忍び手
神式葬儀の際は拍手の音をさせない。これを忍び手と言う。


柏手
「かしわで」とは拍手の扁が勘違いで誤ったために言うようになったという説がある。
なお拍手の数は、伊勢・宇佐・出雲大社・及び弥彦神社は二礼四拍手一礼(伊勢では神職は腰を下ろして行う)。ほかは流行によって決まりないが、現代は二礼二拍手一礼が通例となっている。
四拍手を死拍手だとする考えは神社にはない。往古三拍手が流行った時期もあった。
神宮ではない出雲大社はなぜ四拍手かと言えば、出雲大社の中心の神が、大国主ではなく、大国主を監視するアマテラスなどの皇族祖霊である五柱の神々だからだろう。弥彦は天皇の親戚である饒速日だからか?宇佐は応神天皇。

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正面南側を向く神々は五つの客神で大国主は東側
五柱の神は天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神、宇摩志阿斯訶備比古遅神、天之常立神、で、神殿内には皇族すら入れない決まり。なぜ?



千木様式
二種類ある。伊勢神宮のように建物の柱がそのまま突き出る「破風」とそれ以外の「置き千木」。千木のカッティングには内そぎと外そぎがある。

木の切り方や鰹木の数になんの意味も見いだせない。

法則はなにもない。


伊勢神宮は女神ではない?
伊勢内宮を女神ではないとする説について・・・伊勢神宮は国家神道のモデルとして神社様式、祭り方、遷宮などを人々に知らしめるためのテーマパークと言ってよいだろう。

したがって中身などは気にすることはないと言っているらしい。強いて申すなら慰霊の形式の一つの形として、大和大物主は祟りうる神なので、巫女(かしぎ)を添えて鎮魂する「形式」が内宮には祭られていると言える。その巫女の一番えらいのが一応天照大神である。

要するに信仰心があるかないかが問題。神の名前はどうでもよろしと言うこと。祟り神を押さえる巫女も神様。天皇を名乗る初代・持統天皇もまた現人巫女神(あらひとみこがみ)。



神社様式
権現造り・・・飛雲郭のような造り。岡山県の吉備津彦神社、大分日田市の大原八幡宮、日光東照宮などがこれ。

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八幡造り・・・神殿と拝殿が前後に並び、間を金の樋でつないだもの。宇佐八幡宮。

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春日造り・・・切り妻造りで、妻入り(家で言えば屋根が切れている方向)正面に向拝(こうはい。要するに玄関)がある。春日大社。


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神明造り・・・春日の逆に「玄関」が横にあり(切り妻平入りという)、千木が屋根から大きく突き出るもの。伊勢神宮。

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流れ造り・・・切り妻平入で向拝の屋根がなく、神社自体の屋根を伸ばして兼ねる形式。一般的。

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大社造り・・・出雲大社。切り妻妻入り。高床。屋根に反り。千木が直線的。祭神が西を向き、配神が南向き。

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住吉造り・・・切り妻妻入り。中が前後2室ある。2K。住吉大社。

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浅間造り・・・富士山浅間神社のみの様式。二階建て。

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日吉造り・・・聖帝造りとも言い、日枝神社独自。千木がなく、左右にゆるやかなひさしががある。

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手水作法
最初に手水の水をすくい、左手、右手の順で手を洗う。
次に左のてのひらに水を注ぎ、口を注ぐ。決して柄杓から直接呑まない。そういう練習が終わった夏の運動部のような下品なことはしないこと。
もちろんこれは「みそぎ・潔斎」の代行行為であるから、神様の前にいくのに、忘れた人にご加護はあるまいというのが権威的発想だが、もともと神のご加護を期待するほどせっぱ詰まることがない人は好きにすればよい。ご加護があるかないかは問題ではなく、要は信仰心のあるなしである。


鳥居
鳥居の起源ははっきり言ってなにもわかっていない。
いくつか仮説を提示しておきたい。

1 韓国のソッテ起源説(しかしあれは上に鳥は乗っているものの柱が一本である。むしろお祭りのボンボデに近い感じ。ボンボデは長い棒の上に御幣が付いたもの。大名行列の槍に似る。)

2 坑道(間歩)の木組み(少なくとも稲荷神社の連続する鳥居はそっくり)

3 タイのアカ族(少数民族)の部落にある入り口の門・ロッコーン。(確かにそっくり、おまけに連続三角紋まで刻まれている。これは夢枕莫氏がはまっている説)

以上。他になにか? 


