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フリーライターの藤江かおりが『季刊邪馬台国』の中に連載中の「オトナ女子のコラム 晴れ、ときどき、古代」でだいたいこのように書いている。

いわく「邪馬台国論争は縦掘り論争なので、古代史に興味ある歴女には敬遠される。もっと女性がリピートできるプレゼンテーションもあるはずだと思って自分は書いている」

古代史最大の謎「邪馬台国の所在地論争」に歴女が少ない理由 | 人気連載コラムの著者に聞く | ダイヤモンド・オンライン (diamond.jp)






さて?
筆者の見るところでは、歴女はともかく、女性にはそもそも歴史愛好家は少ないように見受けている。これまで案内してきた客層に女性はわずかに四人である。筆者の義姉などは「歴史なんかに興味がある人の意味がわからない」とすら申す。ちょうど車で豊後大友氏史跡の発掘現場の目の前でそうぬかしておったのだから、歴史嫌いもここに至れりの感がある。強く印象に残った。ああ、これが女と言う生き物の生態なんだなと。

女たちはつまり「過去に興味がない」のが大勢を占める生物なのであろう。未来にしか目が向かないのかと見える。生き方そのものが前向きなのだ。悪く言えば現世利益だ。その最大の要因は生物のメスが持っている出産という使命的機能の所産ではないかと観ている。出産とは子供とは未来である。女性にとって未来が最も大事なのだ。そうできているのだろうと思える。一方、子供を産まない男は外の世界へ出てゆくしかなかったわけだ。きわめて動物のオスの生き方なので、生き方の選択肢が増えたわけだ。それはそのまま現代人の男女の生き方の違いや、性差別へもつながることになる根本的部分だろう。それが人類の過去ならば、女性がそこに興味を持つわけがないのだ。男には都合のよかった狩猟採集時代だから、オトコは自分たちが上位だった過去に興味を持ち、オンナは下位に置かれた過去の時代に興味がなくなったと言えまいか?

歴史はロマンであるので、ファンのほとんどは男性である。女性は少ない。その少ない中にもわずかだが興味を持つ女性がいるが、彼女ら歴女の大半は戦国時代のイケメン武将に興味があるのであって、正確には歴史ファンなのではないと言えるだろう。

古代史となると、さらに少なくなる。そのうえ邪馬台国論争や考古学により理科的判断が必要になるので、専門的すぎてしまうし、藤江さんが言うように、論争があまりにも深堀り志向が強く、しろうとをよせつけないのだからますます女性は敬遠するところとなる。興味があって参加しても、近寄れない世界だから嫌われてリピーターがこなくなる。

これが装飾古墳とか高松塚なんぞのきれいな絵でもあれば、コレクション的興味もわくのだが、邪馬台国にはそういう芸術的一面も少なめ。おまけに九州と近畿が対立して、男どもの喧々諤々にはついていけない。戦国時代のイケメンに興味がある歴女も、実は戦国の争乱そのものには興味がなかろう。なぜ信長が光秀にやられたのかといった政治背景に、歴女が興味を持っているは思い難い。つまり女性は論争がにがてなのであるのに、古代史愛好家の男どもは喧々諤々の戦国時代そのもので、その対立は殺伐としているだけで延々と続いている。

要するにその真ん中に入るなどはまことに馬鹿の所業である。女性は賢い。ただ去るのみとなっている。筆者のように、横目で論争をみながら俯瞰して、自分だけの見方を形成したりはしない。めんどくさいからだ。男どもが。


かくして歴女は邪馬台国には近づかなくなった。誰のせいか?どうしてもやっぱり馬鹿な対立がやめられない野郎どものせいなのである。

簡単な答えを提示してやれば、なあんだそうかと歴女も思うはず。歴史なんてそんな関心の持たせ方で始まったほうがいいのだ。ファンを増やすならこれからは野郎どもより女性、子供の時代である。なんでもそうだ。戦後からこのかた、すべての経済が婦女子のために動いたように、あらゆる興味も文化も、婦女子を加担させねば金は落ちない。経済は研究さえも発展させる。それが歴史学の経済学ではないか?

しょせん命には限りがある。納得してから死ぬほうがいい。いつまでも頭をひねって孤独な研究に埋没しているような古くてお堅い学問に人は集まらない。明るく軽快で、明快な答えを出せるものを人々は好きになるものだ。そういう考え方こそが古代史研究を発展させ、ファンを増やすのである。


あんたら、暗いんだよ。排他的なんだわ。かびがはえてます。


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