これまで何度も何度も直弧文・弧帯文・弧文の関係性を調べれば3世紀邪馬台国の位置決定に近づけるのだとここに書いてきたが、ほとんど反響がなく、反応もなかった。

それで私は時間が来るまで待ち続けることにして、それきり直弧文からも、装飾古墳からも、葛城氏からも纏向遺跡からも・・・つまり邪馬台国問題から距離を置いているわけだ。

もう一度まとめて書いておかねばならない。

1 3世紀纏向遺跡から弧文円盤が出ている


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2 直弧文が4~6世紀九州の古墳から出る


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それらにはなぜか弧文ないしは吉備の弧帯文にバツ印がつけられている。

3 同様に吉備の5世紀古墳からも×の付いた直弧文が出る

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4 それら模様はすべて日本のオリジナル模様である

5 そして最古の2世紀の吉備にある前方後円墳のさきがけと言われるプレ古墳楯築遺跡から亀の顔をした弧帯文石造物が出る。それは九州の岩戸山からも類似品が出た。
直弧文が語る筑紫と吉備の関係・もっとわかりやすく継体=磐井 : 民族学伝承ひろいあげ辞典 (blog.jp)



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楯築遺跡出土弧帯文石





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6 それらよく似た絵柄たちの出る順番は吉備弧帯文→纏向弧文→九州直弧文→吉備直弧文である


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7 直弧文は九州でも吉備でも大和から派遣されたらしき知事クラス(国造)の古墳から出る

8 纏向型プレ前方後円墳や箸墓周辺からは吉備式円筒土器(特殊器台=祭祀土器)が出る。そして東海パレス式土器(実用食器)も出る。しかし九州の土器や九州の剣などの武器が出ない。代わりに6世紀ヤマトに九州式横穴石室が現れる

9 弧文や直弧文のデザインの大元はどうやら九州王族が愛用していたゴホウラ貝貝輪の断面組み合わせでできてるようだ

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10 筑紫・豊・火国と吉備は宇佐を通じて兄弟と吉備津彦神社が伝承し、いずれも多氏王家だった可能性がある。つまり多氏が移動して纏向に国を建てた説である。また火葦北国造アリシトは吉備国王の弟である。熊本の江田船山古墳と井寺古墳と鴨籠古墳被葬者はいずれも吉備と関係深い人で国造であろう。同じく筑紫国造と大分君はカムヤイ耳の後裔だが筑紫から来た海部氏族だろう。

このように間違いなく古代纏向、吉備、北部九州は交流があり、不思議なのはにも関わらずキビと九州では永遠の命を意味するはずの弧文に「5世紀以降」バツをする古墳が登場したことになる。


あとはあなたがたの想像力に期待し、数年前、筆者Kawakatuはこのブログの古代史・考古学記事を後人に託したわけである。



【纏向】吉備と大和の繋がりを考えるツーピース【孤文】【桃太郎伝説】 - ものづくりとことだまの国 (zero-position.com)
刮目天(かつもくてん)のブログだ! (goo.ne.jp)
これらのブログが今書いていることの多くは筆者がすでにここで分析したことである。
必要なのは邪馬台国につなげられる明確なひもづけ理論だ。
私はそれを待っている。私はすでに私の答えを持って、別の論考を待っている。


直弧文 を含む記事 : 民族学伝承ひろいあげ辞典 (blog.jp)
弧帯文 を含む記事 : 民族学伝承ひろいあげ辞典 (blog.jp)
弧文 を含む記事 : 民族学伝承ひろいあげ辞典 (blog.jp)

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