千葉県の東側沿岸に木更津がある。きさらづ。地名由来を何度か考えたことがあるが、TVの縄文特集をながめていて、ふとそうかもと思いついた。東京湾の千葉北部に縄文貝塚があり、そこでは何世代にもわたってはるか南部の木更津でとれるキサゴ貝を取りに行って、食べ続けてい ...
カテゴリ:考古学 > 関東学/東海学
今朝の千葉沖地震はスロースリップ(ゆっくりすべり)
20186月年過去記事スロースリップ解説から転載このときも、千葉でゆっくりすべりによる地震があった。今朝の地震もそれだろう。それで再掲載します。四国でスロースリップが起きている!サイトより https://fusitan.net/0211/プレートの滑り込みの速度は状況によってさ ...
下仁田で玦状耳飾り・縄文時代 透閃石がネフライト?新聞石材記事が意味不明
柔らかい豆腐調査記事の前に硬い岩石について割込み記事にしておこう。 「下仁田町教育委員会は、同町馬山の下鎌田遺跡で発掘された縄文時代の石製装身具「玦状耳飾(けつじょうみみかざり)」を成分分析した結果、日本では確認されていない石材だったことが分かったと発表 ...
隷書簡略体漢字と稲荷台1号墳銀象嵌王賜鉄剣の「此」文字決定
金石文は石や金属製品に刻まれた歴史的文章や文字である。多くが簡略化される場合があるので、一般人には読みにくい。漢字を決定するのはもちろん文字の専門家であるが、そのほとんどは中国の前例との比較で決められる。漢字が中国生まれであり、金石文や墨書の例証が多いの ...
長方墳・長方形墳 茨城県頓化原あるいは徳化原古墳
にほんブログ村長方形墳あるいは長方墳は、古墳時代後期後葉~終末期7世紀中頃~8世紀)に見られる特殊な墳形の古墳。(横穴式石室など)が複数設けられているケースが多い。最近の発見例では茨城県北西部の東茨城郡城里(しろさと)町で周濠を持って横穴式石質のある徳化原(と ...
東京アースダイバー/東京地下は遺跡だらけ
都心に消えた“幻の遺跡”を追え NHK News Webhttps://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2018_0104.htmlから東京都には不明になってしまった遺跡がたくさん隠れている。中沢新一のアースダイバーに始まり、ブラタモリで一般化してきた、東京の地形や遺跡を探す東京アー ...
明ケ島古墳群出土品の気になる絵柄
明ケ島古墳群出土品を公開 考古学ファン来場 磐田静岡新聞 3月3日 「磐田市内で見つかった明ケ島古墳群出土土製品が国重要文化財に指定されたことを受け、出土品の展示が2日、同市見付の埋蔵文化財センターで始まった。初日は近隣住民や考古学ファンが詰 ...
東京タワーと靫負大伴の古墳・芝丸山古墳
東京の大型前方後円墳http://www.amy.hi-ho.ne.jp/mizuy/arc/kofun/東京の古墳http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/50781436.html●東京タワーそばの前方後円墳・芝丸山4後~5世紀前期のウオーターフロントにある、海から見えることを意識した古墳。武蔵国国衙の墓であ ...
上毛野国緑野屯倉 蝦夷と渡来と東海系技術者の集合地 北関東の現代は6世紀からすでに
上毛野国緑野屯倉安閑二年というから535年くらいの話で、各地に屯倉(みやけ=税になる産物の一時置き場兼県庁)が置かれたということになっている。その中に上毛野国緑野郡(かみつけのくに・みどのぐん)の緑野屯倉も置かれた記録がある。緑野は今の群馬県と埼玉県の県 ...
シリーズ関東 関東人の心意気
「銭をつくるということは、経済とか流通手段の問題と思われていたけれど、それだけではないのです。国家のステイタスの問題です。」森浩一は昨今の政府に聞かせたいようないいことを言っている。国家は自前で国家予算を捻出すべき組織でもあり、必ずしも国民の血税のみが収 ...
シリーズ関東 画像拡大 莫高窟刺繍と三人童女
拡大してみたが、やはりどこがどう似ているかは、実物を見ないとわかりません!形名さん提供画像を拡大加工九州国立博物館画像を拡大加工ただし森浩一氏が申されている刺繍は雲崗窟のもの。この画像も発見できない。実のところ、サイトから無断拝借するのはルール違反なので ...
シリーズ関東 多胡碑碑文
にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・古代史へ多胡碑碑文 弁官符上野国片岡郡緑野郡甘 良郡并三郡内三百戸郡成給羊 成多胡郡和銅四年三月九日甲寅 宣左中弁正五位下多治比真人 太政官二品穂積親王左太臣正二 位石上尊右太臣正二位藤原尊 弁官の符①に、上野 ...
「商旅」と「産業」
https://history.blogmura.com/his_archeology/ にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・古代史へ 『続日本紀』和銅七年(七一四)二月庚寅(二)》○庚寅。制。以商布二丈六尺為段。不得用常。如有蓄常布。自擬産業者。今年十二月以前。悉売用畢。或貯積稍多。出売不尽者。 ...
シリーズ関東 綿貫観音山古墳と北魏供養人物図刺繍 関東の視座
にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・古代史へ史跡観音山古墳史跡指定 昭和48年4月14日所在地 高崎市綿貫町観音山群馬県の古墳時代後期の代表的な前方後円墳である。墳丘は、前方部を北北西に向け、全長97m、前方部幅64m、高さ9m、後円部直径61m、高さ9.5mの規模で、すべて ...
シリーズ関東2 「関東10カ国」 古代関東の領域
にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・古代史へ関東地方を鎌倉時代以後の観念で「関八州」と、八カ国としている固定観念は、古代史では間違いである。関東地方とは聖武天皇の奈良時代にはあくまで「不破の関」の東を指す広域名である。藤原広嗣の乱にびびりあがってしまった聖 ...
