12 教化と感化 古代の宣教師・回遊民の存在と意味
キリスト教の宣教師はほぼ無償に近い努力で世界中に教義を伝えていきましたが、今のようにマスメディアのない古代、為政者はどうやって無学な民衆に自分たちの「教義」を伝えたのでしょうか。
江戸時代には大名をつなぐかなりの情報網が形作られています。
また中世の武士団も平安の貴族もたいがい整備されていた古代の官道を使って伝達の方法をもっていたようです。
しかし民衆へはどうやって為政者の思いは伝えられたのでしょう?
当時の民衆は無学文盲です。彼らにわかりやすく政治の方向性を指し示すために、地方の官僚はどうしたのか?
現代の情報は大から小へと伝えらる時、自治体の連絡組織網を通じて地方の自治体へ伝えられ、そこから市へ地区へ、そして町へと伝達されますが、このように楽にすばやく情報伝達ができるのも、ひとえに明治以降、国民の教育レベルが高くなったからです。ところがそれ以前の封建時代には民衆などはほとんど無視されていました。せいぜい村役、町役の庄屋さんあたりまでで終わりです。そのあとは百姓たちはなにも知らずに、いつもと変わりなく働くだけでした。
しかし、いくらなんでも、どうしてもこれだけは知っておかねばならぬ基本情報はあったでしょう。
それは誰がどうやって伝えたのかあなたは気になりませんか?
かわかつはふと古代から続く漂泊の民や修験者、山伏、あるいは諜報員のような葛城の役行者、回遊職農民のおさとされた猿丸大夫の一族を思い出します。いわゆる彼らは芸能によって情報を流し、それを民謡や踊り、俗謡といった低次元でわかりやすい形に噛み砕いて教化してもいたのではないか?
秦氏や多氏のような大氏族はそういった修験ネットワーク・職能ネットワークによって信仰や政策を知らずの内に民衆に浸透させていったのではないかと思います。
例えば映画「もののけ姫」に出てくる修験者に身をやつした諜報員などまさしくそういう「お庭番」的な役目を持っていたかもしれません。のちの忍者だってそういう役目で、薬売りやかんざし売り、飴売りなどに化けて画面に登場します。
猿丸踊りという盆踊りの原型のような踊りをご存知でしょうか?頭に菅笠をかぶった、アダなおかみさん、娘さんたちが手をひらひらさせながら踊る「女舞い」ですが、新潟の佐渡おけさだろうが四国の阿波踊りだろうが、全国的にこの形式は伝わっています。それを不思議だと思われないでしょうか?
情報のない時代にあのように全国津々浦々まで同じ形式の踊りが、形は少しづつ違っていても、伝えられていることがかわかつには以前から不思議でたまりませんでした。
ひとつのヒントがやはり舞踏集団・猿丸大夫なわけで、民俗学者の折口信夫(おりぐち・しのぶ)は彼らを伝達集団として見ています。つまり何代にも渡って猿丸という踊りや芸能、謡いの師匠が続く。その師匠は実は誰なのかわかりません。不明の存在。謎の集団。
元締めは柿本人麻呂、山部赤人あるいは山上憶良さらには土佐日記の紀貫之などが代々引き継いだのではないかという説があります。
そして彼らのすべてが秦氏や多氏との関わりがあったのではないかと???
なんと言っても秦氏・多氏は回遊職農民の総元締めですし、神社祭祀の元締めでもありますから、情報ネットワークはすごいものがあったことでしょう。
その幾多の情報網のうち最もかわかつが注目するのが岐阜と福井の間にそびえる白山に本拠を持つ白山信仰です。
白山の開基は秦氏末裔の秦泰澄の手になりますが、白山修験道の根幹にもともとあったのは白山菊理姫という民間信仰の山の神です。日本の仏教は元来密教からはじまりますから、神仏はひとつでした。これを本地垂迹、神仏混交と呼びますが、白山はその道場でもあります。祭られた神は女神・菊理姫なのですが、ほとんど誰もそれを知りません。そして周辺の美濃や白川、白鳥、郡上などには非常に多くの匠がすんでおり、岐阜はもう職人・匠が作った地域とっ言ってもいい。
特に岐阜県は川中島の戦いや関が原などの戦いの決闘の場としていつも使われてきました。それだけここで多くの血が流れたために鎮魂のよりどころとなるのが白山神宮。
そもそもここが敗れた武士、流された貴種たちの隠棲地となるのも、東西の文化の分かれ目にあって山深いことに起因していますが、同時にここは日本列島のへそのような中央にあって、白山という見た目にも非常に美しく聖なる山があり、そこへなかなか近づけない険しい山々に囲まれいるからだし、また都と東国の間にがんぜんと立ちはだかり、往古より両面宿ナなどの反骨の異人種を生み出す基盤となる鬼の民の住む場所だったからでしょう。
僧侶のネットワークとしてはやはり高野山を中心とする弘法大師の真言修験道、また京都の比叡山を中心とする最澄の天台修験道があげられましょうが、それとは別に正史で「鬼の一族」とされて四天王寺に祭られた物部守屋一族の復権を画策した行基うばそく連合もありました。当然、葛城一族の役行者一味もあるでしょうし、さらに蘇我氏だとてなにかの怨念のネットワークがあったかもしれません。
彼らが皆、表舞台にはけして出ず、まるでフリーメーソンのような闇組織をもっているかのように思われるのも、どこかしら秦氏・多氏が持つ「鉄の一族」の闇のフィクサー的なイメージから来るのでしょうか。
鉄は当時最高の武力ですから、当然、その製造法は一子相伝の機密情報です。ですからめったなことでは技術が流出してもらっては困るわけで、刀鍛冶屋というものは為政者に囲われるのが常でした。備前や近江、豊前などにその技術が花開くのはパトロンとしての大名たちが丸秘にしたかったkともあるのです。
白山の周辺にも関の孫六などのようなブランド刀鍛治が存在します。
およそ彼らは回遊・漂泊することをやめさせられ、情報ネットワークの外に置かれ、そのかわりに口封じの高い地位と俸禄が与えられました。その点、トジさんや、石工さんなどとはやや違った格式があります。
漂泊する民というものは世界中どこへ行っても職人、技術者、芸能民、詩人です。
定住するのはほとんど農民だけですから、農民はそのぶん税金をとられます。古代の百姓おおみたからという者のほとんどは回遊民なのです。これが中世以降「水のみ」と呼ばれて差別されました。武士は武士たちのネットワークを持ったために、それまでの回遊民は行き場を失い、忍びなどへとより専業化して生き残ろうとします。
そういう中からのちに山本勘助のような兵法者や服部半蔵のようなお庭番、あるいは柳生宗則のような大名まで現れてきます。剣豪・武蔵とか後藤又部衛などもどこかしらそうした最下層民、あるいは鍛治屋のイメージを背負っていますね。


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