今年の大河「光る君へ」は低視聴率ながら無事感動的な終焉を迎えた。終わってみれば脚本家おとくいの恋愛劇に仕上がっていたと見えた。だから歴史劇としてはルールに外れたが、恋愛ドラマとしては成功したと言えようか。

なんにせよ民放や映画が扱いにくい平安時代を取り上げたことは評価したい。

朝ドラでも苦労しているNHKだが、ドラマ自体が出尽くしている現代では、放映前に昔の人気作を再放送するなどなど、製作者も頭をひねらねばなるまいと同情する。

しかし例えば漫画ネタドラマの「団地のふたり」のようなどってこともない日常を上手に描き出した作品は高視聴率である。

今やドラマツルギーは平穏無事を好まれるようになったのだろう。戦争や災害が連続する今は、そういう時代なのだろう。わかる気がする。


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Tsutaya_juuzaburou


さて、来年の大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)〜は、江戸時代中期~後期の浮世絵版元のお話。
蔦屋重三郎は、本名は最初喜多川と名乗るが・・・


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「重三郎の本名は柯理からまるで、7歳の時に母と別れて喜多川氏の養子となった。「蔦屋」は喜多川氏が経営していた店の屋号で、重三郎はそこで幼年期を過ごした

安永2年(1773年)には吉原五十間道に面した「蔦屋次郎兵衛店」(正業不明)を間借りし、本屋「書肆耕書堂」を営むようになった

蔦屋重三郎 - Wikipedia



「蔦屋重三郎の生涯は次のとおりです。
  • 寛延3年(1750年)に江戸の遊郭・吉原で生まれ、両親は重助と津与でした。
  • 7歳の時に両親が離別し、「蔦屋」の養子となりました。
  • 20代で吉原大門前に書店「耕書堂」を開業しました。
  • 「吉原細見」や「黄表紙本」の発行に携わりました。
  • 東洲斎写楽や喜多川歌麿ら、江戸文化を代表する作家たちを見出しました。
  • 地本(江戸で出版した草紙本)が売れまくり、江戸の版元、「地本問屋」の代名詞ともなりました。
寛延3年(1750年)に江戸の遊郭・吉原で生まれ、7歳の時に両親が離別して「蔦屋」の養子となりました。 - Google 検索





なお直接関係はないが
「現在、レンタルビデオ・書店大手企業の1つである「TSUTAYA」は、創業者の祖父が営んでいた(置き屋)屋号が「蔦屋」だったことに加え、写楽など有名絵師を世に送り出した蔦屋重三郎にあやかって名付けられたともいいます。」
蔦屋重三郎とは?TSUTAYAの名前の由来になった浮世絵の版元!その人生を追う! | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!



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大河ドラマとして異例の町人の話だが、芸術としての浮世絵が流行る背景には江戸幕府の政策ミス的な部分を含むわけなので一応歴史劇にはなりうるか?

脚本は森下佳子(もりしたよしこ)
2025年 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺」/ホームメイト


なんとなく土曜時代劇でよさそうな気もするが、こうご期待?



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さてさて、今年も押し詰まり、明日はもう大晦日です。
本年もお世話になりました。よい年をお迎えください。

めっきり書かなくなったKawakatu亭より


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