街道をゆくスペシャルオホーツク街道によれば、北海道の常呂町モヨロ貝塚から発掘された人骨には蕨手刀が副葬されていたと聴いた。この人々はアイヌより大きく、オホーツク人と呼ばれているが、そのルーツはサハリンと大陸の間にある韃靼だったん海峡(間宮海峡)をはさむアムール川(黒竜江)河口部にいたイヌイットだったという。アムール川の源流ははるかモンゴル平原に至る。
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                    イヌイット


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蕨手刀(わらびてーとう)はこれまで蝦夷(えみし)の剣だとされてきた。
形状からは、騎馬にむいた角度を持っており、日本刀にも影響を与えたともされてきた。そして日本の古墳からも、交流の証拠品として出土している。

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グリップの形状がわらびのように渦巻いている(わらびて文)から蕨手刀と呼ぶ

平安時代には『源氏物語』紫の上にクロテンの毛皮が出てくるように、倭人と蝦夷には交流があったことは明確で、それが古墳時代までさかのぼれることになる。

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さらにオホーツク人は本土だけでなく、大陸とも交流があり、中華の遺物も出てくる。

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中華製品のバックル


蕨手刀を使っていたのなら、これまでの通説からはオホーツク人=蝦夷となり、で蝦夷=東北縄文人であるなら(Y染色体。遺伝子D2的にはそう?)オホーツク人=縄文人が成り立つ可能性がある?

もちろん答えは急ぐ必要はない。ゲノム分析結果を筆者はまだ確かめていない。

しかし常呂町はカーリングだけじゃないんだね。ロコソラーレとオホーツク文化人とは、面白いミスマッチとりあわせですな。縄文人いやさ北東日本人のルーツがいたなんて。もちろん今の北海道人の大半は平安~明治の屯田移民の子孫だろうけれど・・・。


参考サイト
骨格形態にもとづくオホーツク文化人 東京大学

 NHKオンデマンド | NHKスペシャル 街道をゆく 第2シリーズ 第4回 オホーツク街道 (nhk-ondemand.jp)



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