
左から中庸への切り替えという点で、安部公房は早かったが、頭の回転が速いはずの大江健三郎はmなかなか切り替えなかった気がしている。
卒論に安部公房を扱った自分は、大江の、あまりに60年代レジュームに浸かっている大江の作品は選択肢には入っていないかった。自分はやはり70年代の大学生だったのだろう。
開高健との中国旅行や、武満徹、大岡信らとのつきあいは知ってはいたが、社会人となって生活に忙しくなっていた自分には、興味を引くことにならなかった。
そのくらい人生観。妻に伊丹十三の娘をめとり、右翼から糾弾されていた人生と作品群の重さが、サブカルチャー世代で自由な生き方を望む自分とでは格差がある。ただし初期SFまがいの作品はけっこう読める。その点、同様にサルトルにのめりこんんだ安部公房と共通点はないとはいえない。花田清輝の影響は、戦後作家には戦後日本、復興期の日本人としてまずは通っておかねばならぬものだったろう。
いずれにせよ、その死は悼むべきものだ。合掌。
ノーベル賞受賞時に言った言葉で記憶に残ったのは、本来ならぼくなどではなく、安部さんや三島さんが受けるべき賞を受けてしまった・・・ようの言葉だった。
戦後が終わった感がいっそう強まる死である。

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