黄金のアフガニスタン展: 緑の風
間近で見た新羅金冠の原形 燦然と輝く姿がよく似ている : 文化 : ハンギョレ新聞
一挙掲載 スキタイとアイアンロード 1 : 民族学伝承ひろいあげ辞典
ケルト人と謎の古代人スキタイ(5)|髙島吉人
忘れへんうちに Avant d’oublier: 09.2009
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ペルシア国王と新羅王女の結婚記録
「両国の交流は長い歴史をもつ。ペルシアの大叙事詩『クシュナメ』には約1,300年前にペルシアの王子が新羅の王女と結婚したというストーリーが記されているが、それほど両国の縁は深い。『クシュナメ』は501年~504年と1108年~1111年に書かれた叙事詩で、イスラムとの戦争に負けたペルシアの王子「アビタン」が中国を経て新羅に至り、新羅王女の「パララン」と結婚した後、王朝復興の夢を抱いて帰国するというストーリーである。」
写真で見る韓国とイランの長い交流の歴史 : Korea.net : The official website of the Republic of Korea
世界で見つかるスキタイ系遺物
グリップエンドに渦巻き状の触覚のような装飾がある剣。

ロシア・・・チェルトム・ルイク古墳
カザフスタン・・・ペスシャトル古墳
中国・・・吉林省烏拉街、
同・西荒山屯、
同・汪屯、
遼寧省西岔溝、
河北省小白陽、
内モンゴル自治区毛慶溝各遺跡
北朝鮮・・・平壌市土城洞墓
韓国・・・大邸(テグ)
日本・・・対馬市タカマツダン遺跡、
同・サカドゥ遺跡、
佐賀県唐津市柏崎遺跡
●三翼式青銅鏃 さんよくしき・せいどう・ぞく(やじり)
翼が三方向についた銅鏃。

「…スキタイ高塚の発掘は18世紀に始まり今日に至るまで継続され,レニングラードのエルミタージュ美術館を中心に多くの金銀製の華麗な出土品が収集されている。
考古学上のスキタイ文化の特色は,
(1)アキナケス型の剣,三翼式青銅鏃(直進性にすぐれ,命中率が高いとされる),闘斧,投槍,ゴリュトス(弓矢筒),札甲などの武器,
(2)轡(くつわ)などの馬具,
(3)動物意匠の特異な装飾美術,
とされる。これらの文化的要素の成立については,今日なお研究者の間に意見の一致をみないが,先行する木槨墳文化の伝統の上になんらかの外来の要素が加わって成立したのではないか,という見解がしだいに有力になりつつある。…」コトバンク
ミヌシンスク
カザフスタン・・・ペスシャトル古墳
モンゴル・・・ホフド、
ウリヤスタイ
日本・・・壱岐市原の辻遺跡、
福岡県那珂川町安徳台遺跡
福岡市姪浜遺跡
福岡市クエハマ遺跡
島根県出雲市姫原西遺跡
兵庫県芦屋市会下山遺跡
宮城県栗原市伊治城跡
(日本では新羅式歩揺山形金冠などといわれてきたが本来はスキタイ様式。いわゆる藤ノ木型王冠)
歩揺式王冠の一種


ロシア・・・ホラフチ古墳、ティリャ・テペ、サルマタイ女王墓
カザフスタン・・・イッシク古墳
中国・・・遼寧省(旧北燕国)北票房身二号墓、同・馮素弗墓、同・三燕(旧鮮卑)喇嘛洞IM七墓、内モンゴル自治区ダルハン・ムミンガン(烏桓・鮮卑・エヴェンキ族など)
韓国・・・旧新羅天馬塚古墳・瑞宝塚古墳
日本・・・藤ノ木古墳
●銅鍑(どうふく)

