昨日あげた「晋書)」 巻九十七 「四夷伝」 卑弥呼公孫氏也の信ぴょう性を書いておかねばならない。
この部分の解釈、翻訳では以下のような解釈が多いことを書いておかねばならない。
この部分の解釈、翻訳では以下のような解釈が多いことを書いておかねばならない。
「その(王)家は昔は男子を君主としていた。漢末に倭人は乱れ戦いあって安定しなかったので、女子を立てて王にした。名は卑弥呼という。
宣帝(魏の宣王、司馬懿仲達。晋の建国後、宣帝と諡された)が公孫氏を平らげると、その女王は遣使して帯方に至り朝見した。
「宣帝の公孫氏を平らぐや、其の女王 使を遣はして帶方に至りて朝見し、其の後 貢聘 絕えず。」
いつか読みたい晋書訳
宣帝は司馬仲達で公孫氏を滅ぼした。するとすぐ卑弥呼は帯方郡に朝貢し、魏にすりよった。
と読む解釈があるということは知っておくべきだ。
従って、女王卑弥呼は公孫氏なり とは限らないということを書いておかないとフェアな解釈とは言えないと自らの解釈を評価しなおすことにした。
もちろん昨日のように解釈するのもひとつの仮説ではある。
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宣帝は司馬仲達で公孫氏を滅ぼした。するとすぐ卑弥呼は帯方郡に朝貢し、魏にすりよった。
と読む解釈があるということは知っておくべきだ。
従って、女王卑弥呼は公孫氏なり とは限らないということを書いておかないとフェアな解釈とは言えないと自らの解釈を評価しなおすことにした。
もちろん昨日のように解釈するのもひとつの仮説ではある。
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