●山辺郡額田邑 熟皮高麗
渡来人によるなめし皮の記述
1 仁賢紀6年是歳条
「日鷹(高)吉土,高麗より還りて,工匠須流枳・奴流枳(するき・ぬるき)等を献る。今大倭国の山辺郡の額田邑の熟皮高麗(かわおし・こま)は,是其の後なり」

2 『新撰姓氏録』大和国諸蕃
「額田村主」は呉=百済系」とあるので、仁賢紀にある「高麗」を高句麗と捉えるよりも、時代によっては「こま」=朝鮮半島全域と見ておくことも必要だろう。



「かわおし」
なめし皮職人
律令制のもとで、官衙・寺院にある工房で皮革工人として従事。「おしかわ」とも。
多くは朝鮮系渡来人。
一般民=良民と賤民の中間に置かれた。総じてこれら職人・工人を品部と言う。
扱う皮革は馬・牛・鹿・熊・猿その他。
履・靴・鞍・鎧武具・靭・ふいごなどを製作。
松葉の煙でいぶす燻革(ふすべがわ)や染め革なども作成。

身分は低いけれどと殺・解体処理業者より皮加工は上か。またそれを商う皮屋や切り皮屋はもうひとつ上だったらしい。
今で言えば靴屋・かばん屋よりなめし皮作りは下ということか。

皮屋から出た著名人・・・千利休・今井宗久・津田宗及・武野紹鴎ら堺の皮屋の子せがれである。

通称「かわた」
「かわかおう」=皮革行商人を室町期に呼んだ言葉。夕方やってきたので「皮買おう時」(「かはたれどき」を文字って)という言葉が流行った。

古代から「皮」を「川」に洒落て隠語としていた可能性がある。
桂川あたりの河原者をたばねて葛野を開墾させたのが秦河勝なら、それが皮屋のスグリと呼ばれてもおかしくはあるまい。堰を作ったというけれど、実はそれがどこにあったか痕跡すらわかっていない。本当に彼は「川のスグリ」だったのか?皮王だった?

ともあれ、江戸時代の長崎では、皮職人が死刑執行の役をさせられた記録もある(『長崎オランダ商館の日記』)

「皮革の加工文化は、民族によって多様である。気候、風土、生活様式、文化などによって加工方法は変わるからだ。ヨーロッパなどの大陸の場合、近隣地域との交流によって、さらなる技術がもたらされる場合も多かったという。
日本の場合、大陸から渡来した「熟皮高麗(おしかわこま)」「狛部(こまべ)」といった呼称の工人たちが革の加工技術を伝えた。つまり、日本の革の歴史は、1000年以上も前にさかのぼることができるのだ。播州姫路地方で当時より革のなめしが盛んに行われ、なめしの工程は、瀬戸内海産の塩による原皮処理→浅瀬で洗い流し→石河原での川漬→脱毛→塩入れ→加湿→菜種の油付け→揉み→さらし→革洗いの反復作業で行われていた。海が近い姫路は、まさに革の加工にピッタリの土地だったのだ。
そのほかの地域でも、同様の技術によって革の加工が行われていた。日本が諸外国に門戸を開く江戸時代までこの技術で革の加工がされ、革は鞍や文庫などに珍重された。現代の主流となっているタンニンなめしやクロムなめしは、明治時代になって伝えられ、現在にいたる。」







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① アイヌ・蝦夷
② 関東東京浅草、墨田川・荒川沿線
③ 甲州印伝

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④ 京都塩小路天部地区・奈良大和額田邑の熟皮高麗
⑤ 姫路・神戸・豊岡(エイ皮を鮫皮と言う)
⑥ 香川(皮手袋シェア100%)
⑦ 北九州(歴史的に最古)、熊本(馬)


「日本でかつて多用されたのは鹿革。馬の脳髄から取り出した「脳漿(のうしょう)」で革をなめしていた。この技術は昭和30年代まで各地に伝承されていたが、今では終焉してしまっている。また、なめし終わった鹿革の白革をいぶして染色を行うのが、ふすべ(熏べ)革だ。これが現在では数少なく
なった、印伝の作り方のひとつ。」





三浦圭一
「死者を埋葬しその着衣を拾得することは、死者の死穢(しにえ)、生前の悪業に染まった着衣を脱がせ死者を清浄にし、善根のみを残して、死穢・悪業の一切を非人自らのものとする、まさに生身菩薩の行業であった。牛馬にとって衣裳にあたるのが皮革に他ならない。人間の死者が売買できないと同様、死した牛馬も売買できない」
「生業と差別――近世への転回――」

つまり動物の皮をむく行為とは、死んだ生き物への回向であり、清浄化であったと言うのである。
すると神話のスサノヲの皮剥ぎ行為もそうした、農耕への清浄観念であるとも考え付く。

面白いのは、もっとも人が忌み嫌うキヨメる仕事をする者は「えた・ひにん」とされて不浄とされたことである。
人類のやることの多くに、実はこうした「最重要なものは最下層が行う」観念が世界共通して存在する。

そして経済社会でも、最重要な仕事は儲からず、無意味なひまつぶし芸が売れるという法則がある。
最も高貴で聖なるものは金にならず、最も不要に見えるものこそが高額取引されるのと同じであろうか。逆に言えば金銭の高い低いが必ずしもそのモノの価値ではないということになる。
もっと明確に言うならば、高額所得者の仕事が必ずしもこの世に必要なものでない、ということが多すぎる、となる。

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