1~3世紀の青銅の鍋。湯沸し。
スキタイや匈奴が使っていた携帯用鍋
取っ手が両側にある。オルドス式ともいう。
「エニセイ川源流域は古くより匈奴、鮮卑、柔然、突厥、回鶻、黠戛斯、モンゴル帝国など多数の国家が興亡した地であり、テュルク語系諸族のほかモンゴル語系諸族、サモエード語系諸族、ケット語系諸族などが雑居していた。伝統的にシャーマニズム信仰が浸透していたが、18世紀ごろよりモンゴルを経由してチベット仏教(ラマ教)が伝来し、これに伴い他のテュルク系と比較して、モンゴル系と同化する傾向が強くなった。19世紀末には露清間の係争地となり、1914年にロシア帝国の保護領となった。」Wikiトゥバ人
カザフスタン・・・イッシク古墳、ペスシャトル古墳、クルチン
中国・・・吉林省老河深、新疆ウイグル自治区新源県、内モンゴル自治区ホリンゲルほか多数
北朝鮮・・・麻線村東山坡
韓国・・・金海大成洞古墳、金海良洞里古墳
日本・・・長崎県対馬市上県町佐護クビル出土(東京国立博物博所蔵)
東京国立博物館 - 展示・催し物 展示 平成館(日本の考古・特別展) 弥生時代の祭りの道具―銅矛、銅剣、銅戈と銅鐸― 作品リスト
●馬冑 ばちゅう
馬の顔面よろい

陜川慶尚南道 玉田M3号墳加耶時代・5世紀 国立晋州博物館蔵
日本・・・和歌山県大谷古墳(九州式石棺あり、紀氏古墳か)
福岡県古賀市船原古墳https://mainichi.jp/articles/20161029/ddl/k40/040/470000c
埼玉県行田市埼玉 将軍山古墳
https://blogs.yahoo.co.jp/nagurikann05/64098246.html
大陸では北魏などの鎧馬騎俑や高句麗の鎧馬壁画に表現されている。
馬冑をスキタイが使用したかどうか不明だが、「馬面 ばめん」ではヒットする。
「馬の額や鼻をおおう馬具の一種。防御と装飾を兼ねている。スキタイなどの騎馬民族が使用していたものが,中国に広まったものと思われる。革,青銅製。日本では古墳出土のものはごくわずかで (和歌山県大谷古墳) ,埴輪の馬にもその着装の様子を示すと思われるものが若干あるにすぎない。平安時代の唐鞍 (からくら) に着ける馬面は銀面と呼ばれ,鍍金銀製で額に挿頭花 (かざしのはな) を飾ることがある。 (→馬具 ) 」コトバンク馬面
「うまづら」が検索の邪魔をする。藤田まことに用はないのに・・・。
b アゾフ海北岸、ベルジャンスク古墳から金製動物闘争文馬面が出土。ツィンバルカ出土の金製グリフィン文馬面とまったく同じ形態
●積石・木槨・刳抜式木棺
韓国の大成洞(テソンドン)古墳に代表される遊牧民様式。
ロシア・・・バジリク古墳、サビリク古墳など
カザフスタン・・・ペスシャトル古墳
モンゴル・・・ノイン・ウヲ古墳
中国・・・新彊ウイグル自治区阿拉溝
北朝鮮・・・平壌梧野19号
韓国・・・慶州皇南洞古墳、中山里古墳、金海大成洞古墳、釜山福泉洞古墳
日本・・・奈良県桜井市ホケノ山古墳、鳴門市萩原古墳
その他のスキタイ的風習
●動物糞を燃料にする
●断熱材として糞を壁に塗る
●馬を犠牲に殉葬する
●振り向きざまに馬上から弓を打つ(パルティアン・ショット)
●武器を折り曲げて副葬する
●ファイアンス製玉 (エジプトのとんぼ玉、ガラス以前の素ガラス)を持つ
糞を利用する風習は、日本神話のスサノヲがアマテラスのイスの下や、戸口に糞をして塗りたくった行為に似る。またスサノヲの所業は、その多くが農耕、田んぼを壊す行為で、騎馬遊牧民にとっての敵への行いに相当するという考えもある(山口博)。
要するに新羅はバクトリア(今のカザフスタンやアフガニスタン地域の盆地国家で騎馬民族)などのイスラム圏とえにしを結んだ。記録には新羅の姫を嫁にさしだした記事があり、同じ歩揺式の金冠が出土する。それは新羅民族がそもそもスキタイ系、トルキスタン系、あるいはモンゴル系騎馬民族つまり匈奴だったからではないかと筆者は言いたいのであり、ひいては百済でも中国経由で彼らの技術者が贈られており、倭国でも彼らが百済から献上されているのだとも言いたいのだ。
ケルト人と謎の古代人スキタイ(5)|髙島吉人
「新羅がローマ文化をもっていた王国であったとする時代は、「前史末期261年~第2期540年」とされており、この時代の古墳の副葬品から、新羅の貴族文化は北方の「スキタイ文化」や高句麗文化と類似する。とされているのです。
中でも、新羅古墳独特の「積石木槨墳」という墳墓の構築法は、中華にも高句麗、百済にもない「スキタイ人」とその末裔の民族に特有のものである。という点が非常に重要になっています。
新羅の古墳で多く見つかっている樹木型の黄金冠は、南ロシアのアレクサンドロポールのサルマティア人の古墳や、同地方のノヴォチェルカスクでも出土しています。
こちらも大変豪華なつくりとなっており、冠の台輪には紫水晶・柘榴石・真珠を嵌め込み、上部には写実的な樹木2本と鹿三頭を配置しています。
このように鹿と樹木を配置する意匠は、南ロシアからイラン地方にかけて広く広がる図案であり、この樹木は生命水を与える聖樹として、インドの「リグヴェーダ」にも記されているようです。また、ゾロアスター教の聖典である『アヴェスター』の賛歌には、世界の一切の植物の種子を集めた「聖樹」のことがでています。『樹木にとまる鳥はその枝を剥ぎ、あるいは落ちた種子を集めて天に運ぶ。種子はそこから雨と共に地上に落ち、新しい植物となって生育する。』