境内配置
境内の各部品は主に地形と風水によって決まる。
たとえば手水(「ちょうず」と読むのよ)は風水の水気だから干支の龍でつまり青龍だから、方向は東にあるはず。もちろん例外はたくさんある。

最も古い形式は大神神社や諏訪神社上社前宮のように拝殿だけで神殿がなく、よりしろの山がそのままご神体となっているもの。

狛犬は仏教の守護神から来たからあってもなくてもよい。あればなおよろし。

東日本以北では、記紀、神祇令発行後の神社がほとんどなので、還ってルールが守られている。つまらないとも言える。これは要するに中央の権力に屈した証である。

神社と寺院は仏教伝来定着以降は本来同居するものであった。
かつては大きな神社には必ず「神宮寺 じんぐうじ」が存在し、山門が作られた。明治時代の富国強兵、天皇主権のイデオロギーが廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)を引き起こし多くの著名な神宮寺や寺院が焼かれた。
かつては大宮司が神宮寺大僧正の兼任であることが多かった(筆者実家もそうだった)。廃仏毀釈後、これらの大僧正が職を失い還俗した。



祭神決定法(明治~昭和初期)
かつて由緒不明の神社は山ほど有り、明治~昭和に祭神を勝手に民俗学者が決めた時代があった。
地方の小社で、由緒を紛失したところなどは、現在の祭神が記紀神話の神を「とりあえず」置いたケースが多いと言う。
記紀神話は国家神道の統一が目的で書かれているのであるから、書かれている神はすべて地方の言い伝えなどから創作した神であろうという考え方が前提となる。


山王鳥居
さんのうとりい
東京都北区田端、日枝神社が代表的。

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東京都北区田端、日枝神社山王鳥居


明神鳥居系中山鳥居の上に三角の屋根型部位が付随したもの。
こういう形の門を持つハイカラさんのおうちを最近けっこう見る。いうならばピラミッドパワー的。
日枝神社は山王(スサノオ起源とする山の神さんだわ)信仰で、要するに白岳、白山、宮地嶽などの山岳=鉱山信仰であるから、当然修験や密教に関わる神社・日吉神社なども同じ。西日本にはめったにないようだ。



参考文献『神社の見方』外山晴彦・サライ編集部 小学館より




神社ミニ知識過去記事をとりまとめた。



おまけ
黄色い鳥居の意味は星、土、中央、キツネ

なぜ黄色い鳥居があるのか?
陰陽五行で黄色は土、中央を意味する色。



吉野裕子『狐』(法政大学出版局)は、農耕文化では特に「土」気が重要で、「狐の黄色」、「黄色によって象徴される土徳」、「この土徳即年穀の恵みへの期待」、すなわち狐は土気(どき)の象徴だとする。

科学的に理性的に言うなら、まず鳥居に色を塗るのは第一が腐食防止であり、本来何色でもよい。しかし古代、一番多かったのが水銀の赤である。そのことこそが「腐食を防ぐ」=「僻邪」「魔よけ」「生命力」につながり宗教性を持つ理由であると考えられる。建造物への彩色は、日本では遅く、中国から取り入れられた。その前はすべて「きなり」である。材木のそのままの色だった。
では黄色はなぜなのか?

その多くを山岳で見かけることが多く、筆者が最初に見つけたのも県内の尺間神社だったことから、山岳信仰と黄色い鳥居が関係していると見ている。


別府市尺間神社の黄色い鳥居
尺間(しゃくま)は、一歩一歩尺取虫のように山を登ることから出た。


陰陽五行の土気は、山岳の頂上でもあろう。山頂は上空から見れば丸い山麓の中心つまり中央を意味するので「土」になる。そこを目指す山岳信仰に黄色い鳥居が多いのではないか?吉野の言う稲荷=狐=黄色もあるだろうが、愛知県豊田市の猿田彦を祭る猿投(さなげ)神社も黄色い鳥居で、キツネだけではない猿だって黄色いのだ。さなげと読むからわかるだろうが、ここは「さなぎ」つまりきっぱりと言うが製鉄の神である。もとより製鉄、精錬などの重工業と五行の黄色・土=大地は当然、山岳密教と深くつながっている。というよりも修験の副目的は博物学特に薬草と鉱物である。これは中国商=殷の時代から夏王禹が山岳彷徨して薬毒草や貴金属などを不老長寿のために探した頃からなにも変わらぬ所業である。


