sigisan takayasuyama高安山と西信貴山山塊高安は高句麗由来地名である。高安漢人(たかやすのあやひと 奈良・大阪境にある高安山周辺に入った漢人=高句麗系帰化人)高安村主 (ーーすぐり 同族)高安造 (ーーつくり 同族)天平神護2年(766年)10月、河内国大初位下 ...
2017年05月
枚方市津島野は対馬野・淀川の九州由来地名
淀川の摂津三島地区には筑紫津(つくしづ)があって筑紫津神社があるように、対面する枚方側には対馬津があって津島部神社があった。継体大王が樟葉宮を建てた枚方市町樟葉(まちくずは)に津島野地名が残っている。樟葉から八幡市を古くは津島野=対馬野と呼んでいたらしく ...
斉明天皇紀~天智天皇紀 全文簡略訳文資料
『日本書紀』斉明天皇紀 即位1年1月 西暦655年 飛鳥板蓋宮で斉明天皇即位。 即位1年5月 空に竜に乗るものが見える。 即位1年7月 難波で大勢の蝦夷と宴会。百済が(国家援助のために)贈ってきた(ペルシア人)建築博士や技術者らとも宴会。蝦夷の木工匠に冠位を与える。 ...
多い姓ならそりゃ部民、少ないのは管理者
にゅうが多いからにゅうのほうがはぶより勝ちとか意味のないことを言っているテレビを見ている。多いのはそちらのほうが身分が下層だったからである。それだけのこと。それが人口ピラミッドの法則。同じ苗字なら、多いのは最下層の読み方。階級によって読み方をかえたの ...
空白の飛鳥 八年間以上の大王不在 壬申の乱は天智が起こした
不可思議な斉明天皇の行動と、ありえない中大兄の即位『日本書紀』斉明天皇紀「 斉明7年(661)1月6日、前年末から難波宮に居た斉明天皇は難波津を出発した。8日、吉備の大伯の海で、大海人皇子の妃・大田姫皇女が女の子を出産した。大伯皇女と名付けられた。14日に ...
古代人はザコネしない
縄文人も弥生人もザコネしなかった。九州の住居遺跡には室内に区切りがあって、ちゃんと土の高い床があり、別々に寝ていたことがわかっている。その土の床がそのまま墓にも造られたのが九州の墳墓様式である死床(ししょう)なのである。いわば今の床の間である。これは南 ...
結論は出ている
阿蘇石の結論は出ている。ファンクラブで書く。さて縄文の寝室について、次回書こうと思う。弥生時代に影響を与えた縄文人の心根の優しさについてだ。ぼくには縄文のほうがはるかに楽しい。 ...
朝地町よこずれ図解で 阿蘇火砕流土壌
手前に向かってゆるやかな斜面畑地のほとんどは古い岩盤の上に阿蘇火砕流が乗っかった、そもそもすべりやすい地層で50年前にも横滑りが起きた危険地帯に指定されている。画像はhttps://twitter.com/yokohama_geoなどから借りて筆者編集しています。だいたい横滑りのシス ...
豊後大野市朝地の地すべりは
地質や地震学の専門家ではないけれど、一応地元近いので、そして古代史で地質を若干見ているので、思うことですが・・・。大野は構造線の切れ目に近いのと、地盤が、阿蘇の新しい隆起層と、祖母・傾の古い層の切れ目がありまして、かねてから地すべりは起こってもおかし ...
継体と蘇我氏・持統女帝に関わった河内馬飼氏関連遺跡
継体大王擁立に関わる氏族として大伴氏、物部氏は『日本書紀』が記すが、ほかに九州の火君、筑紫君、吉備氏、紀氏、葛城氏なども考えられ、さらに『日本書紀』も書いた河内馬飼氏がある。枚方市~四条畷市、南野、寝屋川市の広範囲に彼らの遺跡は点在し、その多くの場所 ...
みしま地名由来 摂津・伊予・伊豆
ここでは大三嶋信仰を持っていた海人族地名である三嶋について書く。摂津三嶋(大阪府)と伊予大三嶋ここが海人族三嶋地名の根源となっている。『伊予国風土記』に「津の国=摂津の三嶋より大山積の神を伊予国大三嶋に移す」旨の記載があるので、はじめは摂津の三嶋地域で ...
オシサカの男弟王は百済王の弟・東城王
癸未年 八月日十大王年男弟王在意柴沙加宮時斯麻念長寿遣開中費直穢人今州利二人等取白上同二百旱作此竟(大意)癸未(きび、みずのとひつじ)の年八月 日十大王の年、男弟王が意柴沙加(おしさか)の宮におられる時、斯麻が長寿を念じて開中費直、穢人(漢人)今州利 ...
