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徐族の伝説
2006年04月01日 23:01

『博物誌』(『後漢書』東夷伝序文引用掲載部分)
 「昔、徐君の宮人が卵を生み、これを水辺に捨てると、ある孤独な母親の飼い犬で、鵠蒼(こくそう)という名の犬が、この卵を口にくわえて持ち帰ってきた。母がこれを覆い暖めると、小児が生まれ、これは骨のない子であった。古代中国語で”骨なし”を偃(えん)と言ったところから、この子は偃と名づけられた。これを聞いた宮人は、偃を引き取って育て、やがて王となった。一方、犬の鵠蒼は死に臨んで角を生やし、九本の尻尾をつけた黄龍になった。」

槃瓠の犬祖伝説では老婦の耳から出てきた繭が、ひさごの中で育つという物であった。しかしヤオ族の一派である大耳婆伝説ではちゃんと卵になっている。
徐偃王の時代はちょうど殷から周への変わり目のあたりであろうと言われる。BC11~10位?


コメント
ここには5つの聞き慣れた古典伝承の典型が含まれていることに気づかねばならない。
一つめは貴人の子がまず”骨なし”の子であったという、日本の記紀・いざなぎ・いざなみ神話にも現れる「ひるこ」生誕神話。こうした水子ともいえる現象の原因とも言えるのは近親結婚である。
二つめは聖書の「十戒」説話に現れるモーゼの生誕伝説と同じ、生まれた子を川に流す話で、これはもちろん記紀のひるこ神話でもまったく同様に川に流されているし、半島の貴人神話にも応用されている。
三つ目は半島の建国神話に多い、卵生説話のタイプである。新羅昔氏の脱解王は「辰韓の海岸」に流れ着いた卵から生まれたことになっている。辰韓とはのちの秦韓であり、いわゆる可耶を指す。そこは倭人、海人、秦氏に関連が多い土地である。
四つ目はここでもやはり犬がキーワードになっている。犬祖伝説の類型。
そして五つ目に九尾の動物に変化するという伝説。いずれ触れることになるが奥州安部一族と陰陽師・安倍晴明の母という九尾の狐・葛の葉の怪奇譚も決して南方犬祖伝説と無関係ではない。



沖縄~日本列島の「犬聟入(いぬむこいり)伝説」
2006年04月01日 23:33

沖縄県宮古島伊良部島の伝説
 「ある家で犬を飼っていた。戦争が起こり、その家の主人は犬を連れて戦争に行った。犬は敵をたくさんやっつけて勝ち戦となった。家に帰ってから、主人は犬に食べ物をたくさん与えたが、犬は何も食べなかった。その代わり、その家の娘を嫁に欲しいと言った。父親は思案にくれたが、娘は進んで犬の嫁になった。この時から犬はよく食べるようになった。ある時犬の聟が、自分は今から身を隠すので一週間自分を見てはならないと言った。6日目になって嫁は、犬の夫が何も食べないでいたら死んでしまうと思い、夫を捜すと草の束を積んだ中に隠れていた。その時、犬は立派な人間の男に変身していた。ただあと1日で完全な人間になり変わるはずの尻尾の部分だけが残っていた。ふたりは尻尾を着物で隠すことにした。やがてふたりの間に子どもが生まれたが、子どもたちにも尻尾があった。しかし子どもたちは、立派に育った」

沖縄県与那国島の伝説
  「船が嵐に遭い、船に乗っていた犬と女だけが島に留まることになった。そこへ漁師が漂着して、やがて犬を殺してしまい、女と一緒に暮らすようになる。子どもが生まれ、ある時、漁師は女に殺した犬の隠し場所を教えた。女はその場所をたづねて、犬の骨を抱いて死んでしまう」
与那国は先の宮古から比べると圧倒的に沖縄本島よりである。宮古島は位置的には台湾に近い。沖縄について我々はどうしても本島を中心に考えがちであるが、地図で見ると沖縄県の領域は台湾島のすぐそばにまで延びている。石垣島を捜してみればわかるだろう。
この伝説はかなり犬祖伝説としてはかなり加工後退している。このように北上してゆくに連れ、伝承は原型から徐々に遠ざかる。

