民族学伝承ひろいあげ辞典

脳梗塞男の料理とエッセイ、ときどき爆笑、ときどき不満爆発? 著書『秦氏が祭る神の国・その謎』2005年  1955年大分市生、京都育ち。 脳梗塞、高脂血圧、緑内障、糖尿病と闘病中。

2015年10月

神とはなんぞやについて、わかっていることがあるなら、書いて見られたし。 ...

この問題は以前、朴天秀や福永伸哉の研究を基盤にして、ざっと記事にしている。その被葬者が紀氏、巨勢氏、竺紫(ちくし)物部氏らのものであるという考察も書いておいた。ただし、それはあくまでも記紀記述を整合とする近畿考古学の立場から割り出された結論でもあるので ...

愛媛県伊方町町が住宅地区改良法(昭和35年法律第84号)により国の補助を受けて建設し、地区民に賃借するための小集落改良住宅大川伊方町湊浦87番地1(18戸)新川伊方町川永田乙390番地1(15戸)旭伊方町九町1番耕地1850番地(18戸)中道伊方町九町1番耕地2035番地(16戸) ...

「「壬」の字は十干の一つ「みずのえ(水の兄)」であり、壬生は「水辺」の意味を持つ言葉という説が一般的である。また、古代の職業部に壬生部があり、これはもともと「御乳(みぶ)」で皇族皇子の養育を司っていたものとされる。壬生部の居住地に壬生という地名が付け ...

九州独自の阿蘇石製横口式家型石棺は、この時代に西日本各地に採用される。これは筑紫連合と遠隔地有力豪族との親しい交渉を意味する。筑肥の様式の古くは組合せ式の石床・石障や石棚、石屋形を持った形式、新しくはくりぬき式の石棺、そしてなによりも横穴式石室の伝播 ...

今回から6世紀日本の画期となった大事件・筑紫君磐井の乱を考古学から徹底研究してみたい。磐井の乱は、6世紀まで存続したであろう北部九州地縁的連合体を、畿内王家とされている連合体が、朝鮮半島の支配権をめぐって国内で対立した大事件であり、磐井の敗北によって ...

有志会員と友だちさまのみに公開します。牛と言えば日本では生贄にする動物である。しかし生贄儀式そのものは災害神へのささげもので機嫌をとる儀式で、牛は「あめうし」などと言われて黄色い牛だとされる。あめうしとは、のちに牛供儀の意味が雨乞いに変化してのことで ...

4坂・境・敷居 ピラミッドは山の形状だが、ある意味死の世界と現実世界を区切る「さかいめ」の装置でもあっただろう。「さかいめ」の「さか」は「坂」「堺」「界」「境」である。「かい」は世界・境界・他界の「かい」である。あちらとこちらを分かつもの、地点。家の ...

今日からしばらく、古代エジプト人と世界・日本のそれとを比較する。地形から見る古代エジプト人の境目意識1 川  オシリス神話では、ナイル河は境界である。近隣では例えば西アフリカの西部にあるシエラレオネ共和国のメンデ族も、死者の霊は河、あるいは山を越える ...

以下は今年の7月に公式発表されたキトラ天文星宿図がどこで観測されたものか、に関する記事である。「世界最古とされる奈良県明日香村のキトラ古墳壁画の天文図(西暦700年ごろ)について文化庁は7月15日、解析の結果、古代中国の洛陽や長安付近で観測、製作された ...

高校の世界史で教わったのは、最古の文明は四大文明で、これまで歴史学は四大文明を中心にした考え方、それが最古の人間の考え方や嗜好性や死生観の始まりだみたいな扱いであった。しかし、人間の原初の志向性の起源が四箇所もあることそのものがおかしい話である。そこ ...

