民族学伝承ひろいあげ辞典

脳梗塞男の料理とエッセイ、ときどき爆笑、ときどき不満爆発? 著書『秦氏が祭る神の国・その謎』2005年  1955年大分市生、京都育ち。 脳梗塞、高脂血圧、緑内障、糖尿病と闘病中。

2017年10月

通い婚婚姻形態の一。夫婦が同居せず、夫または妻が 時々相手の住まいを訪ねて何日か暮らす形式。週末に会うことが多いため「週末婚」 ということもある。別居婚。日本の平安時代には「妻問い」。摂関政治成立はこれに多大な貢献度あり。一方で通い婚には夜這いの意味も ...

日本の風神・雷神図は中国の莫高窟壁画の影響を受けて描かれた。俵屋宗達 風神雷神図屏風莫高窟壁画にある風神と雷神中央は阿修羅それを天象・事象がとりまくガンダーラ様式の風神・インドギリシア神話の風の神・アネモイここまでは、風の神は共通して風袋を抱えている ...

静岡県伊豆周辺の沿岸風の吹く時期と名前と方角台風にちなんで風のお話をいくつか。1 沿岸風の名前2 風神雷神の来た道3 風の起こるダイナミズム4 村上水軍航海心得記録と風5 遣唐使全航海往来の季節円グラフ1 沿岸風の呼び名風には季節と地域によってさまざ ...

昨夜のNHK「日本人のおなまえ」がいい加減な解説で終わったので、ちゃんと解説したい。伊調伊調の伊は「これ」で、維・惟と同意の文字。ものをささげること。「人」+音符「尹」。「尹」は、手で神杖を持った様を表わす象形文字。伊は神の意志を伝える聖職者。治める人の ...

昨今騒がれる大気汚染問題。さて、それが始まったのはいつなのか、あなたはどう考えているだろう?筆者などは、気候の歴史本を読むまでは、それはおおよそは19世紀の産業革命からであろうぐらいの認識でいた。しかし、吉野正敏『歴史に気候を読む』を読んで、目からうろ ...

枕草子93段 あさましきもの  人のために恥づかしうあしきことを、つつみもなく言ひゐたる。かならず来なむと思ふ人を、夜一夜起き明し待ちて、暁がたに、いささかうち忘れて寝入りにけるに、烏のいと近く、かかと鳴くに、うち見上げたれば、昼になりにける、いみじうあ ...

聖なる蘇我氏墳墓ラインと、丸山古墳の被葬者を決定すれば。謎が次々解けてゆく。五条野丸山古墳(大軽丸山古墳/見瀬丸山古墳)は、奈良県橿原市見瀬町・五条野町・大軽町にまたがる前方後円墳。奈良県最大規模。石室までの長さは日本最長(二位は福岡県の宮地嶽古墳【推 ...

「『日本書紀』皇極紀[1][2]によると、推古天皇が病死後にその後継問題が発生し、蘇我氏の庶流境部摩理勢らは山背大兄王を擁立する。その結果、蘇我蝦夷の擁立する田村皇子らと皇位を争うが、蝦夷から山背大兄王に対して自重を求める意見をされたこともあって皇位は田村 ...

「なばため」の語源は「なば」が「隠(なば)る」で「た」は「田」そして「め」は「間」のような意味で、隠田を意味するという。隠田(おんでん)は、農民が年貢の徴収を免れるために密かに耕作した水田のことである。隠田は「かくしだ」あるいは「いんでん」とも読み、 ...

『日本書紀』「応神天皇3年10月条に東の蝦夷(えみし)を使って厩坂道を造ったとみえる。同15年8月条によると,百済(くだら)王の遣わした阿直岐(あちき)に命じて軽坂上(かるのさかのうえ)の厩で良馬2匹を飼育させたといい,現大軽(おおがる)町付近と推定される。」 htt ...

蘇我入鹿の別名は宗我太郎、林太郎、鞍作大臣などといくつもある。林太郎は「はやしのたろう」で、林氏と深く関わる。林氏は蘇我氏と同族の武内宿禰枝族で直接の先祖は波多八代宿禰(はたのやしろのすくね)である。つまり蘇我氏とは親戚になる。入鹿は蘇我を継ぐとともに ...

文武天皇は、持統女帝が継嗣に考えていた草壁皇子の夭折によって、仕方なく孫の文武を後継ぎにするしかなくなる。しかしこのとき文武はわずか15歳の少年のうえ、病弱であった。前例のない少年天皇の即位を、藤原不比等は正当化せねばならない。その第一が『日本書紀』天 ...

HPの比較年表に若干手を入れて書き加えております。■約4万年前長野県信濃町に動物の解体の痕跡=最古の列島原人存在■BC1,4000年頃、中国長江流域に文明開始(BC1000年くらいまで存 続。南朝の前身)●約1,2000年前 ヤンガードリアス厳氷期が終 ...

前回、光州栄山江沿岸域の13基ばかり存在する前方後円墳の主について、筑紫つまり九州勢力の墳墓であろうと書いておいたが、章の最後に、それとなく吉備・葛城氏のことを書き添えてもおいた。そして熊本の葦北国造が吉備王由来氏族であることも付け加えた。つまり、倭 ...

265年 魏滅んで司馬氏西晋成立280年 西晋、呉を完全に滅ぼす291年 八王の乱起こり西晋の東方統治おろそかに。半島諸国活動活発化311年 西晋滅亡313年 高句麗美川王、楽浪・帯方両郡を滅ぼす。二郡の中国人高官らを接収し、半島北部を掌握。これにより、南部韓地域は ...

本論に入る前に、まず中国の1~2世紀、「光武帝」「桓霊時代」「中平」年について解説しておく。前置き、中国のここまでの流れ(光武帝時代)と韓地名の初出「新(8~23)代からの混乱は、王朝の把握人口を激減せしめた。実に漢末約6000万人の4割にも満たなくなってしまっ ...

3世紀の世界史は気候によって大きく左右された。これは東アジアに限ったことでなく、世界中で共通している。1世紀あたりから、火山爆破も相次いで、地球全体は冷え込んでゆく。すると東西で、帝国がゆらぐ事態が連鎖していった。東アジアでは前漢が滅び、遼東に公孫氏 ...

日本史の継体天皇までと飛鳥時代を区切って考えると、前者は近畿地方の王権だったかどうかいくらかの疑問点が垣間見えるが、後者は、飛鳥に蘇我氏の墳墓や遺跡が出ることで、これは飛鳥は間違いなく大和の王権であると言うしかなくなる。神武から三輪王家までは、九州の ...

現代、東アジアと日本の関係は微妙になっている。現代の日本と東アジアの勢力関係、交流関係の大前提として、古代のそれを知っておくことは、人同士が円滑、平和に付き合うためにはかかせない歴史だろう。ところが、日本人のほとんどは、第二次大戦以来、あまりここを知 ...

日本にはじめて政治的実権を持った「天皇」が登場するのは飛鳥時代後期、藤原不比等が実現させた持統女帝からである。それ以前の大王たちは、まず間違いなく、今の天皇家に直接的なつながりはない別の存在だったと言ってもいい。特に、河内王権、継体王権、蘇我王権は、 ...

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