先日電話で、知人に「書かなあかんで」と言われたので、新年初記事を書こう。
あけましておめでようございます。
たいしたことは書けないが天皇に関わる血統の大変換についてでも書いておきたい。
『日本書紀』から類推できる天皇家系図では、万世一系が建前の天皇家。しかし継体大王登場は、どう考えてもそれ以前の河内王家とは無関係な人であるとしか思えず、これは継体による政権転覆かクーデターでもあっただろうと推測している。武烈の娘との婚姻があったかどうかわかったものではない。
また六世孫という期日もなんの照明もできず、ただ前の時代の神功皇后の血筋を継いでいるとしているだけで、実は神功皇后=息長王家の正統性を言い募りたいだけであるし、それはひいては天智・天武。持統以下の息長系天皇家の正統性を言い換えているだけだろう。
息長系とはつまり逆に言うと、それ以前は息長系ではないということであり、神功皇后が河内王家を生む元祖と言うのもあとづけで、応神天皇もいたとは思えなくなる。大和とおなじ前方後円墳を引き継ぎ巨大化させた仁徳以後の大王家は、あくまで大和以来の王家であるし、遡ればつまり吉備系王家だったと考えつくはず。
しかし継体は吉備や大和にはかかわらず、出雲を乗っ取り、百済と結ぶ、越前由来の王であるから、息長系天皇家はつまり吉備由来の3世紀の大和纒向の・・・卑弥呼や狗奴国王とはまったく切れた人と断定するしかない。ということは現在の天皇家も息長系である限りは邪馬台国や狗奴国とは切れているとみることになるのである。
「大化の改新」の再放送が正月にあったが、結局、『日本書紀』記述から離れられないありきたりの内容でつまらなかった。不比等が出てこず、鎌足は日立からで斬新さがない。『日本書紀』が継体血脈を正当化している理由に少しも結びつかないドラマだ。ぜひ持統以後をドラマ化してもらいたい。ま、天皇家に関わるとなれば宮内がでしゃばり無理だろうが。
不比等が父・鎌足を阿生山から談山へ移した理由がそこには隠されているのだろう。不比等が淡海公と呼ばれたように藤原家は近江にルーツか所領があっただろうし、当然息長=藤原=百済王子孫と、すべてがスムーズにつながるのではなかろうか?
この記事がKawakatuの復活だとはまだ思わないでほしい。ただ何か書いてみただけである。

にほんブログ村

原始・古墳時代(日本史)ランキング


あけましておめでようございます。
たいしたことは書けないが天皇に関わる血統の大変換についてでも書いておきたい。
『日本書紀』から類推できる天皇家系図では、万世一系が建前の天皇家。しかし継体大王登場は、どう考えてもそれ以前の河内王家とは無関係な人であるとしか思えず、これは継体による政権転覆かクーデターでもあっただろうと推測している。武烈の娘との婚姻があったかどうかわかったものではない。
また六世孫という期日もなんの照明もできず、ただ前の時代の神功皇后の血筋を継いでいるとしているだけで、実は神功皇后=息長王家の正統性を言い募りたいだけであるし、それはひいては天智・天武。持統以下の息長系天皇家の正統性を言い換えているだけだろう。
息長系とはつまり逆に言うと、それ以前は息長系ではないということであり、神功皇后が河内王家を生む元祖と言うのもあとづけで、応神天皇もいたとは思えなくなる。大和とおなじ前方後円墳を引き継ぎ巨大化させた仁徳以後の大王家は、あくまで大和以来の王家であるし、遡ればつまり吉備系王家だったと考えつくはず。
しかし継体は吉備や大和にはかかわらず、出雲を乗っ取り、百済と結ぶ、越前由来の王であるから、息長系天皇家はつまり吉備由来の3世紀の大和纒向の・・・卑弥呼や狗奴国王とはまったく切れた人と断定するしかない。ということは現在の天皇家も息長系である限りは邪馬台国や狗奴国とは切れているとみることになるのである。
「大化の改新」の再放送が正月にあったが、結局、『日本書紀』記述から離れられないありきたりの内容でつまらなかった。不比等が出てこず、鎌足は日立からで斬新さがない。『日本書紀』が継体血脈を正当化している理由に少しも結びつかないドラマだ。ぜひ持統以後をドラマ化してもらいたい。ま、天皇家に関わるとなれば宮内がでしゃばり無理だろうが。
不比等が父・鎌足を阿生山から談山へ移した理由がそこには隠されているのだろう。不比等が淡海公と呼ばれたように藤原家は近江にルーツか所領があっただろうし、当然息長=藤原=百済王子孫と、すべてがスムーズにつながるのではなかろうか?
この記事がKawakatuの復活だとはまだ思わないでほしい。ただ何か書いてみただけである。
にほんブログ村
原始・古墳時代(日本史)ランキング

コメント