コメント
しかし、ちゃんと犬との婚姻や犬殺しといった形は残っており、さらに興味深いのは「鶴の恩返し」的な見てはいけない儀式のような昔話の源流さえ含まれてきている。実際には宮古島の方が本島に近い。これは作者の勘違いだろう。なじみの少ない南海の島々の記述。筆者も勘違いしていた。
これもいずれ書くだろうが、日本の御伽噺というのは圧倒的に南方型である。
そこには北方型の卵生説話のstereotypeはわずかしかない。民間伝承が国民の底辺で語り継がれるものだという証になるが、犬祖、猿祖、鳥祖と見てくると、いつのまにか「桃太郎」を思いだしている自分に気づかされる。次回は奄美大島。



石とバナナ・岩と花
2006年04月12日 23:46

東南アジアセレベス地方のトラジャ族の伝承 大林太良・ミシェル・パノフ他『無文字民族の神話』所収大林太良「東南アジアの神話」より

昔、天地の間は近く、神が縄に結んで贈り物を降ろしてくれていた。ある日、神は石を降ろしてきた。われわれの最初の父母は「これをどうしろといわれるのか?何か他のものをください」と頼んだ。
かわりに神がよこしたのはバナナだった。そして神はこう言った。
「お前たちはバナナを選んだから、お前たちの生命はバナナのようになるだろう。もし石を選んでいたなら不変不死を手にしただろうに」

バナナの木というのは実を結ぶと枯れてしまうのである。
全く同じような神話が日本にもある。
天孫ニニギノミコトの神婚神話である。
大山祇の娘・コノハナサクヤビメを見初めたニニギに対して、大山祇はもうひとりの娘である醜女イワナガヒメをも押しつける。しかし一目見たニニギは彼女を送り返し、妹のコノハナサクヤだけをめとってしまう。大山祇は怒りこう言う。「天孫の命は花のようにはかなく短いものになるだろう。イワナガヒメをめとっていれば永遠の生命を手に入れられたものを!」


愛知県の雷と兄妹伝承など
2006年04月24日 04:34

愛知県には牛を「漢神」(からかみ)として生け贄にする風習有り。
中川区の金山彦神社のある金山町の隣・正木町に鉄てい出土した伊勢山遺跡あり。
金山町には金山の森、鍛冶屋の森あり。

「日本霊異記」上巻の3。尾張阿由知群カタワの里の農夫、我田引水のおり、金の杖に雷落ち、頭に蛇を巻く子供となってあらわれたとあり。強力の持ち主で、やがて道場法師と呼ばれた。

同中巻の4、美濃國の巨女、市場を荒らす。カタワ里の少女、蛤50石を船に乗せこれを退散させるとあり。
同中巻の27、少女、理不尽なる国守をこらしめる。大船を引き寄せ、床を指でつまみ出す。強力のこの少女の夫は尾張の宿禰久玖利(くくり)という。この二人の娘、ともに飛鳥元興寺道場法師の孫なりとある。

中区古渡町は片輪の里に比定される。名古屋市中区牛立町に願興寺あり。古渡に道場法師建立の寺を天文年間この地に移すと有り。正木町においてかつて尾張元興寺跡の発掘調査あり。

尾張氏と小子部と伊福部氏は祖を同じくする。すなわち海部氏の祭る火明命これなり。この神はまた物部氏の祭るニギハヤヒ命と同体ともいうなり。また若狭の籠神社の祭神にてもあり。

「常陸国風土記逸文」に「績麻」あり。「へそ」と読む。くしくも同日に田植えせし兄妹あり。伊福部の神、それを憎み祟りなし、妹に雷を落とす。報復せんとした兄、肩にキジのとまるを見て麻ひもをつけ、そのあとを追う。伊福部岳の岩屋に雷ひそむを見つけ太刀にて切らんとするもあわれんでこれを助ける。以後、落雷なく、村人、キジを食さず。

日本書紀。スサノウ命、やまたのおろちの尾より得し草薙剣、一書に「蛇之麁正」おろちのあらまさの剣という。また三の一書に「おろちのからさいのつるぎ」とぞいう。

牛のつく地名には多くの鉄関連遺構があります。これ以外にも山口県特牛(こっとい)、豊前赤村特牛岳(ことひたけ)、岡山県牛窓(うしまど)、太秦の牛祭り、などなど、牛をにえとする風習は多くのこされていたらしく、「続日本紀」延暦1年にはわざわざ伊勢、近江、尾張、美濃、若狭、越前、紀伊など諸国に牛を殺して漢神を祭ることを禁じています。まして「類従三代格」では地域を指定せず「故殺馬牛罪」とあります。かなりの広範囲で生け贄がなされていたらしいです。

