大分市の佐賀関半島の大火事が終息しない。地形的に火事の場所は半島のくびれ部に当たる。火事現場住所 大分市佐賀関1828 検索地図位置マークの下が佐賀関港、左の道の突き当り上がったところが椎根津彦神社。火事、佐賀関に関する詳細解説はこちらを佐賀関の火事はどこで ...
カテゴリ:記紀異説・神話分析 > 氏族分析
源田氏と甲斐氏・WBC選手の由来
ゲンダ 【源田】5 日本姓氏語源辞典栃木県、石川県、埼玉県。①地形。源氏と田から。栃木県足利市大沼田町が本拠。同地では八幡神を氏神とする。同地では農業に従事していたと伝える。推定では江戸時代。石川県白山市小柳町ではげんべさの屋号で農業に従事していたと伝える ...
富雄丸山古墳推定できる被葬者は?
盾型鏡と蛇行剣が出て、円墳で、4世紀後半となると推定できる氏族はほぼ決まってくる。 富雄丸山古墳は、奈良県奈良市丸山にある古墳。形状は円墳。史跡指定はされていない。出土品は国の重要文化財に指定されている。 円墳としては全国で最大規模の古墳で、4世紀後半頃の ...
蘇我入鹿の「林太郎」について
しばらく法事やら雑事で忙殺されて久々の記事である。蘇我林大郎(太郎)は蘇我入鹿の別名。古代氏姓(うじ・かばね)制度によった書き方である。氏姓制度では、貴族・武家はこれに従って名のるのを旨とした。読みは「そがの・はやしの・たろう・いるか」。つまり「りんたろう」 ...
日高・日鷹・日十・吉士
再掲載●吉士(きし)とは何か?「古代朝鮮において「王」・「首長」を意味する称号「於羅瑕」(「鞬吉支」)が渡来人の称号として日本で用いられ、やがてそれが姓となり、また氏ともなったらしい。本居宣長の『古事記伝』によると、新羅の17等の京位(中央役人の官位)中の14 ...
藤原と葛原の「葛藤」・桓武平氏・葛原親王・堂上氏・北条氏
桓武平氏の祖という葛原(かずらわら)親王という人がいた。母親は多治比氏の人だが、桓武の正妻が藤原氏だったので、藤原と名乗りたいところをはばかって葛原とした。これはのちの堂上氏だそうである。葛原親王 - Wikipedia子孫には歌人の周防内侍がいる。さて藤原と葛原はほ ...
百済王翹岐・豊璋と大佐平智積=天智・鎌足諸説から見た天智・鎌足渡来人説
翹岐記事の分析 『日本書紀』はまったくの出鱈目本か? : 民族学伝承ひろいあげ辞典 (blog.jp) 翹岐(ぎょうき、生没年不詳)は、百済の王族。 百済最後の王である義慈王(在位:641年 - 660年)の弟の王子とされているが、義慈王の王子で、日本に人質に出されていた扶余 ...
九州にいつ土師一族が来たか・天智と天武・息長=藤原か?考古学?どこが?
写真と記事はぜんぜん関係ありません。土師氏(はじ・うじ)というのはのちの菅原道真公の祖先で、四腹あったとされ、菅原・大江・秋篠・土師の四つの姓がある。九州では、ほとんどは道真に関わる菅原を冠する神社や地域が多い。では道真さんに関わって一族が来ただけなのかと ...
三島信仰と安曇族
三島は「みしま」。三島と書くが本来は神がいる山なので「御島」である。最古は「伊予国風土記」逸文にあるように摂津国にある百済から光臨した大山祇神を祀る三島鴨神社である。これもともと四国河野氏の祀ったもので、あとで河野氏が瀬戸内のしまなみ海道にある大三島大山 ...
人名由来・清原氏と清原さん 何か違いは?
画像は本文とは関係ありません。ワクチン接種会場に用意されていたままごとセット。子供を連れてきた人のためだろうか?日本人の人名には、歴史的に由緒ある貴族や武家のもの(ウジ・カバネ)、その家臣団以下のもの、明治以降にそれにならって名乗ったもの、地名由来、そして ...
