阿蘇のうなり姫

阿蘇国造神社御田祭
あそじんじゃ・おんたさい
あそこくぞうじんじゃ・おんたさい
あそこくぞうじんじゃ・おんたさい
旧暦6月20日~26日
最古の人身御供神事
14人の「うなり」が頭に鷹羽紋入りの黒塗りのおひつを乗せて、阿蘇の麓にある千枚田の中を運ぶ。
神社の祭神14柱にそれぞれ神饌を運び込む。
建前上は阿蘇の祭神は12柱であるのに、二つ多いことになる。これについては2柱の神がなんであるかについては神社で聞いてもよくわからないような説明をする。複雑怪奇。
たとえば阿蘇神社中央に鎮座する主神でさえいくつもの神を背負っている。この分析はまたいずれ。
国造神社は裏手の手野から急激に降りてきた場所にある。近隣に長目塚古墳群があり阿蘇氏の古墳群と言われる。
阿蘇神社と国造神社は祭りの期日をずらして行い、国造神社が先に行う。
うなりは、本来閉経後の女性が白装束に身を包み、顔に白ずきんを巻き、頭におひつを乗せて道中する。先を馬に乗った猿田彦が先導し、御輿やさまざまの役目のものがこれに続く。
年男、年女、矛などの人形(首だけ)が露払いするが、これはうなりの介添え役の頭屋夫婦。
大昔はうなりは神饌を神前に供えたあと自らの命を絶っていた。
真夏に行われるのはおそらく虫封じ、あるいは阿蘇山の噴火、あるいは台風などの天変地異の鎮魂、封じ込めのためでろう。
国造神社にはなまずのミイラが神として祭られる鯰神社があるので、地震封じもあるだろう。
つるがしくしかわ・わけみやじんじゃ・れいたいさい
この神事はすでに明治に廃絶
神社庁の記録によれば明治27~28年頃まではまだ行われていたというから、最後の秘事と言える。
旧暦4月3日
人身御供神事
五升の米で炊いた餅を頭にしょった少女が神社へ渡り、神前に神饌をささげていた。
櫛川ではおみくじを引いて当たったものが人身御供に出る義務を負わされていた。
いわゆる貧乏くじであるが、これによって籤というものが必ずしも富をもたらさないことがわかる。
大分県国東郡には富来町があって、町名にひっかけて富くじオリエンテーリングを村おこしにしているが、ここにもやはり櫛来川がある。同族だろうか?
『卑弥呼』の著者・富来隆は親がここ出身。
「ある年、櫛川の地頭の娘に籤があたってしまい、地頭は村人に身代わりを頼んだが断られる。ところが非常に貧乏な娘がいつも世話になっているという理由で身代わりを申し出た。
娘は祭の日に大唐櫃に入り、神社に供えられた。丑三つ時になると大蛇が現れ、櫃に首をつっこんだが「これはどうもいつものとわけが違う。これは神籤にあたった娘ではあるまい。だからふれることができないのだ。しかしながら自分はどうしても一年に一回、人間の生き血を吸わねばならない。おい、娘よ、帰って神主に伝えよ。このままでは生き血も吸えず、この池から立ち退かねばならない。そうならぬようにどうかこれからは人身御供の代わりに五升の餅を供えろ。さればたたりはなすまい」
これを聞いた娘は生きて帰り、大蛇の伝言を村人に伝えた。
これは八岐大蛇の亜流譚でもある。
これと言って劇的な退治シーンもなく、残虐シーンもなく、きわめて倫理的で抹香臭い。したがって明治ごろにかなり原型が曲げられた可能性は高い。やめるための理屈付けであろうか?
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御炊屋姫と下照姫


みかしきやひめ?誰?とあなたは思うかもしれない。
記紀神武東征伝承におけるナガスネヒコの妹。ニギハヤヒの嫁「とみやびめ」とも言う。「とみ」は地名。奈良県信貴山山麓鳥見。ナガスネヒコも鳥見長髄彦と書く。
(蘇我氏の妹が物部氏の嫁という意味だが、神話は馬子の妻が守屋の妹という事実を意図的に逆転してある。後述)
御炊屋姫と書く(三炊屋媛、鳥見屋媛、長髄媛=『日本書紀』、登美夜毘売(とみやびめ『古事記』、ほかに櫛玉姫命など))。
「みかしぎや」は神の食事係の巫女の名称。
日本史では同じ名前の人物がいる。蘇我馬子の娘、推古女帝だ。
「豊御食炊屋姫」とよみけ・かしきや・ひめ。

