天地真理 ☆ ミモザの花の咲く頃 - YouTube



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『国際女性デー』とは「毎年3月8日、女性の社会参加と地位向上を訴える日」のこと。

イタリアではミモザの日
1922年にイタリアで初めて国際女性デーが祝われ、1944年にイタリア女性労働組合が発足しました。 ミモザの開花時期が2~3月であることから、国際女性デーのシンボルになったんだそうです。
国際女性デーって何の日?女性に感謝を伝え、ミモザを贈る日。 (botanicfolk.jp)


FESTA DELLA DONNA(フェスタ・デラ・ドンナ)
3月8日は国連が決めた「国際女性デー」です。1904年3月8日にアメリカで女性労働者が婦人参政権を求めてデモを起こしたことがきっかけで、1910年にコペンハーゲンで行われた国際社会主義会議で「女性の政治的自由と平等のために戦う」日と提唱したことから、同年「国際女性デー」と制定されました。

 イタリアではこの日、「FESTA DELLA DONNA(フェスタ・デラ・ドンナ=女性の日)」とされ、男性が日ごろの感謝を込めて、母親や奥さん、会社の同僚などにミモザを贈ります。このことから「ミモザの日」とも呼ばれるようになりました。
https://www.flowerservice.co.jp/calendar/calendar04.html


一番大きいのは、女性の高学歴化です。背景にあるのは少子化です。親が教育という投資において性差別をしなくなりました。大卒女子がこれだけ増えたら使わないわけにいかない。使ってみたら、使えることがわかった。男女の賃金格差が改善するなど日本は徐々によくなってはいます。しかし、他の社会に比べて変化があまりに遅く、世界から取り残されているのが現状です。

――変化が遅いのは、なぜなのでしょうか。

おっさんたち既得権益集団が、現状を変えたくないからでしょう。彼らは危機感が圧倒的に足りない。グローバルスタンダードから考えれば、世界に太刀打ちできない。日本は泥船だと思います。余裕を失うと守りに入る。本物の危機が来てそれを実感したときには、もはや手遅れかもしれません。
国際女性デー、上野千鶴子「おっさんたちは危機感足りない」 | 大手小町 (yomiuri.co.jp)


がちがちのフェミニストとして著名な上野氏の辛辣な批判であるが、世界ではこういう日を作らねばならなかったところにこそ、女性蔑視がいまだ消えていないことの逆説的証明になるのかも知れない。

なぜ男たちは、自分たちを生んでくれた母、女性を蔑視し続けるのか?その根源的理由を調べねばならない。

2.社会において男性が優遇されている原因

  • ○各国とも、「男女の役割分担についての社会通念・慣習・しきたりなどが根強いから」を挙げた者の割合が最も高い。
  • ○アメリカ、スウェーデンでは、「育児、介護などを男女が共に担うための制度やサービスなどが整備されていないから」と挙げた者の割合が高い。
  • ○ドイツでは、「男女の平等について、男性の問題意識がうすいから」を挙げた者の割合も高い。

    2.社会において男性が優遇されている原因 | 内閣府男女共同参画局 (gender.go.jp)


    しかし日本においては、女性自身のひとりひとりの社会への参画を怖がる傾向があることに根源的要因を見出せることも否めないのではないか?彼女らはなぜあんなに社会参画に消極的なのか?そこには日本の男性社会の長い歴史を振り返るべきという意味があるだろう。

    民族学においては、祭りへの参加の変遷と言うヒントがある。
    祭は古代においては巫女、シャーマンが中心であったものが、江戸時代特に儒教の導入の影響で男性中心へと変化する歴史がある。中世以降、古代ほど女性シャーマンが必要でなくなる。武家社会が主観よりも客観を重視する時代だったからだろう。言い換えれば時代が科学的に進化するほど、客観性つまりアンチ女性社会になったという矛盾である。

    本日夜中のNHKラジオ深夜便で、ある先駆者的女医がとつとつと語られていた、彼女自身が大学でいかに差別されていたか、との語りの中に、それがいまだに日本の大学、医学界に限らず続いている可能性を筆者は感じさせられたものである。彼女は医学を志したが、まず女性を東京大学は受け入れず、やむなく薬学に進まざるを得なかったと語っていた。そこから医学部へ転身するために壮絶な戦いをしたことを、しなやかな口調でさらりと語った。老いた女医は、当時のすべての差別をさらりと語るのである。感動的だった。

    ところが一方で女性議員であるなんと水脈なる人が、かつて同性愛支持者を「不生産的」と切り捨てている。女性自身が、しかも権力のある議員が、こうしたことを言い放ってしまうところに、歴然と女性が女性自身を蔑視されるものと決めつけているわけである。
    あたかも中世欧州の魔女狩り同様の言葉であろう。魔女とは現実的に子供が作れない女性狩りだったのだから。政治的にはそれは、税を払える人口増加(現代の少子化問題解決に値する)の敵だと言う解釈から出るのだ。

    こうした、現状を乗り越える力を、多くの日本女性が持たねば、社会は変化すまい。それを受け入れる男性側の考え方も変わらねばならない。差別される側の女性こそが男性を変えてしまう意思を持たねば、世界は変わるまい。つまり国際女性デーとは男性の意識を変えるための記念日だと解釈すべきである。

    演歌の世界における耐える女性像は消えるべきであろう。すなわち日本の演歌は女性自立の邪魔をしていると思える。また今のアイドルたちが歌うような、男性へのアピールも又、夢の世界であり、勘違いの助長になっているとも感じる。それらは常に男性視線を意識し、恋をして、男につくすことこそが理想の女性像と言う日本男性中心主義に満ちていると言うほかないのだ。


    こうしたサブカルチャーが続く限り、女性の尊厳は「かわいい」「いじらしい」「素直で従順であると男たちは勘違いし続けるに違いない。

    冒頭に貼り付けた動画の歌詞も又、そうなのだろう。歌うのは女性でも、歌詞を書いているのは男性なのだから。

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