四天王寺長持型石棺蓋と竜山石・石の宝殿、荒陵守屋墓所論再考そして物部守屋の墓所
■『播磨国風土記』印南郡大国里(兵庫県加古川市神吉町~高砂市伊保辺り)の条「此の里に山あり。名を伊保山(高砂市の山・下に地図あり)といふ。帯中日子命を神に坐せて、息長帯日女命、石作連大来を率て、讃岐の国の羽若の石を求ぎたまひき。彼よりり度り賜ひて、、未だ御 ...
朝ドラ千代モデル浪花千栄子と南口氏姓分布と葛城一言主神社と楠木正成
夕餉の支度をしながらひらめいたことなので、確信も信ぴょう性も自信はないが・・・。朝ドラの主人公千代のモデルが松竹新喜劇の看板女優だった浪花千栄子(なにわ・ちえこ)だということはご存じと思う。この人、本名は「なんこう・きくの」と言う。子供の頃、彼女はこの本名 ...
古代海人系氏族一覧と「あま」の鯨面文身
●大倭直氏「亦奥宮者、椎根津彥命也、此命彦火出見命孫武位起命子、逮神日本磐余彥天皇東征之年迄引皇舟表績、香山之嶺仍為大倭国造即大和直」大倭直盛繁(おおやまとのあたいもりしげ=大倭国造家後裔と言われる人物、嵯峨天皇時代)記https://books.google.co.jp/books?id=g ...
諏訪の守屋山と神長官守矢氏と守屋神社
諏訪湖と守屋山物部守屋は諏訪湖が見える守屋山(もりやさん)山頂に祀られている。小さな石の廟だ。 「諏訪神社上社には、神長官「守矢氏」がいました。物部守屋とは姓と名(と文字)の違いがありますが、読みは同じ「もりや」です。守屋山・物部守屋神社・守矢氏と揃えば、 ...
物部→蘇我→藤原の交代劇が曳矢神→タケミナカタ→タケミカヅチ記紀に合致すること
諏訪神社にタケミナカタが祭られたことについて、記紀神話の出雲国譲りにある出雲のタケミナカタが敗北して諏訪へ逃れるのは、相手がタケミカヅチだったことになっているわけだが、タケミカヅチは藤原氏の神なので、歴史上の宰相の奪い合いが神話記述や諏訪神社伝承と合致し ...
豊前秦氏推定居住地
豊前秦氏推定居住地2009年10月28日 18:22にほんブログ村旧企求(きく)郡北九州市和布刈神社荒神森古墳(小倉南区)円光寺古墳(小倉南区)丸山古墳(小倉南区)上ん山古墳(小倉南区)茶毘志山古墳(小倉南区)御座古墳群(小倉南区)日明一本松塚古墳(小倉北区)京都郡豊 ...
貴船平下の裏山横穴墓群・六脚輪状文・双脚輪状文と紀氏
日本でただ一ヶ所、大分県宇佐市大字山下にある貴船平下の裏山横穴墓群の中の一基だけに描かれた特殊な装飾。この円文を六脚輪状文(紋)だとしている学者は存在しない。以下の二つのサイトだけがこの名称を用いている。→http://homepage3.nifty.com/obito/ooita.htmlhttp:/ ...
宗氏と船木氏調査結果と一巳の変や大阪の陣の裏側・NHK大化の改新再放送寸評などなど
船木氏に関する目立った情報造船の名手伊勢では記紀崇神・垂仁朝に、倭姫(やまとひめ=伊勢斎宮)元伊勢巡行の舟を取り仕切った記録景行天皇は船木氏の多い近江に遷都し宮建設記事神功皇后紀にも登場し船を仕切る。多氏の祖・神八井耳命を祖とする。伊勢水銀採集に関わる。播 ...
鹿島神宮=高良大社
sikanosimajinnja 前の記事にある「鹿の島の神」とは福岡県の志賀島神社のことになるが、それを筑後に勘定して高良大社がある。ここは武内宿禰を祭ってある。これすなわち中臣氏の祭るところ。なぜそうするかと言えば、『日本書紀』に藤原氏は筑紫国造磐井が継体大王によっ ...
中臣氏・藤原氏は九州海人族である
前の記事でわかったことがそれ。 磯良舞「民間伝承では、阿曇磯良(磯武良)は豊玉毘売命の子とされており、「日子波限建」(ひこなぎさたけ)と冠されることのある鵜葺草葺不合命と同神であるとする説がある(磯と渚はどちらも海岸である)。また、『八幡宮御縁起』では、 ...
