第2話 欧米人は伸筋を、日本人は屈筋を多用する
「文芸評論家の会田雄次は『日本人の意識構造』の冒頭に、日米の母親に質問紙法の調査を行っている。子ども連れの母親に「突然クマがこちらに向かってきた時、どのような姿勢を取るか」を尋ねたところ、日本人の母親の多くがクマに背を向け両手で子どもを守る姿勢を取り、一方米国の母親の多くが子供を自分の後ろに回し両手を広げクマと対峙する、と答えた。すなわち、日本人は守りの姿勢を取り、米国人は攻撃姿勢を取る。それから話が展開し、結論は、日本人は農耕民族であり田畑を風水害や病虫害から守るのに対して、米国人は狩猟民族であり獲物をとるために攻撃しなければならない。そのような伝統的生活習慣がなせるとっさの姿勢・行動だ、とみなしている。
長い伝統の中で培われてきた行動様式は筋肉の使い方に違いを生む。例えば、欧米の大工道具は向こうに押しやる時に作用するようにできているし、日本のそれは逆に手前に引く時に作用するようにできている。一輪車に対して荷車(リヤカー)、サーベルに対して刀等々。すなわち、欧米人は生活の中で関節を広げる伸筋を多用し、日本人は屈筋を多用する。姿勢を保つ筋肉は脊柱起立筋、大腿四頭筋等の伸筋と、腹直筋、大腿二頭筋等の屈筋のバランスである。伸筋が強い欧米人は姿勢がよく、屈筋が強い日本人はどうしても姿勢が悪くなる。」
ランニング学会 - Society for Running - (e-running.net)
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【バックビート】日本人は何がダメなのか★欧米人の歩き方 (youtube.com)
さて、これも前回書いたのと同様、狭い地域の西アフリカ人や欧州人には可能な歩き方・リズム感が、なぜか長距離を歩いた歴史を持つ東アフリカ起源の中東、アジア、極東アジア人には基本むつかしいということがわかると思いますね。
短距離が得意な民族には、長距離が得意な民族とは違うリズム感が身についたというしかないと思えない?
西欧音楽とアジア音楽の違いがそこにある。
それがのちのちまでも民族の考え方にも影響し、生み出し
音楽や文化全部に影響した。
根本的にそれは、歩いた距離の違いが関与していないかと思えるわけ。
そこには狩猟民族だからとか農耕民族だからとかいうこれまでの常識とは違う要素があるなるわけなのだ。
もっと古い、彼らの歩き始めた環境の条件こそが彼らの遺伝子を形成したとは思えないか?
あなたはどう思うだろう?
極東からアメリカ大陸まで広範囲を歩きとおす間に、私たちの先祖がなにを継承していったか。
それが人類には違いを生み出すのではないか?
東へ出たアフリカ人はさまざまの混血を繰り返し、あるものは列島にたどり着く、あるものはアメリカ大陸へたどりつく。
だが西アフリカ人や欧州人はそうした複雑な混交を経験せず、狭い世界で進化した。
東アフリカ人やアジア人は長距離移動の間に、多くの先住人類と混血し、寒冷地対応も繰り返し、今の定住地に到達した。ゆえに西欧的自然科学に行きつく暇がなく、今もまだ、古代から続く古い主観性や宗教性をとどめ主観的な生き方を続ける「旅の途中にいる」民族なのだと。
そしてそのことが体格や習慣にまで影響している。
筆者は専門家ではない。
しかしそれはわかりやすい考えではないか。
それらは人類の進化の仕方の違いであって、どちらがどうだとかいう問題ではないだろう。
双方が理解しあえばよいことだし、そのほうが全人類のぜんたいてきな理解と争いのない世界をつくることではないか。
それぞれの努力の違いを、差別へ向かわせるか、理解へ向かわせることこそが
ほんとうの人類全体の進化へ向かわせるのだと筆者は期待する。
そして双方が混血を増やすことが、平和への最も近道ではないかと思うものだ。
そのためにはそれぞれが違うことを歴史的に学ばねばなるまいとも思うのだ。
時間がかかる。まだ数万年もの時間が。
それは受け継がれ、今がどうのこうの言っている時間間隔の、
大幅な外にある。
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短距離が得意な民族には、長距離が得意な民族とは違うリズム感が身についたというしかないと思えない?
西欧音楽とアジア音楽の違いがそこにある。
それがのちのちまでも民族の考え方にも影響し、生み出し
音楽や文化全部に影響した。
根本的にそれは、歩いた距離の違いが関与していないかと思えるわけ。
そこには狩猟民族だからとか農耕民族だからとかいうこれまでの常識とは違う要素があるなるわけなのだ。
もっと古い、彼らの歩き始めた環境の条件こそが彼らの遺伝子を形成したとは思えないか?
あなたはどう思うだろう?
極東からアメリカ大陸まで広範囲を歩きとおす間に、私たちの先祖がなにを継承していったか。
それが人類には違いを生み出すのではないか?
東へ出たアフリカ人はさまざまの混血を繰り返し、あるものは列島にたどり着く、あるものはアメリカ大陸へたどりつく。
だが西アフリカ人や欧州人はそうした複雑な混交を経験せず、狭い世界で進化した。
東アフリカ人やアジア人は長距離移動の間に、多くの先住人類と混血し、寒冷地対応も繰り返し、今の定住地に到達した。ゆえに西欧的自然科学に行きつく暇がなく、今もまだ、古代から続く古い主観性や宗教性をとどめ主観的な生き方を続ける「旅の途中にいる」民族なのだと。
そしてそのことが体格や習慣にまで影響している。
筆者は専門家ではない。
しかしそれはわかりやすい考えではないか。
それらは人類の進化の仕方の違いであって、どちらがどうだとかいう問題ではないだろう。
双方が理解しあえばよいことだし、そのほうが全人類のぜんたいてきな理解と争いのない世界をつくることではないか。
それぞれの努力の違いを、差別へ向かわせるか、理解へ向かわせることこそが
ほんとうの人類全体の進化へ向かわせるのだと筆者は期待する。
そして双方が混血を増やすことが、平和への最も近道ではないかと思うものだ。
そのためにはそれぞれが違うことを歴史的に学ばねばなるまいとも思うのだ。
時間がかかる。まだ数万年もの時間が。
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