民族学伝承ひろいあげ辞典

脳梗塞男の料理とエッセイ、ときどき爆笑、ときどき不満爆発? 著書『秦氏が祭る神の国・その謎』2005年  1955年大分市生、京都育ち。 脳梗塞、高脂血圧、緑内障、糖尿病と闘病中。

カテゴリ:記紀異説・神話分析 > 律令日本を創った男藤原不比等考

6 大化の改新と摂津三嶋の有力者  2007年12月21日(金)13時33分47秒編集済 藤原鎌足が乙巳の変(大化の改新前の事件)を実行する前に摂津の三島郡に隠棲していたことは前にも書きましたが、鎌足は以前から入鹿誅殺を画策していたらしく、三島隠棲の間に実に様々な人物と ...

経津主神の後裔と伝える氏族 「経津主神を遠祖とする氏に関しては、歴代をあげる系図を伝えるのは下総の香取連くらいです。その本拠地・香取郡が東南隣の匝瑳(そうさ)郡と西北隣の信太(しのだ)郡に挟まれており、前者の物部匝瑳連も後者の物部志太連(信太連)も共に物部小 ...

sikanosimajinnja 前の記事にある「鹿の島の神」とは福岡県の志賀島神社のことになるが、それを筑後に勘定して高良大社がある。ここは武内宿禰を祭ってある。これすなわち中臣氏の祭るところ。なぜそうするかと言えば、『日本書紀』に藤原氏は筑紫国造磐井が継体大王によっ ...

岸俊男『日本古代政治史研究』所収「たまきはる内の朝臣―建内宿禰伝承成立試論―」について日本がまだ戦後まもなくで、イデオロギーが一時的に敗戦思想となった右から左へ、一気に偏った時代だった。それでも日本の史学世界には、まだまだ戦前の皇国史観や、天皇を中心の、 ...

にほんブログ村弓削の道鏡は、藤原氏が恵美押勝の乱で実権をなくした一時期に、突如称徳女帝の愛人として宮中に出現する。すると同時に、土佐に葛城の神だとする土佐大神が祀られた。この神は葛城一言主であり、アジスキタカヒコネであるとされた。祀ったのは秦忌寸石勝(はだ ...

にほんブログ村にほんブログ村大山誠一は『神話と天皇』の最後に、武内宿禰は中臣鎌足のモデルであるとしている。これまで、武内宿禰は「内臣(うちつおみ)」の代表であり、史学では、そのモデルは蘇我馬子ではないかとされてきた経緯がある。内臣とは宰相であり、古代では摂 ...

「近江は、『古事記』では「近淡海(ちかつあはうみ)」「淡海(あはうみ)」と記されている。7世紀、飛鳥京から藤原宮期の遺跡から見つかった木簡の中には、「淡海」と読めそうな字のほか、「近淡」や「近水海」という語が見えるものがある。「近淡」はこの後にも字が続いて ...

一巳の変かつて645年は大化の改新と教えられていた。おかしいことなのはすぐわかる。律令による政治・法律の改新と、クーデターで蘇我氏が滅んだことは別の事柄である。645年は蘇我本家が殺された年であり、大化の改新が行われたのは翌年の646年である。したがって今の教 ...

「藤原不比等は、天智天皇から藤原氏の姓を賜った藤原鎌足の子である。文武天皇2年(698年)には、不比等の子孫のみが藤原姓を名乗り、太政官の官職に就くことができるとされた。不比等の従兄弟たちは、鎌足の元の姓である中臣朝臣姓とされ、神祇官として祭祀のみを担当 ...

さて大山誠一『神話と天皇』を題材にした今回の分析もいよいよ大団円を迎える。大山誠一の勘違いを最後に。『日本書紀』の天孫神話が、現実の持統天皇王朝の正当性、天皇の正当性のために造作された観念だと言う大山の説は正しい。そこに齟齬はない。しかし前の記事にも ...

http://syoki-kaimei.blog.so-net.ne.jp/index/7「1998年に奈良国立文化財研究所が、飛鳥池遺跡から出土した木簡の中に、「天皇」の語が墨書きされたものがあると発表した。この木簡は飛鳥池遺跡の北地区の、持統朝を下限とした溝のさらに下層から出土しており、同じ ...