だからナガスネヒコ=蘇我馬子と想定可能になる。
推古は蘇我氏であり、蘇我氏は出雲に祀られた敗北者=障碍神しょうげじんである。
つまり推古も敗北者となり、ナガスネヒコ一族も敗北者で一致するのである。
違うのは娘と妹の違いだけ。
似ている神というものは結局同一人物を置き換えてあることに気づく。
アメノワカヒコと阿遅鉏高日子根も同じこと。同族だが、史上、おおむねこれらは対立構図を持たされていることが多い。同じ鴨氏なのに殺しあう。ヤマトタケルも兄を殺す。これは今もそうだが、親族内に対立構図があることを意味する。あるいは、中世武士なら、誰かにつこうというときには、兄弟が正反対について家名を残したのと似ている。
そういうことなのだ。
誰の家でも親が死ぬと親族・兄弟が反発しあうのと似てもいる。
反対勢力、獅子身中の虫はどこにでもいる。
神話なら対立したアマテラスとスサノオは兄弟でだったではないか。
1「かしきやひめ」が物部氏(ニギハヤヒ)についたナガスネヒコの妹という構図
2 推古天皇が蘇我氏の娘と言う構図
これは史実を前倒しして置き換えたとみることができるのだ。
国譲りで藤原氏のタケミカヅチが、物部氏のモノザネである布津御霊の剣をしたがえている。つまり8世紀に物部氏が蘇我氏によって滅ぼされ、その物部の武器を蘇我氏が手にし、それをまた一巳の変で藤原が奪い取ったことに合致する。物部もののふ軍団が藤原氏の傘下にあったことを出雲神話に置き換えただけなのだ。
ナガスネヒコ=蘇我氏。
さて、アメノワカヒコの妻は出雲大国主の娘・下照姫。
アジスキタカヒコネの妹は下照姫。母は宗像の多紀理ヒメ。だから彼らは出雲摂社では筑紫社に祭ってある。アジスキタカヒコネとアメノワカヒコは要するに義兄弟=同族なのだ。

だから「似ていた」と書かれるのだ。
ちなみに阿遅鉏高日子根も下照姫も雷神であり、鴨氏の「おかみ」神に当たる。ということは鴨氏と宗像氏は婚姻関係の同族になるので、必然的にアメノワカヒコ=宗像となるわけ。
『日本書紀』出雲神話は、だから同族同志を戦わせて中つ国の中心地出雲を奪おうとしたことになる。
中つ国の意味は日本海側諸国。往古、日本海側は列島の玄関口で、交易の表玄関。裏日本どころか表二本だった。だから畿内はここが欲しい。海外交易のために。それは神話や太古ではない、『日本書紀』編纂時点の中央藤原氏の要求であり、神話時代などであるはずがないのだ。
神話~崇神までは夢の世界。あとの生々しい時代(当時の「現代」)の書き換えでできているのだ。
ニギハヤヒの敗北は、決して神武(宗像とは正反対の九州南の勢力=狗奴国)にやられたのではなく、飛鳥時代に蘇我氏によって滅ぼされる物部氏の置き換えなのだ。そして配下にいたナガスネヒコにされたのが藤原によって一巳の変でやられた蘇我氏となってしまうのだ。
物部氏の妹は蘇我馬子の嫁である。両者は外戚関係で同族。物部の下に蘇我はいたのである。
要するに蘇我氏が聖徳太子時代に守屋を殺したなどは真っ赤なうそということにたどり着くことになる。さらに、大国主=ナガスネヒコである。だから大和大物主は出雲に現れ、大国主は大和三輪山に祀られたいと言ったのである。同一だったかだ。まさに裏表一体の神話ロジック。
これらのお話を神のヨリマシと理解してはならない。
これは神の饗応役としての巫女=少女の存在を語っているのである。
後生になるほど、頭屋儀礼としての霊依りの意味は消えてゆき、ただ単に神になにかを喰わせれば今年は平安であるという迷信となっていったことを示している。生け贄はこうして終了し、身代わりをたてるようになってゆく。それは家畜や人形といった形代へと変遷し、祭もやがて形骸化してゆくきっかけとなった。
人は祭にパッション、精神の高揚、憑依を求めてきた。
しかしながら倫理や道徳はそれを消し去ろうとし、祭は本来の情熱を失ってゆく。
神事いろいろ・福井県敦賀市櫛川・別宮神社・例大祭(記録) : 民族学伝承ひろいあげ辞典
神事いろいろ・福井県敦賀市櫛川・別宮神社・例大祭(記録) : 民族学伝承ひろいあげ辞典

