弥生時代から秦氏はいた。宇治に。宇治の「池山古墳」、古墳の痕跡見つからず 墓地の可能性、名称変更を京都府に提案へ古墳だと思っていたら中世の墓地だったという記事が考古学ニュースに出ている。この宇治の墓地のあるのは、往古、巨椋池があった低湿地帯である。し ...
2015年02月
平安時代に息長氏は記録から消えた
もう一度前の記事を読み直し、編集しなおしてみた。よくよく見れば、平安時代の記録にある人々の生きていた時代はみな、奈良時代のものであった。それも天武直後の740年代から800年代初頭だけなのである。平安時代にいた息長氏はたった一名。それも「息長と言うひ ...
息長氏は本当にいたのか?2 後裔氏族の発見と一覧 秦氏と末多君
前記事に息長氏には後裔氏族がいないと書いてから、「そんなはずはない」と思い直して探してみた。すると奈良時代、平安時代に息長を氏姓とする人びとが見つかった。しかも一覧になっていたので、そのまま転載しておく。◆実在した息長氏人名一覧 名前 ...
息長氏分析続き
息長広姫の墓ではないだろう村居田古墳と息長氏本拠地湖東の長浜息長氏・気長氏(おきなが・うじ)とは?「天武天皇の時、新たな氏族分類制度が導入された「八色の姓」。この時最も高貴な姓である「真人」姓の筆頭に息長氏が位置付けられた。理由は、時の天皇家の祖26継体 ...
息長氏は本当に存在したのか?
息長氏には三国真人、坂田真人、酒人真人という枝分かれ氏族が出てくるが、肝心の息長というかばねを持つ人物はその後ひとりも歴史上に現れない。また枝分かれした三氏族の後裔もまったく見えず、Wikiで三氏族を探しても記事すら作られていないのだから、書きようがない ...
筑紫国造磐井包囲網と装飾古墳の隆盛
磐井は豊前の上膳(かみつけのくに)に逃げるしかなかった。最新版装飾古墳分布図筑紫磐井の敗走コース継体大王の威信財が出た、磐井包囲網上にある古墳群これをすべてあわせてみると筑紫国造家とその同盟氏族には装飾古墳がなく、石人が置かれる古墳がある。装飾古墳がな ...
継体大王と秦氏 画像資料
なにも言わずにこれまでの画像史料を列挙しておく。あとは考えていただきたい。■継体大王の威信財 1 阿蘇ピンク石製石棺2 広帯二山式冠3 捩じり環頭太刀4 三葉文楕円形杏葉5 尾張型埴輪 1 阿蘇ピンク石石棺関係継体大王による筑紫国造家包囲網2 高島市か ...
謡曲「花筺」でわかる継体大王の出身地
ここからは100万アクセス間近を向かえての記念記事になります。この10年間のご愛読に感謝して、お送りいたします。Kawakatu輩世阿弥作 謡曲「花筐」はながたみ能 花筐 シテ照日の前越前市(旧武生市・今立郡今立町合併)余川町にある「越前の里 味真野苑」の継体 ...
全国原発所在地の確実性の高い秦氏渡来伝承と遺跡
日本の原子力発電所一覧 日本の原子力発電所 ・柏崎刈羽原子力 1~7号新潟県柏崎市青山町16-46 旧国名 越中国古志郡(平安・三嶋郡)刈羽郡刈羽村 ※地名青山は墓所、三嶋は瀬戸内、刈羽は鉱山と祭祀の地名・東海 第一茨城県那珂郡東海村白 ...
秦氏と継体大王の関係/若狭・近江秦氏と原発乱立地帯若狭湾・敦賀半島の因果関係の謎
滋賀県高島市と福井県美浜町の秦氏について(水谷千秋『継体天皇と朝鮮半島の謎』2013 より)近江国高島郡三尾(みお)郷の南市東(みなみいちひがし)遺跡・下五反田(しもごたんだ)遺跡に渡来人の痕跡が出土している。これは継体大王の母方出自となる三尾氏となる人々のもの ...
摩多羅神まとめ
「摩多羅神とは摩訶迦羅天であり、また吁枳尼天(だきにてん)である。この天の本誓に「経に云う。もし私が、臨終の際その者の死骸の肝臓を喰らわなければ、その者は往生を遂げることは出来ないだろう」。この事は非常なる秘事であって、常行堂に奉仕する堂僧たちもこの ...
