パーントゥ・プナハ(宮古島大神島の大神御嶽)http://www.youtube.com/watch?v=sTlzU1e5-RU
 


ユネスコ登録か!記念 来訪神・まれびとの祭り一覧・改訂版・パーントゥ・シロマタ・シラヤマなど : 民族学伝承ひろいあげ辞典


パーントゥとはパーンとピトゥで、人を喰う魔物だという説がある。それは海からやってくると言われる。魔物と言うよりもボルネオなどの精霊が近いが、まれびとは神として迎える物で、それが人を喰らうというのは研究するべきことかもしれない。

 民俗学の若き研究者・須藤義人は、琉球列島のマレビト芸能の多くが、もともとは平安時代の熊野補陀落信仰の影響下に生まれたとしているが、その半面で、熊野太陽信仰の大元にある猿田彦の名前が、琉球あたりから「ヤシの実を運ぶ黒潮に乗って、日本本土に来た」と、まったく真逆な説を肯定しようとしている。(『マレビト芸能の発生 琉球と熊野を結ぶ神々』芙蓉書房出版 2015)

一方で琉球のマレビト芸能が熊野から来るといっておきながら、猿田彦だけは琉球のサダル神から逆輸入されたとは、まことに奇妙な話である。

さるたひこは伊勢~熊野にかけての紀伊半島東部の広くに行き渡った「太陽神」であり、それは熊野というよりは、もともと伊勢・鳥羽・賢島以南の海部・海人たちの土地神として、天武・持統朝にアマテラスが統一されるべき国家神・皇祖神としてクローズアップされたときに、その地域を伊勢神宮建設のために譲ったとされる太田命の祖人である。

猿田彦が天孫降臨で、はじめてニニギの眼前に登場したときに、本来アマテラスのそば女であり、ダンサーだったアメノウズメを妻として娶らされたのは、いうまでもなく、伊勢旧族たちの国家への反駁を見張らせるためであり、それが猿女君となって、伊勢の猿田彦神社境内で、神殿に対面する「神霊の監視」位置に置かれるわけもここにある。つまりウズメは地方豪族太田命なる氏族のための”S”として送り込まれたのであろうことは明白である。


琉球、奄美、鹿児島南部などに残存する、マレビトの芸能や祭の大元を、では果たしていずこに求めれば正しいのだろうか?



上記再掲載した記事では、筆者は、岡正雄の説いたポリネシア・メラネシア由来説をとりあげた。そもそもマレビト、来訪神の原始的信仰の形態は、中国少数民や台湾原住民、ボルネオ~南太平洋の島々に、来訪神信仰として根強く、そして広範囲に残された原始的な民間信仰であることは、その類似性が証明する。

しかし、一方では、あとの時代になってから、もともとあったマレビト神たちに、本土移民が意図的に入れられることで、同化策としての仏教由来の補陀落信仰や修験道のしらやま信仰といった、「被差別同化対策」「民族統一」「国家統一」の手段としての侵入もあったことは確かである。


※中国・韓国の大道芸や仮面劇の影響もないかどうか踏査すべき。
もちろんオーストロネシア島嶼文化の影響も同じく。

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