スキタイは自然信仰を取り入れ、大自然を敬い、学びを得ていたと考えられます。その中でもとりわけ「水」を最も重要視していました。
「ケルト人と謎の古代人スキタイ(3)」の中で、スキタイ人の祖先の「タルギオス」は、ギリシャ神話の全知全能の神「ゼウス」と「ボリュステネス河の娘」との子供である。と述べましたが、「ボリュステネス」とは「ドニエプル河」のことなので、「自分たちは川を流れる水に育まれ、先祖として心から敬っている」と解釈して良いかと思います。
更に言えば、『ボリュステネス河流域のステップのヒュライアの森に住んでいた半女半蛇の女を、スキタイ人は自分たちの民族の祖とみなしていた。』
の「半蛇」の「蛇」は、「龍」と共に、蛇行する川を表しており、世界各地
で崇拝の対象となっています。龍神やインドから東南アジアの蛇神(ナーガ)は、時に荒ぶり、時に恵みをもたらす大自然の川を崇め奉るためのものとされているのです。
また話を樹木冠に戻しますが、1978年にアフガニスタンの「ティリャ・テペ遺跡」から金冠が出土し、新羅の金冠とそっくりである、と話題になりました。この地方は、かつてグレコ・バクトリア王国が栄えた地域で、ギリシャ人王国として代表的なヘレニズム国家でした。
この樹木冠の発掘者は、ソ連科学アカデミー考古学研究所上級研究員のヴィクトール・I・サリアニディという人物です。こちらの冠は発掘時に、高貴な女性の額にあり、棺内から発見された「聖なる結婚」を浮き彫りにした黄金の装飾板や、粒金細工のネックレス、有翼のアフロディテ像などから、「スキタイの女王」ではないかと、発掘者から報告されています。アフガンのマギと頻繁に交流を持っていたスキタイであればその可能性も十分に有りうると考えられますが、スキタイの歴史を掌握したソ連(ロシア)がアフガニスタン戦争を開始した1978年に発表されたという点が少々気になります。 ちなみに、日本国内でも樹木冠が発掘されていますので、場所のみ記載いたします。・奈良県斑鳩町 ・群馬県前橋市 ・福井県松岡町 ・滋賀県高島町 ・茨城県玉造町

スキタイは今まで見てきた通り、遊牧騎馬族で極めて有能な傭兵ですので、褒美として上記した黄金製の刀剣や装飾品などを受け取ってきていたことは、落合史観において既に述べられていることです。
また、スキタイ独特の「積石木槨墳」ですが、新羅古墳以外の地域でも発掘されています。
北アジア、カザフスタンの「イリ川」流域にはサカ族の大規模な古墳群が点在していて、新羅の積石木槨墳と同似の築造法となっています。これらのサカ族の積石木槨墳は、南ロシアに根拠地を置いたスキタイの古墳の築造法を継承しています。そしてイリ盆地のサカ族の領土を継承したフン族もまた、そのサカ族の積石木槨墳を継承していたのです。」
どうやら古代は思っているよりグローバルだったようだ。
少なくとも東アジア諸国(隋唐、朝鮮半島)国家は中東地域とのつきあいを5世紀までに始めていたらしいのだ。飛鳥にペルシア人が贈られたのは皇極女帝の時代である。
蘇我氏も聖徳太子もどうやらスキタイ系民族を観ていた・・・どころか彼らが最初の寺を建てたり、エンタシスを持ち込むのを知っていたわけだろう。
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