死体から食物が生まれる話
食物の始まりは、殺された女神から? ―古事記の穀物起源神話を知る― – 國學院大學 (kokugakuin.ac.jp)
ジャワの言い伝え
ジャワでは食物が少女の死体の各部から生じた神話がある。
ヘソから陸稲、頭からココヤシ、性器からサトウヤシ、両手からはぶら下がっている果物、足からは地中にできる野菜が生まれたのだと言う。
北ボルネオ・ドウスン族
世界の始まりの時、原初の夫婦に子どもが生まれたが、夫婦は二人してこの子を殺し、切り刻んでしまい、それを地中に植えてゆく。すると頭はココヤシに、指はビンロウジュ、耳はシリーのツル、足はトウモロコシ、皮膚はヒョウタンのツルになった。
インドネシア・セラム島・ヴェマーレ族
ココヤシの花から生まれたハイヌヴェレと言う少女が、祭りの夜、踊りの最中に殺され、身体の各部がタロイモやヤムイモになった。
このほかフロレス島のマンガライ族は殺された子どもの死体から稲とトウモロコシが発生したと伝えられている。
日本、古事記、スサノオノミコトが放浪の途次、食物女神オオゲツヒメが口から食べ物を出したので、不潔だとしてこれをを斬り殺すと、頭から蚤が、両目からは稲種、両耳からはアワ、鼻からは小豆、陰部からは麦、尻からは大豆が発生した。ハイヌウェレ型神話。
話は違うがビルマのワー族は稲の種まきの前に必ず首狩りを行った。これは豊作祈願である。
また、アジア大陸南東部の人種には稲作儀礼として必ず牛、水牛、豚、鶏などの家畜を屠る習慣があり、それは島や山地に限らず平地民のラオ族でも水牛供犠は見られる。
ボルネオの南部オト・ダノム族は種まきの時豚、鶏を殺す。そしてその血を精霊に捧げ、種籾に混ぜ合わせる。
南ベトナムのセダン族は稲が芽を出した時、豚か鶏を屠って、其の血で稲を清める。
日本では『古語拾遺』に、牛の肉を溝の口に置き、御歳(ミトシ)の神に好意を得ると言う稲作儀礼の記述がある。
また、諏訪大社御頭祭(オントウマツリ)では鹿の首数十頭分を神に捧げ、その中の最も立派なものの耳に切れ込みを入れる風習があった。その時の供物には鯉、猪・ウサギの臓物を血で和えたものなどがある。
ハイヌウェレ型神話の変形。
ここにあるものは「死が生の前提である」という観念だと大林太良は書いている。
それは例えば猿田彦が最期に大きな貝に挟まれて落命するのと同じことで、貝という女性性器・・・すなわち胎内・・・生命の生まれ出づる処からでて、またそこへ戻ってゆくという輪廻転生でもあろうし、生と死が常に表裏一体であることをも示しているのだろう。縄文の火炎土器などにしばしば胎児のような、あるいは女陰のような付属物がとりつけられているが、あれを蛙とする定説は、言い換えれば、蛙もまた泡から生まれるモリアオガエルなどのように、神秘の中から生まれ出る生命力を現していると言うことであり、古代人の死生観を知る手がかりになるだろう。死によってこそ有が生じるという観念は、無から有が生まれると信じた時代の信仰観念にももちろん影響したのだろうと思える。
だからこそ、屠り、祈るという形が残ったのかも知れない。
古代にあっては生きることよりも死すことの方が重要なテーマであり、死の暗闇こそに真理を見いだしていたのかも知れない。それほど死はすぐそばにあり、命は短いもの、はかないものだったとも言えよう。



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