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では黄色を科学的に考えると霧の中で可視率がよい色とされてきた。例えばフォグランプはかつてたいがい黄色であった。あるいはカナダの霧の名所セントジョーンズ市では、すべての消火栓を黄色く塗っている。その方が見つけやすいという理由だ。霧のない都市では普通はやはり見つけやすい赤を用いるところが多いのであるから、黄色が霧でも見えやすいというのはなかなか山岳も霧が多いから納得しやすい説になる。ただし、理化学的に間違いなく黄色がスモークの中で発見しやすい色No,1かどうか論文を知らない。そういえば昨今のフォグランプは黄色くないそうだがこれは科学的に新しい技術が生まれたからだろう。

カラスは黄色いゴミ袋だと生ゴミをあさらなくなるそうである。鳥は黄色を嫌がるのか?もしそうなら黄色い鳥居は赤より汚れにくいことになるが?であるなら鳥が黄色い羽を持つのは敵からの保護色だとなりなるほどとなる。もっとも、鳥居は鳥が止まってくれることが目的でもあるから、この説ははなから意味がなくなるが。鳥は太陽の使者なのであり、魂を運んでくるので、神社などは極力留まってもらいたいわけだ。

太陽信仰は、日本で最古は弥生時代、2世紀後半の倭国の乱前後に、北部九州で漢鏡を欲するようになった頃が始まりで、理由はその時期が寒冷期だったからである。だから鏡は、雲や火山灰で隠れてしまった太陽の再来を望んだ、その代用だったことになり、九州で巨大な内向花文鏡が作られたのはそのためである。内向花文の模様は花ではなく太陽光を表しているから、花文という名前は早く変えるほうがいいと筆者は考えている。あれは陽光鏡なのだ。しかも内向でもなく、外向である。そとへ燦然と光を放つ太陽の鏡なのだ。わかっちょらんね、考古学者は。





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(次回、卑弥呼の鏡は内向花文・画文帯、どっちか?を書きます。お楽しみに。)

鏡の祭祀が始まると、それまで九州での祭具だった銅矛=武力開拓の象徴は少なくなっていった。近畿に鏡のブームが及ぶと、そっちでは銅鐸が消えた。出雲では銅剣と銅鐸両方が消えたのである。これは信仰の一大変換であった。神そのものも変ったのである。しかし本家の中国では鏡は僻邪の魔よけであり、倭国や公孫遼東の新興太陽信仰は「鬼道」でしかない。1~2世紀は大陸も九州もヒエラルキーの拡大上昇志向時代で、これは世界的に帝国主義的な時代である。普通なら農耕神に祈らなくても良いのだが、あいにく気候が悪化した。だから世界中で太陽信仰がにわかにムーブメントを起こして古い戦争の神にとってかわるわけだ。それはそのまま平和への祈りである母神の象徴でもあった。太陽神は女神として登場する。それで巫女が常にこれをなだめねば怒り出すわけだ。

黄色は大地である。つまり山岳修験者たちは、霧の中でも見つけやすい黄色い鳥居を峰入りの目印にしたのだ。それは彼らが最重視した大地母=グレートマザー=地球なのである。山の中心のそこは天の太乙=北極星でもあるから、土=星となり、どちらも「つち」と呼ばれた。星はなまって「つつ」地名になっている。そこは中心地という意味である。

民俗学者は、かつては平民にもやさしいはずだった言葉やモノや色の意味を、とかく難しく考える。
黄色い鳥居その意味 科学と文学から : 民族学伝承ひろいあげ辞典



黄色は陰陽五行で中心・・・これを「つつ」といい、つつとは土、星である。
山岳信仰や八幡信仰がよくこれを取り入れているらしい。


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