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コノハナサクヤヒメ
東南アジアセレベス地方のトラジャ族の伝承 大林太良・ミシェル・パノフ他『無文字民族の神話』所収大林太良「東南アジアの神話」より
昔、天地の間は近く、神が縄に結んで贈り物を降ろしてくれていた。ある日、神は石を降ろしてきた。われわれの最初の父母は「これをどうしろといわれるのか?何か他のものをください」と頼んだ。
かわりに神がよこしたのはバナナだった。そして神はこう言った。
「お前たちはバナナを選んだから、お前たちの生命はバナナのようになるだろう。もし石を選んでいたなら不変不死を手にしただろうに」
バナナの木というのは実を結ぶと枯れてしまうのである。
全く同じような神話が日本にもある。
天孫ニニギノミコトの神婚神話である。
大山祇の娘・コノハナサクヤビメを見初めたニニギに対して、大山祇はもうひとりの娘である醜女イワナガヒメをも押しつける。しかし一目見たニニギは彼女を送り返し、妹のコノハナサクヤだけをめとってしまう。大山祇は怒りこう言う。「天孫の命は花のようにはかなく短いものになるだろう。イワナガヒメをめとっていれば永遠の生命を手に入れられたものを!」
日本神話の源流を探す1・石とバナナ・岩と花 : 民族学伝承ひろいあげ辞典
日本神話の源流を探す1・石とバナナ・岩と花 : 民族学伝承ひろいあげ辞典
三島は「みしま」。三島と書くが本来は神がいる山なので「御島」である。
最古は「伊予国風土記」逸文にあるように摂津国にある百済から光臨した大山祇神を祀る三島鴨神社である。これもともと四国河野氏の祀ったもので、あとで河野氏が瀬戸内のしまなみ海道にある大三島大山祇神社へ勘定、それが鎌倉時代に頼朝によって伊豆国三島に勧請されて、この三社を三(大)三島と呼ぶ。
大山祇は大山積で、山の神。此花咲也姫の父。コノハナサクヤも山の女神で富士山・浅間山の浅間(せんげん)信仰の神。
安曇族。
海の民は山を敬う。
理由はふたつ。
山や島を「やまあて」に使う航法を使うから。目印だから命綱だから。
山の滋養で海産物は育つから。
摂津の三島鴨神社には二度行ったが、近くには筑紫津があり筑紫津神社もあり、鴨氏と海人族安曇には深い同族感覚があったらしい。秦氏と同じで鴨氏も伽耶あたりから安曇の案内で日本へ逃げてきたからだろう。当時は船で運ばれることは命を助けられたことにほかならぬ。
だから瀬戸内から古河内湾、縄文海進で淀川の入り口だった摂津三島にまず彼らは定着し、大三島・伊予へ移動したのだろう。それが大三島にある伝説の大山祇の子供が乎知(おち)命であるとなり、伊予の地名氏族としての越智氏も出る。越智も河野(村上・来島など)もだからそもそもは安曇族だったのではあるまいか?
摂津に神功皇后と安曇磯良を祀る疣神社がある。安曇が摂津三島にいた証拠であろう。
三島信仰と安曇族 : 民族学伝承ひろいあげ辞典
三島信仰と安曇族 : 民族学伝承ひろいあげ辞典

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「ひめ」という言葉の語源
「「ひめ(姫・媛)」という言葉の語源は、太陽や神聖さを表す「日(ひ)」と、女性を意味する「女(め)」を合わせた「日女(ひめ)」に由来します。
古代において、天皇や貴族などの「天孫・天神系」の尊い女性を表す尊称として使われていました。」
これはAIの回答。
ところが中国人に「ひめ」と書かせると「卑女」になるから不思議だ。
「ひみこ」も日の巫女だったはずなのに、倭人伝は卑弥呼と書き残した。
なぜだろうか?
「ひめ」はかつて生贄の人身御供を指した言葉ではないのか?
それは言い換えれば神にとっての卑しい女。
生贄になる処女全般を記録や伝承は多く「娘」と書くが、それはつまり比売=卑売である。
もちろん筆者の空想でしかない。
いずれにせよ、神聖と卑俗は裏表である。
表裏は常に一体である。
西洋に於ける悪魔がもともと天使だったように。
墜天使。
かつて人は女を卑なるものとしてきた。
(この記事は書きおろし)
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これはAIの回答。
ところが中国人に「ひめ」と書かせると「卑女」になるから不思議だ。
「ひみこ」も日の巫女だったはずなのに、倭人伝は卑弥呼と書き残した。
なぜだろうか?
「ひめ」はかつて生贄の人身御供を指した言葉ではないのか?
それは言い換えれば神にとっての卑しい女。
生贄になる処女全般を記録や伝承は多く「娘」と書くが、それはつまり比売=卑売である。
もちろん筆者の空想でしかない。
いずれにせよ、神聖と卑俗は裏表である。
表裏は常に一体である。
西洋に於ける悪魔がもともと天使だったように。
墜天使。
かつて人は女を卑なるものとしてきた。
(この記事は書きおろし)

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