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斎藤幸平という哲学者が唱える(常に修正と修復を重ねているが)「人新世の「資本論」」は世界に反響をもたらしている・・・。と言う人がいる。

トランプならきっと「ステューピッド(おろかな)」と唾棄しそうなこの論理は、果たして私たちがいま求めている、資本主義でもなく、社会主義や共産主義でもない新たな生き方を教えてくれているのだろうか?

マルクスがかつてフランスやイギリスの効率的牧畜に唾棄した記録を、斎藤はとりあげて、肉を効率的に生産すること、そうやってできる牛肉を本来的な地球の牛ではない、いびつな牛だと思うのは、まさにビーガンたちの着想ではあろうが、それが正しいかと言えば、生産の効率化でできる牛がとかに関係なく、健康な野生動物の肉を、人類は氷河期に火を得ることで発見し、それによって脳を発達させ、毛皮で衣服を作り乗り越えて現在まで生き残れたという人類学や生物学の科学的論理を観ていない可能性を感じてしまう。

ビーガンのように野菜だけを摂取する食生活は、われわれの脳の進化をさまたげると今は言われている。果たして豆が肉に本当に代わりうるのだろうか?

野菜だけで人類は十分な栄養を摂れるのか?その視点をビーガンたちはもっと科学的に検証すべきではないか?

斎藤が考える、どうすれば悲惨な地球の現状を変化させ、化石エネルギーを食いつぶしてまで環境破壊してきた人類の生き方を変えられるかという思考には「まずもって無理で変えられない。なぜなら人類には欲望が強すぎるところが多すぎて、ほかのすべての地球上の野生生物のようには生きられない」と答えるしかないだろうと思えた。

藁を食い、馬にならねば、環境問題も食糧問題も絶対に改善すまい。
だからと言って、縄文人の暮らしを今自由と贅沢を知った現代人がそこへ戻れるはずもないではないか?


まして共産的で原初的な生き方はすでにいくつかの国家が失敗し、ある国は強硬的な新帝国主義へ走り出してしまった。彼らがかつて共産主義、今は社会主義に絶望を感じ、資本主義へと変換して久しい。その中でプーチンなどは結局は新社会主義つまり社会民主主義へ向かったものの、内実は資本主義経済により生き残れているわけだ。そしてそれでもだめだと判断し、再び東側帝国主義へ逆戻りしていったのを彼はどう見ているのだろう?

斎藤の夢物語はいったいどこに目的地を置いているのか、私にはまったく見えない、そういう番組を昨夜観た。わたしが思うのは、こういう昭和の食事だった。

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肉ではなく、豆デモもいいが、なぜ魚を選択しないか?
つまり戦前の日本人の暮らし方。それ以前にあった海人族の食と生活だ。
彼らは化石エネルギーなど一切知らず、重工業も持たず、海産物食と野菜食だけで私たち日本人という子孫をちゃんと残したのではなかったか?


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