2020年に放送されたBSプレミアム英雄たちの選択・スカウトされた継体天皇が昨日再放送されていたので眺めていたら、篠田道史が「おう」と声を上げたのは今城塚古墳阿蘇ピンク石石棺のレプリカ登場の時だった。

「え、来てるの?」と立ち上がらんばかりの篠田。

 
EWVdbqtUEAEdETX

ところが出てきたのは10分の1サイズのミニチュアレプリカがテーブルにちょこん。


ダウンロード

煙草入れくらいだが、確かに家型石棺である。篠田テンション下がったみたい。

ただ、気になったのは5世紀半ばに亡くなった継体大王の時代にこういう精巧な作りの家型石棺だったかどうか?100年下がった6世紀の蘇我馬子の墓や、推古天皇の植山古墳出土石棺ならこの形式だが・・・。5世紀ならもうちょっと丸みのある切り口のものだったと思う。

ダウンロード (3)
蘇我馬子石舞台古墳復元石棺(明日香村)


ダウンロード (2)
植山古墳出土阿蘇ピンク石石棺



切り口が角ばっているのは、大陸からの工人が来ておらねばならないから継体時代ではまだ難しかろう。兜山古墳などのような形式になっていたのではないかと思う。

ダウンロード (1)
兜山古墳阿蘇ピンク石石棺(滋賀県)

まあ、いらぬ世話か。
番組の内容は再放送であるし、継体が今の天皇家が生まれる源流であったという篠田の言葉に集約されていた。継体つまり息長系天皇が現在の天皇家の始まりであることはがえんじがたい。また継体が、それより前の大けっとうでも王家(河内王家)とかなりかけはなれた血脈だったことも重要である。そこに阿蘇ピン石利用yの意味もあるし、番組が言うような筑紫君磐井(つくしのきみ・いわい)を包囲するために肥後・阿蘇氏族などの九州古豪を取り込んでいったことの証拠品とも言えるだろう。筑紫の王は大王にもなれるほど半島や中華と深く結ばれた、かつての邪馬台国王だった豪族なのだから。由緒でも血統でも、ぽっと出の日本海の商船王のせがれでは大陸は認められなかっただろう。あせっていたことは間違いなく、言いがかりをつけて奇襲作戦で磐井を襲ったのだと思える。



にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ
にほんブログ村


原始・古墳時代(日本史)ランキング

PVアクセスランキング にほんブログ村

民族学伝承ひろいあげ辞典 - にほんブログ村