摩多羅神の正体を解明する
摩多羅神=金比羅権現(マカラ=まだら)である。●マカラ(Makara)「インド神話に登場する怪魚。愛神カーマの旗標であり、ヴァルナ神の乗り物(ヴァーハナ)とされる。カーマのシンボルであるマカラは門や装身具の装飾に用いられた。象のような鼻、とぐろ巻く尾を持つが ...
牛玉宝印、牛の胆石
牛玉宝印「寺院・神社から発行される一種の護符。しばしば起請文の料紙に用いられる。和紙に〈二月堂牛玉宝印〉〈多賀大社牛玉宝印〉〈熊野山宝印〉などの文字が独特の字配り,書体で書かれ,仏の種字(しゆじ)(梵字)や宝珠などをあらわす朱印が押されたもの。木版刷りの ...
お水取り特集・梓弓鳴弦、三車火宅、風姿花伝、咒師走り、いざなぎ流、イタコ、秦河勝
梓弓と鳴弦 あづさゆみ・めいげん「梓弓(あずさゆみ、あづさゆみ)は、神事などに使用されるアズサの木で作られた弓。材質に関わらず弓のことを梓弓と呼ぶこともある。」「鳴弦は弓に矢をつがえずに弦を引き音を鳴らす事により気を祓う退魔儀礼。 魔気・邪気を祓う事を ...
藤原純友の乱2 意外な真相? 純友と修験道と秦氏
そもそも将門・純友の乱についての記事は『将門純友東西軍記』『将門記』『神皇正統記』『本朝世紀』『扶桑略記』「和漢合図抜萃」「元亨釈書」「古事談」『歴代皇紀』の「将門合戦状伝」 『摂政忠平宛将門書状』など多数の史書・書簡の断片記事をまとめることで歴史的事 ...
藤原純友の乱 1
藤原純友は中央貴族だった藤原氏の、それもかなりの身分の出である。それが、なぜか伊予の三番目の地位の地方官吏として派遣されている。このあたりは実は非常に大事なことであろう。純友が平安京に向かい、海賊の頭領として侵略したのは、平将門の関東での決起と呼応し ...
ガリア人の水の祭殿は日本の水祭祀場にそっくり
ケルト系民族だったガリア人は、水を聖なるものとして祭殿を建てている。フランス、オワーズ県のグルネイにあるその遺跡を復元したものがこれ。これを見て筆者がすぐに思い出したのは、日本の三重県松阪市にある宝塚古墳出土の建造物埴輪。あるいは同じ導水施設遺構では ...
フン族と民族大移動とそして現代IS発生の因果関係を一気に理解する
フン族は一言で理解しようとするならば「中央アジア騎馬遊牧民連合体」である。345年以前の紀元前から、中央アジアのカスピ海沿岸の某所で、徐々に、東西から集散してできあがっていった国土を持たない、騎馬による移動生活をしてきた多くの民族が、3世紀の世界寒冷化に ...
フン
フン族とは誰か?不明である。騎馬遊牧民匈奴だとも言われるが、その正体はわかっていない。いずれにせよ5世紀、彼らが東からやってきて、ゴートつまりゲルマン民族は押し出され南下し、ローマへ大量に異民族の血が入り込んだことは間違いない。フン族欧州移入の要因は ...
ギリシア×ペルシア戦争まで遡ってイスラム世界を知る
ダレイオス1世(古代ペルシア語: 𐎭𐎠𐎼𐎹𐎺𐎢𐏁 - Dārayavahuš - ダーラヤワウシュ, 英語: Dareios I, 紀元前558年頃 - 紀元前486年) はアケメネス朝ペルシア第3代の王(在位:紀元前522年 - 紀元前486年)。通称、ダレイオス大王。インド遠征[編集]詳細は「:en:Iran ...
渦巻きと弧文
ではもう一度日本の弧文、直弧文の中にある渦巻きを吉備、弧帯文石同上纏向石塚山古墳、弧文円板福岡 石人山古墳 直弧文渦巻きは∞螺旋はより∞その∞を絶ち切られた直弧文Kawakatu’s HP 渡来と海人http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/かわかつワールド ...



