紀臣と紀直氏 本拠地と住み分け
にほんブログ村紀氏には、紀臣(きのおみ)氏と、紀直(きのあたい)=紀伊国造(きい・こくそう)氏がある。紀伊国造氏は、出雲・阿蘇・宇佐・隠岐国造などと並んで日本最古の国造氏族とも言われる。 ...
亀卜と卜部と大中臣吉田神道
金銭にゆとりあるかたは購読料を郵便局にほりこんどいてください。死にかけていますにほんブログ村 ●伊豆・壱岐・対馬卜部=吉田神道・大中臣氏卜部氏は中臣氏、藤原氏の中の祭祀者。占い、亀卜をこととしている。のちに大中臣氏と名乗る。氏族名には吉田・錦織・萩原・冷 ...
古代人名ワケについて 吉備氏ワケ名一覧 邪馬台国吉備発祥説の有力氏族か?
にほんブログ村改元記事は以上にして、もとの分析に戻る。「吉備氏の系譜には3種類あり、それぞれその時代の吉備氏の立場を代弁している。 1.別(わけ)号の人名表記に古形を残し、王家との関係も姻戚関係のみで王族出身とは記さず、一族内部も対等の関係であったとし、5世紀 ...
近畿の百済王国と蘇我氏・東漢氏と檜前宣化天皇の関係
●奈良の百済地名北葛城郡広陵町の東部はかつての百済村である。葛城川と曽我川に挟まれた地域。また北百済村(きたくだらむら)がかつて大阪府住吉郡・東成郡に存在した。また大阪府枚方市から交野市にかけては、百済王族が住まわされた土地である。そこに継体大王の樟 ...
隅田鏡銘文を読み解く 隠された紀氏の陰謀 淡輪大王・葛城大王そして蘇我大王 持統って誰よ?
隅田八幡伝世・人物画像鏡銘文(本文は縦書き)癸未年八月日十大王年男弟王在意柴沙加宮時斯麻念長寿遣開中費直穢人今州利二人等取白上同二百旱作此竟 (大意)癸未(きび、みずのとひつじ)の年八月 日十大王の年、男弟王が意柴沙加(おしさか=桜井市)の宮におられる時 ...
紀平氏とは?
①紀平氏 本姓紀氏 ・紀平二元保 ・紀氏であるが、のち、平姓を稱したものをいう ・球麿郡地頭:良峯師高の子息:紀平次不知実名とあるhttp://www.hikoshima.com/bbs/heike/101337.htmlどこまで本当かどうか、筆者は知らない。しかし予想通りだった。紀平梨花ちゃんを応 ...
淡海国坂田郡山田神社
山田神社式内山田神社由緒概要彦根市宮田町鎮座一 祭神 猿田彦大神 誉田別大神 多紀理毘売命 多岐都比売命 市杵嶋姫命一 由緒當社は孝安天皇の御代の創建にて、大彦命、日本武尊坂上田村麿、等皇族武將の尊崇を享けたと古記に伝えられている。醍醐帝延喜の制を ...
記録された息長氏姓の人々 息長氏の消失と藤原第一期盛衰の関係
数年前に筆者が調べた記録上の息長氏人物たちの一覧である。再び掲載しておきたい。息長氏分析2https://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/56811544.html◆実在した息長氏人名一覧 名前 時代 出展 備考息長足日広額天皇(舒明天皇 ...
氏族、神社、地名分析で『日本書紀』の嘘をあばく 紀氏・平群氏・忌部氏・壱岐氏など
●紀氏・・・紀直・紀臣・木部(岐部)などの集合体氏族である。紀貫之、友則、大人などが有名。 推定出身地・・・肥前國基肄郡 きいの・こほり、 あるいは伽耶小王国の安羅(『日本書紀』の言う任那みまな)あるいは紀州和歌山県紀ノ川河口部南北岸(大谷古墳・岩橋千塚 ...
木地師とぬり部その2 惟喬親王とろくろ木地師
■惟喬親王「惟喬親王(これたかしんのう、承和11年(844年) - 寛平9年2月20日(897年3月30日)は、平安時代前期の皇族。文徳天皇の第一皇子。母は紀名虎の娘・更衣紀静子。別名小野宮。同母妹に恬子内親王がいる。当親王を支持した紀氏は、側近だった者らを顕彰し六歌仙と ...


