上の各記載に出てくる単語はすべてある意味で海人族の「製鉄」を表しております。
くくり=菊理=白山信仰と修験者による製鉄。
いぶき・いふくべ=たたらに吹き込む息吹(ほかにも息長帯姫の息長、吹上御所の吹上などなど)
蛇・おろち=砂鉄のとれる川の蛇行。あるいは鋳ろを流れる溶解した鉄の様。あるいは溶岩。
さい=溶鉱炉・さいもちの神などの「さい」、大酒神社の酒も「さい」、大在、小在などの地名。
力持ちの子供・小人・娘=桃太郎・金太郎などの伝承もおそらくヤマトタケル伝説の焼き直しで、これは海部と関連の深い天武天皇を表している。また小子部スカル伝説とも類似する。このほかにも松の木、いらつこ・いらつめなどなども製鉄関連の隠語となる。熊本の鬼八も同じ。
そもそも鬼、雷は牛です。角があるのも牛のイメージです。
また12支の動物は方位を表しますから、すなわち酉、申、丑、犬などは水・火・木・金・土の陰陽五行説に乗っ取って、「金」を表しています。このあたり清明関連でしょうか。

拙HP;A Magical Mystery Collection「論説集」古代史の盲点1より
目次新論説 (oct-net.ne.jp)
参考埴原和郎「日本人はどこから来たか」



トン族の薩神
2006年04月24日 04:25

長江流域に住むトン族の「薩神」神話には洪水、兄妹始祖、陰陽五行説などの原型がある。
薩神(さっしん)は薩歳(さつさい)、薩瑪(さつば)などとも言われ、その神格は女神である。薩はトン族の言葉で「祖母」を、「歳」は12支最初、「瑪」は「大きい」をそれぞれ現す。いずれも大いなる古祖母という意味である。
薩神の子孫として張良・張妹が現れ、この二人が稲作を開始した始祖となっている。

「張良・張妹は七人兄妹である。
二人の他には雷・龍・蛇・虎・虫がいた。
干ばつの時、張良が雨乞いをするが、雷は言うことを聞かないのでこれを牢に閉じこめた。
雷の頼みで妹は水を与えた。すると雷は牢を破って逃げた。
雷は非常に怒り、洪水を起こし、万物をすべて滅ぼした。
薩神は妹に瓜の種を与えた。瓜の殻を船にしたので二人は助かった。
洪水は九年目にようやく引き、土手は平地に、平地は高い峰となっていた。すべてが滅びたので、二人はしかたなく結婚した。
三ヶ月目に妊娠した妹は、九ヶ月目に帯が解けて男子を生んだ。しかし男子は頭があっても耳がなく、眼があっても足がなかったので「斬り砕く」と、それが人類になった。中略

薩神はさらに人類を作った。瑶人の祖先は「八面山」の斜面に居住し、漢人の祖先は天下に広がって住み、トン族の支族の担人の祖先は潭溪や九宝に居住して大きな田で魚を養殖し、水田に「餅米」を育て、蘆笙(ろしょう・芦笛)やチャルメラを吹いて楽しく暮らした。「税を納めず、門戸を閉ざさず、朝夕の食事に心をわずらわすこともなかった。

()内、および「」は記入者がつけた。

この話には尾ひれが付く場合もある。
それは
「洪水が引かないので、張良は雷に水を引かせるよう求めた。雷は12コの太陽を連れてきて水をかわかした。しかし、おかげで土地は乾きすぎ、草も生えない。
張良は太陽を弓で射て10コを落とした。そのうち2個は「東に落ちて」東方の水徳星になった。
2個は南に落ちて西方の金徳星になった。2個は北に落ちて北方の木徳星になった。2個は中央に落ちて土徳星となった。兄妹は結婚して人類は繁栄した。


この神話には日本神話に通ずる要素を二つ持つ。
ひとつは兄妹の男女神の登場。ひとつは最初の子どもが「ひるこ」だということである。
またあとの尾ひれの話には完全に陰陽五行説が影響している。
日本の国生み神話にも五行思想は反映している。
すなわちイザナギ・イザナミが次々と生み出す神々は皆、土水木火金の五行に沿って作られるのである。


