1 中国紀元前『竹書紀年』(文書見当たらず)


2 『日本書紀』 推古二十八年(620年)
十二月の庚寅(かのえとら)の朔(ついたち)に天に赤気有り長さ一丈余なり形雉尾に似れり

20200316105209


3『明月記』
建仁四年正月十九日 天晴(中略)
秉燭以後、北并艮方有赤気、其根ハ如月出方、色白明、其筋遙引、如焼亡遠光、白色四五所、赤筋三四筋、非雲、非雲間、星宿歟、光聊不陰之中、如此白光、赤光相交、奇而尚可奇、可恐々々

廿一日 天晴 風烈(中略)秉燭以後、北艮方又有赤気、如隔山焼亡、重畳尤可恐、

現代語訳: 1204年2月21日、晴れ。(中略)燭台に燈をともす頃(日が暮れてから)、北及び東北の方向に赤気が出た。その赤気の根元のほうは月が出たような形で、色は白く明るかった。その筋は遠くに続き、遠くの火事の光のようだった。白気(白いところ)が4、5箇所あり、赤い筋が3、4筋出た。それは雲ではなく、雲間の星座でもないようだ。光が少しも翳ることのないままに、このような白光と赤光とが入り交じっているのは、不思議な上にも不思議なことだ。恐るべきことである。

1204年2月23日、晴れ。風が強い。(中略)燭台に燈をともす頃(日が暮れてから)、北・東北の方向に再び赤気が現れた。それは山の向こうに起きた火事のようだった。重ね重ねとても恐ろしい。

4『宋史』 天文五p1088
嘉泰四年正月癸未…日中皆有黑子大如棗。
現代語訳: 1204年2月21日、太陽の中に黒点がありナツメのように大きい。



※現代日本でも低緯度極光は北海道、新潟などでは何度も観られているが、はっきいいいいいりと気づくほどではなくさほど万民に意識されてこなかった。中国ではセッキと記録され、皇帝が代わる、天子が生まれるなどなど、凶兆とも瑞兆とも考えられてきた。

太陽フレア爆発が頻繁に起こると日本のような低緯度地域でもはっきりとした赤いオーロラが観られるという。騒ぐほどのことではない。天象のひとつにすぎない。

以上。



ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村


人気ブログランキング