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視聴率18.4%有終の美・・・とYahooニュースにあったが、みなさんはいかが感じただろう?最終回。

なんかこう、コロナのせいもあって、番組全体に「押してる」感がずっと続いていたのは否めない。最終回は最たるもので、ばたばたばたばたと本能寺に向かっただけで終わった気がする。つじつま合わせのわずかな時間に、詰め込まれた推測だけだった。

解釈はやや新しく、面白いとは思う。
例えば、秀吉は細川の手紙で、本能寺変前に光秀の謀反を知っていた・・・そうでなければ中国大返し成功は説明できないのは確かだ。

しかし変そのものが秀吉の策謀なら、細川の協力は必要がない。

あるいは天皇の策謀の可能性も、ずっと感じさせていたところがある。

ただ最終回にまとめてそれらを押し込めてしまった感が否めず、たった一度の出番となった黒田官兵衛も、ばたばたの扱いだ。

あらゆる可能性を言いたかったのか、演出にとってコロナはあまりに過酷な空白時間帯だったのだろう。大慌ての終わり方だった。そこには哀愁もない。ロスすら感じさせない。そんなあっというまの最終回だった。なにかこう感慨がない気がする。


信長が天皇になり替わろうとしたというKawakatu説は、NHK番組ではさすがに難しかっただろうが、それでも信長が勝手に二条城を建てて東宮を天皇に立ててしまおうとする・・・この行為はまさに天皇の権利を越える越権行為であり、まさに信長が天皇になり替わろうと考えていたと言ったようなものだ。

要するに、すべての公家や武家の、信長は敵となってしまっていたと言いたいのだろう。そして光秀の願いをかなえてゆく信長は、どんどん孤立したと。それが光秀の「麒麟」=信長への夢だったと。

そういう構成だと言いたいらしい。

家康も、秀吉も、下克上で登ってきた。信長も光秀もそうである。この四人に対して、天皇も公方も、生まれながらの王家・武家であり、信長のような麒麟を途中まで必要としながら、うとましく思うようになる。だから誰かに鈴をつけさせたい。天皇も公方も家康も秀吉も、ほかの武士の誰もがそう思ったから共通してひとりが選ばれる。明智光秀だ。その理由を番組脚本は、信長をスサノオに育てたのは光秀だからと帰蝶に代弁させた。


なにやら、ここでKawakatuは蘇我氏の最後を思い出してしまった。
女帝によって暗黙の裡に消される蝦夷と入鹿。そっくりである。


「人間五十年」も舞わせなかった。
それでいいと思う。そんな暇があるはずもないと小学生の時から思いつ続けてきた。あれは脚色である。幸若舞にあの曲はないのだから。あれは昔の大物俳優が思いついたうその歴史である。見栄えがいいからずっと続いた伝統場面と言っていい。

信長の遺骸は、持ちされたのは光秀だけだが、そこははしょられた。また変の直前に光秀単騎で信長を訪問した事実もはしょられた。

変の始まりは新月の夜中ではなく、未明~早朝にシチュエートされた。正しい。丹波から坂道を集団で下れば夜中に出れば、京都にはどうしても朝になる。車で3~5時間ほどの距離があるからだ。これは走ったものにしかわからない時間感覚だ。若いころ仕事で、桂から老の坂を通って丹後へ走っていた経験である。丹後までが上り坂で車で9時間以上、綾部・大江山までが同じく3時間弱だ。下りならもう少しはやくなる。健脚武士と家臣の馬と徒ちならその倍ほどかかろう。どうしても、漆黒の闇の中を向かえば朝になる。


それにしても、わずか一言のト書きで、「光秀は負けた」で終わるとは。どうにもやるせない。そこに愛はあるんか?である。


最後のシーン。騎馬の必秀が走る道がどうにもとってつけた造作。どれもこれも大慌ての演出感丸出しだったのが残念な。とにかく無事に押し込めて終わってよかったみたいななあ。

ロス感覚がやってこないわけよ。
再放送、もっかいみなくちゃ。

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もっとも得したのは秀吉?それとも家康?
いや天皇と足利公方だな。
しかし足利は復権せず、天皇は永続した。
信長を生かしておけば天皇制はなくなり、大王は信長になっただろう。
その後彼は世界を手中にしようとチンギスハンのように欧州へ攻め込んだことだろう。


光秀は秀才。天才は止めねばならぬ。
自分が作ったスサノオを殺すしかなかった。秀吉も家康も天皇も公方も、光秀を選んだ。
そしてその裏の事実を消すために光秀を殺した。時代のスケープゴートだな。歴史の犠牲者だと言える。