コメント
細かいところをさらにかわかつが追求してゆこう。
「」でくくった部分は皆、日本伝承や地名に反映している。
「薩瑪」とは日本では「薩摩」となる。歳は日本では歳神となる。いわゆる年神とは稲玉であり、豊穣の祈願をこれに祭る。また物部氏の大歳神とはニギハヤヒを指すことがある。ニギハヤヒの娘神に御歳(みとしのかみ)がいる。これも稲玉の女神であろう。
「八面山」は長野では八面大王に、また大分の中津では和気清麻呂が迷い込み猪に助けられる八面山となる。要するに八面山は漢人とトン族の中間に位置する境界の山と考えられる。
「瓜の殻を船とする」と形はちょうど両端が跳ね上がった隼人の船になる。
「東方に落ちた太陽」中国では一般に太陽は東海にあって、そこに扶桑の国があるとされる。これが日本をして「東海の扶桑国」と呼ばせ、徐福の渡海話が誕生してくる。

こうした雷との対決話は日本の東海地方に多いことは拙HPの「古代史の盲点」に指摘している。その説話を次に転載しておく。



死体から食物が生まれる話
2006年04月13日 01:39

ジャワの言い伝え
ジャワでは食物が少女の死体の各部から生じた神話がある。
ヘソから陸稲、頭からココヤシ、性器からサトウヤシ、両手からはぶら下がっている果物、足からは地中にできる野菜が生まれたのだと言う。

北ボルネオ・ドウスン族
世界の始まりの時、原初の夫婦に子どもが生まれたが、夫婦は二人してこの子を殺し、切り刻んでしまい、それを地中に植えてゆく。すると頭はココヤシに、指はビンロウジュ、耳はシリーのツル、足はトウモロコシ、皮膚はヒョウタンのツルになった。

インドネシア・セラム島・ヴェマーレ族
ココヤシの花から生まれたハイヌヴェレと言う少女が、祭りの夜、踊りの最中に殺され、身体の各部がタロイモやヤムイモになった。

このほかフロレス島のマンガライ族は殺された子どもの死体から稲とトウモロコシが発生したと伝えられている。

日本、古事記、スサノオノミコトが放浪の途次、食物女神オオゲツヒメが口から食べ物を出したので、不潔だとしてこれをを斬り殺すと、頭から蚤が、両目からは稲種、両耳からはアワ、鼻からは小豆、陰部からは麦、尻からは大豆が発生した。

話は違うがビルマのワー族は稲の種まきの前に必ず首狩りを行った。これは豊作祈願である。
また、アジア大陸南東部の人種には稲作儀礼として必ず牛、水牛、豚、鶏などの家畜を屠る習慣があり、それは島や山地に限らず平地民のラオ族でも水牛供犠は見られる。
ボルネオの南部オト・ダノム族は種まきの時豚、鶏を殺す。そしてその血を精霊に捧げ、種籾に混ぜ合わせる。
南ベトナムのセダン族は稲が芽を出した時、豚か鶏を屠って、其の血で稲を清める。
日本では『古語拾遺』に、牛の肉を溝の口に置き、御歳(ミトシ)の神に好意を得ると言う稲作儀礼の記述がある。
また、諏訪大社御頭祭(オントウマツリ)では鹿の首数十頭分を神に捧げ、その中の最も立派なものの耳に切れ込みを入れる風習があった。その時の供物には鯉、猪・ウサギの臓物を血で和えたものなどがある。


コメント
ここにあるものは「死が生の前提である」という観念だと大林太良は書いている。
それは例えば猿田彦が最期に大きな貝に挟まれて落命するのと同じことで、貝という女性性器・・・すなわち胎内・・・生命の生まれ出づる処からでて、またそこへ戻ってゆくという輪廻転生でもあろうし、生と死が常に表裏一体であることをも示しているのだろう。縄文の火炎土器などにしばしば胎児のような、あるいは女陰のような付属物がとりつけられているが、あれを蛙とする定説は、言い換えれば、蛙もまた泡から生まれるモリアオガエルなどのように、神秘の中から生まれ出る生命力を現していると言うことであり、古代人の死生観を知る手がかりになるだろう。死によってこそ有が生じるという観念は、無から有が生まれると信じた時代の信仰観念にももちろん影響したのだろうと思える。
だからこそ、屠り、祈るという形が残ったのかも知れない。
古代にあっては生きることよりも死すことの方が重要なテーマであり、死の暗闇こそに真理を見いだしていたのかも知れない。それほど死はすぐそばにあり、命は短いもの、はかないものだったとも言えよう。