民族学伝承ひろいあげ辞典

脳梗塞男の料理とエッセイ、ときどき爆笑、ときどき不満爆発? 著書『秦氏が祭る神の国・その謎』2005年  1955年大分市生、京都育ち。 脳梗塞、高脂血圧、緑内障、糖尿病と闘病中。

カテゴリ: 記紀異説・神話分析

大分市の佐賀関半島の大火事が終息しない。地形的に火事の場所は半島のくびれ部に当たる。火事現場住所 大分市佐賀関1828 検索地図位置マークの下が佐賀関港、左の道の突き当り上がったところが椎根津彦神社。火事、佐賀関に関する詳細解説はこちらを佐賀関の火事はどこで ...

布刈神事和布刈(めかり)神事は「※神功皇后が※三韓征伐からの凱旋を祝って、自ら神主となり、早鞆の瀬戸のワカメを神前にささげたという古事に由来しています。[4世紀後半頃の伝説的人物で仲哀(ちゅうあい)天皇の皇后][神功皇后の馬韓・弁韓・辰韓征伐の物語]昔は「神 ...

宋史 日本國(王年代紀)とは 雍熙元年(九八四年)、日本国の僧奝然ちょうねん、その徒五、六人と海に浮かんで至る。銅器十余事ならびに本国の『職員令』・(日本国の)『王年代紀』各一巻を献ず。奝然、緑を衣、自ら云う、姓は藤原氏、父は真連為りと。真連とは其の国の ...

神武天皇 じんむ・てんのう 人皇初代諡号 神倭伊波礼琵古命 かんやまと・いわれひこ・の・みこと始馭天下之天皇 はつくにしらす・すめらみこと生前名 若御毛沼命(わかみけぬのみこと)、狹野尊(さの(ぬ)のみこと)、彦火火出見(ひこほほでみ)=山幸彦=天孫ニニギ ...

ではもう一度唐本御影にご登場してもらおう。おspらく日本人ならほぼ全員がこれが太子像だと思っているだろうが、実は違いう可能性が高い。まず1 衣装が奈良時代の衣装 太子は飛鳥時代初頭の人なので、これは奈良時代の想像で着せられた衣装か、あるいは別人と考えるし ...

「晋書(しんしょ)」 巻九十七 「四夷伝(よんいでん)」「舊以男子為主  漢末 倭人亂  攻伐不定  乃立女子為王  名曰卑彌呼  宣帝之平公孫氏也  其女王遣使至帶方朝見 其後貢聘不絶 及文帝作相 又數至 泰始初、遣使重譯入貢」翻訳「もと、男子を以って主となす。漢末、倭 ...

アメリカ英語で神話の獣ユニコーン=一角獣にはどんな意味が持たされているのだろうか?神話に登場する獣なら、ほかにもいくらでもあるだろう。なぜユニコーン?なぜペガサスではないの?神話に登場する一角獣で実在しない生き物だが、そこから転じて人々が夢見るような現実 ...

ゲンダ 【源田】5 日本姓氏語源辞典栃木県、石川県、埼玉県。①地形。源氏と田から。栃木県足利市大沼田町が本拠。同地では八幡神を氏神とする。同地では農業に従事していたと伝える。推定では江戸時代。石川県白山市小柳町ではげんべさの屋号で農業に従事していたと伝える ...

古墳時代の鉄刀に象嵌の銘文 熊本城跡から出土、製作年月日か 江田船山古墳に続く県内2例目、国内では8例目江田船山に続く、熊本では二件目の象嵌入り剣兵庫県の箕谷[みいだに]二号墳から出土した象嵌銘文刀と製作時期などが類似銘文は「甲子年五月中」=604年 604年5 ...

富雄丸山はホタテ貝式前方後円墳だと証明できればヤマトタケルは比比羅木の八尋矛 ひいらぎのやひろのほこを持っていると古事記にあるのだから、2mの蛇行剣がそれに該当できるから、被葬者候補のひとりになるだろう。比比羅木の八尋矛とヤマトタケル : 民族学伝承ひろいあ ...

盾型鏡と蛇行剣が出て、円墳で、4世紀後半となると推定できる氏族はほぼ決まってくる。  富雄丸山古墳は、奈良県奈良市丸山にある古墳。形状は円墳。史跡指定はされていない。出土品は国の重要文化財に指定されている。 円墳としては全国で最大規模の古墳で、4世紀後半頃の ...

しばらく法事やら雑事で忙殺されて久々の記事である。蘇我林大郎(太郎)は蘇我入鹿の別名。古代氏姓(うじ・かばね)制度によった書き方である。氏姓制度では、貴族・武家はこれに従って名のるのを旨とした。読みは「そがの・はやしの・たろう・いるか」。つまり「りんたろう」 ...

6 大化の改新と摂津三嶋の有力者  2007年12月21日(金)13時33分47秒編集済 藤原鎌足が乙巳の変(大化の改新前の事件)を実行する前に摂津の三島郡に隠棲していたことは前にも書きましたが、鎌足は以前から入鹿誅殺を画策していたらしく、三島隠棲の間に実に様々な人物と ...

HPから移動した記事2006年というネットを始めたばかりの頃の、ごく初期作品なので稚拙な内容である。ご容赦ください。現在最も納得している天孫降臨ルートのひとつ    投稿日:2007年12月21日(金)13時41分40秒今年(2006年)8月の朝日新聞掲載記事より。現代の密入国 ...

