昨日、感染していた宮藤官九郎が自らのラジオ番組に電話出演し、アビガン投与で回復しつつある報告をした。
またレムデシビルはすでに米国で7割の効き目が報道されている。
これですべてが解決とは言わないが、あとはワクチンさえ完成すれば、まずは死者が出る可能性はかなり減らせることはわかってきた。死者の可能性さえ減らせれば新型コロナはただの風邪、インフルエンザと同じレベルの病気なのである。日常が戻るのだ。
TVのニュースショーは、これでもまだ、無駄な心配性を見せ続け、バッドニュースや感染者数ばかり意識し、小池はあれ以来静観の状態に入っているというのに、TVは 騒ぎ立ててばかりで悪影響の感染源である。このマスコミの姿勢こそが、いまや家庭に引きこもるしかない子供や若者に、かえって精神不安ばかりを提供していると言わねばなるまい。すべての悪影響の大元はマスコミが作っているとしか見えてこず、もはやニュースバラエティはこの問題でのインフルエンサーたりえていなくなったことに気づいていないのだ。特に評論家たちが、受け狙いの心配性を見せたがっている。いい人と見せたいための疑問ばかりで、具体的政策すら持っていないしろうとども・・・。東国原ひとりが建設的。
昨日は、自然科学的思考ではアジアを上回る西欧世界での、特にスウェーデンの放任主義を報道していたが、ああいうやり方もあることは、このごろこっちも考えていたことで、共感した。つまり感染を怖がるのではなく、感染すればむしろ抗体を持つ国民が増えて、自然に問題は解決するだろうという政府のプラスの考え方である。誰もマスクなどせずに、店舗も普段通り営業させ、経済を破綻させずに、検査にもさほど熱心でなく、楽しい日々を送らせている。それは今や、むしろ科学性すら感じさせた。
日本のように、政府もマスコミも行政も、こぞってマイナス思考に陥り、それが国民に感染しているストレス世界・テンション民族世界のやりかたとは正反対だが、スェーデン国民は無邪気で明るく、平常と何も変わらない。なのも起ってはいないという風であった。おそれいる。
内心、そのうちにパンデミックになるかも・・・と観たときは懸念はしたものの、そういう選択肢もあるなとあとで感心したものだった。
宮藤官九郎の発言でアビガンはすでに医療機関で使われ始めたことがわかった。これは安倍首相がテレビ会見ですでにアビガンに言及したことが大きいだろう。しかしレムデシビルの発言はまだ。政府や感染した芸能人など有名人は、こうした特効薬の効果をもっと世間に喧伝すべきだろう。回復したときに薬の薬効を大声で知らしめることは、有名人としての使命であるし、その効果は大きく、政治も左右できる。
日本人の潔癖性が、今は、差別や風評やちくりにばかり表出しているようだが、これではあたかも三流国家ではないか。なぜグッドニュースであるアビガンやレムデシビルの効果をもっと調査しないのか?そのほうが視聴率が高いからか?
今、昼間のニュースショーの視聴者は、これまでとはまったく変化していると気づかないのか?これまでは老人ご隠居と主婦しかいなかった視聴者は、ひまをもてあます一般の現役世代や若者、子供に変わっている。ならば報道する内容も変わらねばならない。もはや検査道具や医療器具の心配の段階ではない。遅すぎる心配だ。心配するならテレビ局は金を出せ。
ネット世代を相手にするなら、もっと科学性と統計学的方向性、つまり具体的な数値をしめすべきだ。感染者数ではなく感染率、死亡者数ではなく死亡確率で、世界と日本を比較せねばなにも説得力がない。ととえば対策が早かった韓国の感染者数を日本がやっと上回ったなどは、当初からわかっていることだ。そもそも人口が日本は韓国の倍あるのだから、いずれそうなることは自明の理。なにも悲観する必要はない。人口が5千万そこそこの韓国が1万人なら1億に千万人の日本では2万人出て当たり前である。それがやっと一万人だということは検査数が少ないからでしかない。そういう政策を日本が取ったからの必然の数値である。だから当然期間は長くなる。医療崩壊を念頭に置いての施策だ。文句を言うのならその施策にもっと早々に問題提議しておくべきだったにに、そこがおざなりだった。その日のできごとに場当たりだから日本のマスコミはダメなのだ。政府と変わりがない。
ただただ主観的で情緒的な、漠然とした危険性ばかりを見せつける毎日は、まるで政府の犬のようだ。感染症に主観的な批判はいらないのだ。客観的で科学的な説得力を、今の視聴者はまちのぞんでいる。
ちゃんと世界との比較をし、パーセンテージを提出しながら、ここは安心、ここがやばいと教えねば意味がない。マスコミはそういう教授精神が皆無である。役に立っていない。
もう彼ら国民が、こそこそと観光地へ出かけることを、アンチにとらえる段階は終わっているのだ。岡本女史のような極めて細部にまで心配性な人の意見は、すでにもう用済みの新段階に入っている。あたら人心を引きこもりに誘う言及は、無用になったことにマスコミは早く気付くべきだ。そしてこれまでのような内向的で心配性な番組作りよりも、特効薬の登場という明るい未来について喧伝するべきなのである。
でないと、あまりにテンション的で潔癖症の日本人からは、経済的困窮から希望も見えず、ウイルスよりも経済性で自殺するものの数が上回ってしまうことだろう。それをさせるのはあなたたちマスコミや差別的ネット書き込みなのである。それは人殺しとかわりがない。
すでに新型コロナ感染症はそういう段階に入ろうとしている。
なぜよいことをもっと言わないか?噴飯ものである。哀れである。
なによりも、こうした事態が必ず来ることすら想像できずに、災害同様、まったくマスクやその他医療器具の備蓄もせず、対策も練ってこなかった日本政治にすべての責任はあるわけだが・・・。
麻生と昭恵を捨てられない安倍を、今は支持したくなくなりつつある筆者である。
それにしてもブログは、この引きこもり時代にも筆者の大いなる助けになっている。なにか趣味やなすべきことがあれば、ひとりきりの引きこもりは苦しくない。自分のこれまでの数年は、この日のための馴致期間だったのだ。すっかり孤独と人との無交流に慣れている。引きこもりにもいい面はあったのだとひとり悦に入っているこのごろである。
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