、嵐山の付近では「大堰川」と呼ばれています。 ...
比売許曾=卑弥呼説は成立するか? 延烏郎と細烏女,阿加流比売とヒボコ
比売許曾神とアメノヒボコ・ツヌガアラシトの移動コース図結論 成立しない理由 伽耶滅亡による逃亡譚である限り、この伝説は4世紀を遡らない。 この伝承は新羅統一によって渡来した半島諸国の渡来工人(姫)とその為政者(ヒボコら)の別途の来訪を描いており、ちょ ...
安部晴明『ほき内伝』簠簋内伝と渡来の民 その1 「ほき」とは何か?老子
「簠簋(ほき)内伝」は陰陽道の書として有名。内容は主に安部晴明伝説である。ほき【簠簋】正式名称『三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集(さんごくそうでん/いんようかんかつ/ほきないでん/きんうぎょくと/しゅう)』は、1 安倍晴明が編纂したと伝承される占いの専門 ...
秦氏研究再論/傀儡と細男舞と西宮えびすの百太夫社信仰
西宮神社と言えば「えべっさん」「笹持って来い」「開門一番乗り競争」などで知られた商売繁盛の神様だ。しかしこの境内になぜか人形芝居に関係する「百太夫社」が存在する。百太夫(ひゃくたゆう)と言うと最古は大分県宇佐市の宇佐神宮そばにある百体社が有名で、「ひゃ ...
播磨国風土記と秦氏再研究 その1 鉄の日本史
播磨の鉄『播磨国風土記』宍禾(しさわ)郡柏野里敷草村条 現・宍粟(しそう)市千種町「草を敷きて神の座と為しき。故に敷草といふ。此の村に山あり。南方に去ること十里ばかり、二町ばかりの沢あり。此の沢に菅生じ、笠に最も好し。檜・杉・栗、黄蓮・黒葛生ふ。鉄を ...
秦氏一覧再掲載と松尾大山咋神について
秦氏一覧◆考古学から■平城宮出土木簡に書き残された間違いなく実在確定の秦姓の人木簡1 (表)播磨国赤穂郡大原□ (裏)五保秦酒虫赤米五斗 木簡2 (表)赤穂郡大原郷 秦造吉備人丁二斗 秦造小奈戸三丁斗 (裏)□庸一俵 木簡3 (表)赤穂郡大原郷 戸主秦 ...
秦氏と三角縁神獣鏡・笠松と黄幢と「はた」
「三角縁神獣鏡はいくつかの共通した特徴、規範をもっている。一、面径が平均22.3センチメートルで、20~25センチメートル内に大半の鏡が入ることから、大きさが均一で中国鏡の中では大型鏡に属する。二、鏡背の内区に東大父や西大母(ママ。東王父・西王母)などの神仙と ...
はたち、はつか 「はた」「はな」語源についてもう少し
「はた」についてもう少し書いてみたい。「はたち」は二十歳をいう言葉だが、はたーちと解析できる。なぜ二十歳が「はたち」と言われているか?「はた」は多いという意味の朝鮮語だとも言う。では接尾の「ち」は何か?「みずーち」の「ち」は、霊魂を指す。「ち」は血で ...























