布刈神事

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和布刈(めかり)神事は
「※神功皇后が※三韓征伐からの凱旋を祝って、自ら神主となり、早鞆の瀬戸のワカメを神前にささげたという古事に由来しています。

[4世紀後半頃の伝説的人物で仲哀(ちゅうあい)天皇の皇后]
[神功皇后の馬韓・弁韓・辰韓征伐の物語]

昔は「神事を見ると目がつぶれる」と言われ、神罰を恐れて拝観する者はありませんでしたが、戦後から拝観は解禁となっています。行事は、毎年旧暦元日の早朝に行われます。

横代湯立神楽(よこしろゆたてかぐら)が奉納された後、3人の神職が干潮の海に降りて鎌でワカメを刈りとり、それを神前に供えて航海の安全、豊漁を祈願します。漆黒の闇を背景に烏帽子、狩衣、白足袋に草履姿の神職たちが、松明を頼りにワカメを刈りとる様子は幻想的で、関門海峡両岸の人々に春の訪れが近いことを感じさせてくれます。」
和布刈神事(めかりしんじ) - 北九州市
【県指定】和布刈行事 - 北九州市

門司区大字門司3492番地 和布刈神社
和布刈神社(めかり神社)
別名「隼人社」(はやとしゃ)
御祭神は、天照大神の荒魂「撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめ)」。別称を「瀬織津姫 せおりつひめ」といい、潮の満ち引きを司る神である。Wiki

毎年旧暦元旦に行われるとニュースが言うから、今日がちょうど旧暦元旦だということになるのか?


さて・・・
撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめ)
=「天照 アマテラス 大神の別名。 天疎向津媛 アマサカルムカツヒメ 命は「天を遠ざかる流星の女神」の意。 向 ムカ は 甕 みか の変化で流星の意。」

新羅国しらぎのくに征討を神託・助力した神撞賢木厳之御魂天疎向津媛ツキサカキイツノミタマアマサカルムカツヒメ命(ツキサカキイツノミタマアマサカルムカツヒメ)は『日本書紀』神功じんぐう皇后摂政前紀 仲哀ちゅうあい天皇九年三月の条に登場する神である。
仲哀ちゅうあい天皇は神功じんぐう皇后に憑依した神による新羅国しらぎのくにを攻めるべきという神託に従わなかったため、神の祟りを受け崩御してしまう。その後、神功じんぐう皇后が改めてその神託をした神に名を尋ねたところ、次のような神々だとわかる。
・神風かむかぜの伊勢国いせのくにの百伝ももづたう度逢県わたらいのあがたの拆鈴五十鈴宮さくすずいすずのみやに居る撞賢木厳之御魂天疎向津媛ツキサカキイツノミタマアマサカルムカツヒメ命
・尾田吾田節の淡郡に居る神
・於天事代於虚事代玉籤入彦厳之事代アメニコトシロソラニコトシロタマクシイリヒコイツノコトシロ神
・日向国ひむかのくにの橘小門たちばなのおどの水底に居る表筒男ウワツツノオ・中筒男ナカツツノオ・底筒男ソコツツノオの神
神功じんぐう皇后はこれらの神々をその教えのとおりに祀まつり、後に神々の助力を得て新羅国しらぎのくにを攻め、降伏させたという。
その後、神功じんぐう皇后はそれぞれの神の神託に従って次のように神々を祀まつっている。
・表筒男ウワツツノオ・中筒男ナカツツノオ・底筒男ソコツツノオの荒魂あらみたまを穴門の山田邑に祀まつった。
・天照アマテラス大神の荒魂あらみたまを広田国に祀まつった。
・稚日女ワカヒルメ尊を活田長峡に祀まつった。
・事代主コトシロヌシ尊を長田国に祀まつった。
・表筒男ウワツツノオ・中筒男ナカツツノオ・底筒男ソコツツノオの和魂にきみたまを大津の渟中倉の長峡に祀まつった。
甕の章/撞賢木厳之御魂天疎向津媛命 - 流星と昴の日本神話
神社によればだが・・・この女神は天照大神の荒魂だというからアマテラスの分身・・・つまりは同一神で、神功皇后でもあるらしく、その神とは神社の別名である隼人族の神であるらしく、それが同時に瀬織津姫であり、神功皇后が新羅征伐の後、尾田吾田節の淡郡に居る神を祀り、表筒男ウワツツノオ・中筒男ナカツツノオ・底筒男ソコツツノオの和魂を祀り、事代主も祭った。

尾田とは現、三重県鳥羽市の加布良古の古名)の吾田節(後の答志郡)の淡郡(粟嶋= 安楽島)に居る神」と名乗った一柱の神が稚日女尊(わかひるめのみこと)であるとされており、元々の鎮座地は三重県鳥羽市安楽島の伊射波神社(式内社 粟嶋坐伊射波神社二座 並 大)に比定されている。

ひるめというのはアマテラス(ひるめむち)の神格の一種だろう。アマテラス=わかひるめ=ひるめむち=神功皇后で、それらは阿多の隼人が祭る神々であり、宗像の住吉三神も一緒に祭り、出雲の事代主も祭ったのだから、全部海の神たちだ。つまり阿多隼人は宗像も安曇も出雲も一緒に祭ることになろうか?

和布刈神事を執り行う地域
出雲 
和布刈(めかり)神事、島根半島の西端、出雲市大社町宇龍(うりゅう)地区の人々に伝わる神事で、日御碕神社

伊勢
海士潜女神社の「荒海(あらめ)神事」(三重県) 五月晦日「荒海神事」と称し、アラメを刈り取り神饌とします。

豊前
など伊勢と出雲にもあり、北九州には集中的に点在。


これでわかったことは、
1 アマテラスと神功皇后に関わる祭事や記事が増えるのは、宗像君徳善の時代である。それは天武に徳善が娘を嫁がせることで外戚になったとされる時期である。

2 阿多隼人が宗像氏や安曇部や出雲・伊勢の海部に関わり、彼らはひっくるめて白水郎(あま)と呼ばれていた。その時期も天武の頃である。

3 したがってアマテラス信仰は天武~持統の時期に発案され『日本書紀』に挿入された。また宗像氏の力が薄れて後に、神功皇后や息長氏、その血脈のもとになる継体天皇よる政権交代挿入した理由蘇我氏から藤原氏への政権交代正統化ためだと推定きる

4 出雲に和布刈神事を持ち込むのも隼人・宗像氏であり、敗北者最大の神にそれをさせることで、全国の海部の反対勢力を抑え込むためである。

5 旧邪馬台国勢力の抑えとしてアマテラス=神功皇后=卑弥呼を匂わせる必要性があった。


6 継体大王以前の大王が実在したかどうか怪しく、持統以後が(藤原氏にとっては)天皇家である。それ以前は蘇我氏以前の大王家であり、その前は物部王家、その前は葛城王家で『日本書紀』には書かれていない王家がいくつもあった。




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