八岐大蛇やまたのおろち神話2006年04月26日 02:36大林太良が記録した長江南域の大蛇神話。『捜神記』「東越の庸嶺(福建省)の西北の湿地に大蛇がいた。長さ七,八丈、大きさは十余抱えにもおよんだ。大蛇は誰かの夢や巫祝を通して「少女のいけにえを要求した。」毎年、役人 ...

前の吉士関連の転載記事に筆者はこういうことを書いてある。「彼らが古来の「才伎 てひと」であった難波日鷹吉士ではなかったかと思えるのは、彼らの近畿での先住地が紀氏の神武伝承に関わりのある熊野の奥地の日高だったからである。(つまり神武に逆らったのが宇陀~鳥見地 ...

再掲載●吉士(きし)とは何か?「古代朝鮮において「王」・「首長」を意味する称号「於羅瑕」(「鞬吉支」)が渡来人の称号として日本で用いられ、やがてそれが姓となり、また氏ともなったらしい。本居宣長の『古事記伝』によると、新羅の17等の京位(中央役人の官位)中の14 ...

聖徳太子蘇我入鹿説・四天王寺荒墓伝説 ◆四天王寺建立縁起●守屋死後6年、推古天皇元年(593年)、聖徳太子は摂津難波の荒陵(あらはか)で四天王寺の建立に取りかかった。寺の基盤を支えるためには、物部氏から没収した奴婢と土地が用いられた。●蘇我馬子の法興寺は上記 ...

桓武平氏の祖という葛原(かずらわら)親王という人がいた。母親は多治比氏の人だが、桓武の正妻が藤原氏だったので、藤原と名乗りたいところをはばかって葛原とした。これはのちの堂上氏だそうである。葛原親王 - Wikipedia子孫には歌人の周防内侍がいる。さて藤原と葛原はほ ...

先日電話で、知人に「書かなあかんで」と言われたので、新年初記事を書こう。あけましておめでようございます。たいしたことは書けないが天皇に関わる血統の大変換についてでも書いておきたい。『日本書紀』から類推できる天皇家系図では、万世一系が建前の天皇家。しかし継 ...

翹岐記事の分析 『日本書紀』はまったくの出鱈目本か? : 民族学伝承ひろいあげ辞典 (blog.jp) 翹岐(ぎょうき、生没年不詳)は、百済の王族。 百済最後の王である義慈王(在位:641年 - 660年)の弟の王子とされているが、義慈王の王子で、日本に人質に出されていた扶余 ...

写真と記事はぜんぜん関係ありません。土師氏(はじ・うじ)というのはのちの菅原道真公の祖先で、四腹あったとされ、菅原・大江・秋篠・土師の四つの姓がある。九州では、ほとんどは道真に関わる菅原を冠する神社や地域が多い。では道真さんに関わって一族が来ただけなのかと ...

三島は「みしま」。三島と書くが本来は神がいる山なので「御島」である。最古は「伊予国風土記」逸文にあるように摂津国にある百済から光臨した大山祇神を祀る三島鴨神社である。これもともと四国河野氏の祀ったもので、あとで河野氏が瀬戸内のしまなみ海道にある大三島大山 ...

はたつみ・の・みこと「はた」は「ぱだ」で「わだ」と同義。わだつみ≒はたつみ。先日のアマツヒコネ同様、「出雲国風土記」にだけ登場する神。「出雲国風土記」の成立には二種類の見方があろうかと思う。ひとつは出雲が独自で書き上げた、いまひとつは天のホヒ、つまり出雲 ...

先日、長年のブログをおやめになった古い友人に電話したら、思うほどには弱ってなどはおられず、ことのほかお元気そうで、古代の話が花開いた。で、彼が天津彦根を調べてみろと言われたので、そのときは直感で「「彦根」なら息長氏ちゃいまっか?」とかいい加減に答えておい ...

なんのために『日本書紀』は聖徳太子を描いたのか?古代行動学での解釈は簡明である。蘇我入鹿と蘇我本家氏は藤原氏によって無残に滅ぼされる。ということは滅ぼした側の藤原氏にとって、蘇我氏は当然祟る霊魂になる。だから丁重に史書では扱わねばならなくなる。しかし滅ぼ ...

画像は本文とは関係ありません。ワクチン接種会場に用意されていたままごとセット。子供を連れてきた人のためだろうか?日本人の人名には、歴史的に由緒ある貴族や武家のもの(ウジ・カバネ)、その家臣団以下のもの、明治以降にそれにならって名乗ったもの、地名由来、そして ...

 ■『播磨国風土記』印南郡大国里(兵庫県加古川市神吉町~高砂市伊保辺り)の条「此の里に山あり。名を伊保山(高砂市の山・下に地図あり)といふ。帯中日子命を神に坐せて、息長帯日女命、石作連大来を率て、讃岐の国の羽若の石を求ぎたまひき。彼よりり度り賜ひて、、未だ御 ...

みかしきやひめ?誰?あなたは思うかもしれない。記紀神武東征伝承におけるナガスネヒコの妹。ニギハヤヒの嫁「とみやびめ」とも言う。「とみ」は地名。奈良県信貴山山麓鳥見。ナガスネヒコも鳥見長髄彦と書く。(蘇我氏の妹が物部氏の嫁という意味だが、神話は馬子の妻が守屋 ...

ひさびさに投稿。愛知の奥三河、設楽東栄町は花祭りで有名だが、白山信仰もそれに関与したと思われる。東栄町や豊田市には猿投神社(さなげじんじゃ)もあり、ここも奇祭で知られる。『日本書紀』が言うヤマトタケル(小碓(おうす)命)の兄神・大碓(おおうす)命を祀る。この神 ...

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