岡山県吉備の造山古墳群千足古墳仕切り石の直弧文と肥後型石室肥後北部に多い肥後型石室と直弧文九州式の石室で5~6世紀最も隆盛するのが石床・石障という独特のスタイルと、直弧文(ちょっこもん)である。石床とは大和のような石槨に棺を置く方式ではなく、遺体を直接 ...

この記事群は3つにわけて書いた。うちひとつは結論で、友だちのみの公開とした。ぜひ全文を続けてお読みいただきたい。友だち登録して全文を読むhttp://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/56710014.html北部九州~中九州にかけて、装飾を持たない知事クラスの古墳と、装 ...

いずれにせよ北部九州には4世紀から大和が送り込んだ吉備系国造クラスが各地に入っていて、吉備系が弱体化して継体が登場し、上からかぶさる。具体的に記録にある筑紫物部氏(麁鹿火 あらかい のような)の7世紀前での為政者交替劇は明確に起き、従来、吉備系筑紫君に従 ...

八女古墳群のグループ分けとその年代と氏族想定参考 柳沢一男『筑紫君磐井と「磐井の乱」岩戸山古墳』2014 新泉社柳沢のこの最新著作から判断できるのは、この古墳群には時代別に複数氏族が混在して統率していたということだ。その氏族や部は、在地海人族系・吉備系・ ...

われわれが受け入れてきたのは多くは長江文明人、それを引き継いだ伽耶・百済文化人といういわゆる倭種倭族の文化だけである。わずかながら後世には黄河文明による漢民族文化も仏教とともに、天武持統期に国家統一のためにのみ受け入れては来たが、日本人の思想の根底に ...

それはキリスト教やイスラム教の誕生がやはり同じような環境からであったことと似ている。森が作り出す豊かな資源や、豊饒の河川が枯渇し、世界から陰影が消えた時代にこそ一神教は生まれるのである。つまり世界環境が殺伐とすると、人々が感じていた森林の神秘性、日常 ...

一神教の誕生アメンホテプ4世Imen hetep生年紀元前1362年?~没年紀元前1333年?、在位期間は紀元前1353年?~紀元前1336年? 息子はツタンカーメン。多神教であった従来のエジプトの宗教を廃し、「唯一神アテンのみを祭る世界初の一神教を始めた」事が挙げられる。ただし、 ...

山陰で2例目の団扇形木製品が出土 鳥取・高住牛輪谷遺跡産経新聞 10月10日(土)7時55分配信   鳥取西道路の工事に伴い発掘調査している高住牛輪谷(たかずみうしわだに)遺跡(鳥取市高住)で、団扇(うちわ)形木製品や木製祭祀(さいし)具が出土したと、鳥取県教育 ...

このたびのノーベル賞、また日本人が二名が受賞という快挙。それもどちらも理科系での受賞。これに関連してニュースなどが北陸~岐阜にまたがる「ノーベル街道」をとりざたしている。Yahoo!ニュースよりいわゆる国道41号という「ぶり街道」に沿って、ノーベル賞受賞者 ...

エジプト ヒエラコンポリス第100号墓 彩色壁画ヒエラコンポリス Hierakonpolis エジプトのルクソールの南方 80kmのナイル川西岸にあった古代都市。現コムエルアハマル。ヒエラコンポリスはギリシア名で,古代エジプトではネケヘンと呼ばれた。先史時代から先王朝時代 ...

 マゲイアMageiaとも。古代ギリシャ(ヘレネス)の伝承で魔術のこと。 マゲイアはヘレニズム時代に人気があり、オリエントの、東洋の要素が豊富だったようだ。 誰かの愛情を得る、敵に危害を加える、といったことで使われた。  方法にはエポダイEpodai(呪文)、カタデセイ ...

大城道則は『古代エジプト死者からの声』河出ブックス 2015の中で、エジプト人にとって彼岸は地中海ではなくナイル川だったと書いている。死者はナイルを渡ってやってくると考えられた。日本でならそれは海の彼方、ニライカナイ、補陀落渡海などと、多く海の向こう側に ...

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