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関西弁と言うより古語である。そもそも瀬戸内地方を中心に西日本には古語がぎょうさん残存しているのだと知るべきだ。

漢字で書くと「ぎょうさん」は仰山である。
読んで字のごとく仰々しいほど、山のようにと言う意味になる。関西らしい大げさな表現だが、実は全国的に使う地域は多い。

これは平安古語にある「ぎょうぎょうし=仰々し」に由来すると考えられよう。
しかしなぜあとに山が続くのか?


たくさんの「さん」だろう。さらに西日本には関東の「ちゃん」ではなくもっと古い「さん」が残存率が高い。「さま」を明治維新前後に京都では、いやもっと以前からかもしれないが。町衆は「さん」と呼んでいるのである。それから「ちゃん」は生まれる。とするならばぎょうさんのさんには沢山のさんが町家では、「土方はん」とかのはんとさまが早々に混在していた、と考えられるのだ。

そして「さん」になり、全国に普及。ぎょうさんもまた全国に広範囲に広がる。関西言葉の拡散は北回り船にも元がある。

「おおきに」なども同じである。

東京人は古くは、歴史の古く、天皇がいた関西・上方への、ある種のあこがれと、半面でなにくそ、負けるかという自意識が強かったと見る。今の大坂が東京を排他する気持ちと同じものがあったはずである。

それはしかし、そもそも、江戸を作っていったのが関西人だった歴史に由来する。

家康が多くの上方の職人たちを招請せねば、江戸地は名もなき荒れ野、湿地だったのだから。

このことはいかなる関東人もがえんじえぬ、歴史的事実なのである。文化の先進地はどうしても1400年の歴史ある西日本であり、江戸は江戸時代に開闢されたのだから。

関東人はよく関西及び西日本の文化や言葉を古いと言うが、残念ながらすべての彼らの文化や言葉には西のもの(下りもの)が入ってしまっている。歴史をやる人はそのことは理解しておくべきだろう。

そしてさらに関西人は、もっと西から文化が来ていることを理解すべきであり、さらに西にある九州人は、文化や言葉が大陸から来たことをも理解せねばならぬ。

そうでないなら、君には歴史を研究する資格がないことになるのである。

そしてさらに言えば、歴史をやるなら日本全体、半島、中華、さらには世界全体を理解しておいてから開始すべきなのが歴史学・民族学なのだと筆者は言いたいのである。

それらはつまり突き詰めれば人類史を知ることから始まると。さらに人類史を知るには地球学、地球学を知るには宇宙学と、延々と続くだろう。

近代西欧科学とはすべてがばらばらにされた分化科学であり、これからの学問は今こそ、すべてを関連させるものでなければ、学問として意味をなさないと言っておくことにしよう。学問もグローバルでなければならないのや。

すべての事象はつながっているのやから。わかってまっか?ほんまはわかってへんのと違うか?死んだ過去の先達たちの固定観念、まだひきずってまへんか?

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