『日本書紀』壬申の乱の行程671年     郭務悰ら唐の使者来朝、軍隊の援助を要求。12月3日天智天皇死去。         大友皇子、唐援軍を決定。672年(壬申) 大海人皇子=天武は天智の死の直前から吉野に隠棲していた。そこへ五月になって朴井連雄君( ...

日本国が真の意味で国際的に国家と認識される中央集権国家に抜け出したのは、天智・鎌足の模索的な律令政治から、嫡子・大友皇子が「太政大臣」を名乗る頃からだったと言える。■「太政」とは「国家、あるいは皇帝の政治」という意味の国際政治用語である。大友皇子の太政大 ...

大山誠一も書いていることだが、日本の天皇というものはそもそも藤原不比等がはじめ、藤原氏を光り輝かせるための存在から開始されているようである。その前の蘇我飛鳥王朝までは「天皇」もいなければ、皇室もない。蘇我大王家こそが大王だったのである。この時点では天皇を ...

蘇我馬子は実質の大王だった。この時点で馬子の妻だった太媛(物部布都媛、大刀自)の存在が次第に気になり始めるのではなかろうか?女帝推古はいなかった。では権力者・蘇我馬子に物部守屋をうたせ、祭祀の実権と土地・財力のすべてを手中にした太媛とは、実は大王を動かせ ...

『日本書紀』虚像としての任那日本府 中央集権への道3 元興寺と王興寺まで http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/49684415.htmlすでに昨年ここに啓上した上の記事をまず再確認しておきたい。538年に同じ百済の聖明王が倭国蘇我王朝に贈ったのは経典と仏像だけであっ ...

わたしたちは仏教伝来は『日本書紀』記述ではなく『上宮聖徳法王帝説』『元興寺伽藍縁起』の記述から「聖徳太子ごさんぱい」つまり538年と習った。父たちは552年という『日本書紀』の記述をそのまま習った。仏教伝来とひとことで言う場合、それは国家として正式に仏教 ...

★4法隆寺金堂薬師如来像光背銘文偽物の根拠●「天皇」「大王天皇」「東宮」などの使用が仏教導入前の飛鳥時代にはまずない。天皇の最古の使用例は飛鳥池遺跡出土の木簡で、これも天武・持統時代の木簡である。中国では唐の高宗の時代に、国王の姓が老子と同じ李だったため ...

■律令国家日本の開始はすべて藤原不比等以後わたしたちは大化の改新は645年だと教わった。しかし今の教科書では645年は蘇我氏が暗殺された乙巳の変であり、大化の改新は翌年、さまざまの律令が成文化して発せられた646年とされている。歴史は生きている。どんどん ...

ここ10数年間で、歴史愛好家たちの間にも、専門家たちの間でも、「どうも『日本書紀』や『古事記』の言っていることにはウソがあるのではないか?」という考え方がかなり増幅してきているようである。それはちょうどバブルの崩壊が起こった1999年あたりから急激に現実 ...

1 継体大王出自はウソ2 倭五王=応神~雄略はウソ3 欽明から推古もすべてウソ4 日本国の開始は天智から5 藤原氏が作った「天皇」「皇室」が蘇我氏の造った大王家を殲滅したこのシリーズは『日本書紀』記述を全否定するとこから始めたい。検証の手引きは大山誠一『 ...

だいたい五回シリーズで藤原不比等と光明皇后と行信の1 皇室創作2 夢殿(東院伽藍)創作3 推古女帝創作4 天武血脈の隠滅5 律令国家・日本と天皇制の創作を描くつもりである。橘一族の祟り演出などもからめて草創期藤原氏の存亡が描き出せれば大成功であるが、さて ...

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