シリーズ関東1 東京都の視野
よく東京都の面積は日本の都道府県で最も狭いという話を聞く。その視点はあくまで日本「ホンド」の中の狭い視座で言われている誤った観念だ。東京都の範囲は、決して東京湾(江戸湾)から多摩丘陵までの範囲にしかない狭い扇状地だけではなく、はるかに湾を離れて伊豆諸島、 ...
関東平野に田んぼなし・渥美は安曇地名ではない
にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・古代史へ考古学常識のウソシリーズ■関東平野に田んぼなし「(前略)関東の場合は弥生遺跡がいっぱいありますが、稲の収穫に用いられた石包丁が少ない。、むしろ東北の福島県の方がはるかに多い。前々から不思議だなと思っていました。弥 ...
古代柴又の寅さん・孔王部刀良(あなほべの・とら)
にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・古代史へ葛飾柴又古代の戸籍■正倉院御物『養老五年下総国葛餝郡大嶋郷戸籍』【721年(養老5、長屋王政権時代、元正天皇)製作】大嶋郷1,191人中612人の名前・年齢などが記載されている「『葛飾区史』の中に、現在の「柴又」が室町中 ...
愛知 あゆち 地名解釈はあってなきがごとし
With2ブログランキングへ凡例愛知の地名は『地名用語辞典』によれば「年魚市」から来たとされている。しかし三鬼清一郎編『愛知県の歴史』によると諸説あり、1 年魚市潟説・・・『尾張国?風土記』(本文にどこの風土記かの説明がない)の俗謡から来た ...
関東県名由来推測
あくまで諸説のなかのひとつに過ぎないが・・・。関東地名由来神奈川 http://chimei-allguide.com/14/000.html 金目川を昔は金川と呼んだか?韓川由来も捨てがたし。群 馬 http://chimei-allguide.com/10/000.html 車持朝臣居住地からというのが最も信 ...
群馬・上野・下野地名由来と車持朝臣と馬牧
■上下、毛野(かみつけ、しもつけ)の由来『万葉集』巻十四「東歌(あづまうた)」で上毛野は「可美都気努」「可美都気野」と読むようにとの指定がある。「野」は「ぬ」と読んでもよいし、「の」と読んでもよいことになる。つまりこの「の」「ぬ」は異音でも意味は同じ「~ ...
天武・持統の信濃遷都計画
天武・持統の昔、長野は次期首都候補地だった。『日本書紀』天武十三年二月(684)「三野王(みののおう)、采女臣筑羅(うねめのおみ・ちくら)等を科野に遣わし地形を看させて曰く「是の地を都とせんとするか」と。」同年四月三野王、科野国地図を提出。十四年科野に行 ...
東京の古墳
東京都の古墳は、東国の一部、北関東と南関東をつなぐ扇状地と湿地帯と海岸として考察されるべき位置にあって、もっと広くは比較的暖かい日本海側東北と、比較的寒い太平洋側東北から東海地方まで含めた勢力圏として見てゆく広い眼が必要だろう。関東、甲信越、東海、さらに ...
愛知の塩田
愛知県の製塩の歴史http://www.geocities.jp/shimizuke1955/304salt.html・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「海水に浄化作用があることを知っている海の民は、陸化しても海の水や、それが手に入らない場合には塩水を、また時には塩そのものを浄化のために使う ...
螺旋状鉄釧
螺旋状鉄釧(らせんじょう・てつくしろ)くしろとは腕輪。鉄線をバネのように螺旋状に巻いた極めて地域限定で出土する腕輪。「中部地方から東海地方東部、関東地方南部にかけての三角形の広がり」(北條芳隆『螺旋状鉄釧と帯状銅釧 』2005)に分布し、他の地域では見つか ...
5世紀の馬犠牲・佐倉市大作古墳31号墳馬犠牲土壙
画像は『東国の古墳と古代史』学生社から 奈良国立文化財研究所岩永省三氏作画・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一般に、これまで、御霊信仰は平安時代からと言われてきた。それは主に供犠に関わった人々が、時代的政治的な流れの中で ...
長野県松本市・大室古墳・合掌式古墳は九州型横穴石室?
久しぶりにまた白石説。長野県北部に大室古墳群というさまざまな高句麗型積み石塚古墳群を擁する古墳群があり、ここの上部に合掌型と言われる小さな古墳群が杉林に隠れるように点在する。どうやら時代を経て長野北部には渡来が押し寄せていたらしい。その合掌型古墳は現在、 ...
東海東国の古墳検証 その二 下毛野の終末期と壬生
先の「その一」に引き続き、白石太一郎氏『東国の古墳と古代史』学生社 2007 から、今度は古墳時代の後期~終末期にかけての関東、特に下毛野(しもつけの)の60㍍クラスの円墳から考察してみたい。白石氏は後期古墳時代に全国の前方後円墳が急速に終了して行く時期 ...
東海東国の古墳検証 その一 濃尾平野・東之宮古墳
白石太一郎氏は三世紀における関東が一大変換期を向かえただろうと、東海~関東の大前方後円墳の飛び抜けた数と発掘結果から判断している(『東国の古墳と古代史』学生社 2007)。この大和学派のはえぬき学者の生き残りである有名学者の意見を見て行きながら、邪馬台国 ...
茨城県水戸市の犬塚の地名由来伝承
小山市犬塚の「犬塚」という地名はどこに由来するのか。「犬塚」という地名は特別珍しい名前ではありません。この近くでは茨城県の筑西市関城にあります。埼玉県の熊谷市にもあります。さらにインターネット上には犬塚小学校が福岡県にあることが分かっています。では、ここ ...



