阿蘇ピンク石石棺再論2 運搬氏族と枚方からどうしたか?
非常に重たいものを船で曳航した場合、非常に困る問題がある。淀川はいい。当時は水位も高く、大阪湾は今よりもずっと奥まで入り込んでおり、淀川で白肩(枚方)の津までは充分に往来が出来た。しかし枚方から先はかなり川が浅くなる。だから橋本あたりで一旦船から石を ...
阿蘇ピンク質問に答えて 熊本の額田部と武内宿禰氏族と磐井
過去の阿蘇ピンク石分析全部https://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/folder/1592602.html質問がきたので前の記事の追補として書いておく。●熊本の額田部臣と部の記録「寧楽遺文﹄中巻六一二頁︶ ..... 肥後 宇土. 大宅. 額田部君得万呂、及び戸口糠田部真島」豊後氏族 ...
阿蘇ピンク石石棺再論 その1 植山古墳の二基のピンク石
阿蘇ピンク石(馬門石)石棺について再論する。出ている石棺、その他ピンク石製遺物について詳細にやっていこうと思う。まずは飛鳥の植山古墳から。推古天皇と竹田皇子の、改葬前の方墳墓である。東西にそれぞれ石室が設けられ、阿蘇ピンク石製の完全な家型石棺があったの ...
今来才伎 技術と心の融合は列島でしか起こらなかった なぜを考えるべき
今来才伎とは、『日本書紀』雄略天皇7年「新たに百済から献上された手工業技術者たち」te-hito手人手に職(技能)を持った人手に技術を持つとは、それだけで理科系だと思う。船人が船を手繰るというのは、それだけで技術=理系行為であるように。「人間の脳は、右と左の2 ...
「見るあるもの少なし」女王の意味 倭人の同じ顔
魏志倭人伝には、女王卑弥呼を「見るあるもの少なし」と書いてある。あなた、その意味を深く考えたことありますか?これを例えば、筑紫の博多弁で、氏族たちの言葉として代弁すると、だいたいこういう意味になろうと思う。「なんね?ヒミコ?そりゃ誰?誰ね?誰のこつね ...
日出る山・三輪山 日没する山二上山と大和の墳墓 ピンク石石棺意味を探れ
大和で前方後円墳型の墳墓が生まれた理由を考えるとき、大和盆地の東西に位置する代表的な山のことは忘れてはなるまい。纒向から見て真西には二上山があり、真東には三輪山がある。卑弥呼の宮殿ラインの傾きを 推理する そして、.. ニギハヤヒ命のご陵を発見する!サ ...
親魏倭王金印はどこから出るか?
予定していた阿蘇ピンク石記事は次回に順延します。すんまへん。卑弥呼がもらったはずの親魏倭王金印・・・。その場所は推定するなら候補地がいくつかある。まず九州なら平原遺跡周辺、近畿なら東大寺山古墳近辺ではなかろうか?(吉備や讃岐・阿波もありえる)ただ、倭の ...
巨大前方後円墳順位表・子供の日特集なぜ大きくしたのか?
巨大古墳順位表(数字は全長)1 仁徳天皇陵古墳(大山古墳) 486 大阪府堺市堺区大仙町 2 応神天皇陵古墳(誉田御廟山古墳) 425 大阪府羽曳野市誉田 3 履中天皇陵古墳(石津ヶ丘古墳) 365 大阪府堺市西区石津ヶ丘 4 造山古墳 350 岡山県岡山市新庄下 5 河内大塚山古墳 335 ...
弥生の渡来以前から日本人は続いている 山崎茂幸
山崎茂幸は面白い日本人起源論を持っている。日本人は縄文以前の先史時代から、すべにできあがっていて、弥生時代の渡来は少なく、大きくDNA構成に影響はしなかった、と言うのである。この人は東大の農学の出身で、歴史や考古学や遺伝子学の専門家ではないが、なかなか面 ...
反対のことを考えている
常にあなたと反対のことを考えて生きている。例えば蘇我氏なら、そういう殺され方をしたのなら、古代人は、かえって丁重に彼らを祭るのだ。それは反対の見方をすれば、立派な祭られ方、巨大な墓を造ってもらえたものは、あとの時代の為政者から見て、祟る存在ではなかっ ...















