民族学伝承ひろいあげ辞典

脳梗塞男の料理とエッセイ、ときどき爆笑、ときどき不満爆発? 著書『秦氏が祭る神の国・その謎』2005年  1955年大分市生、京都育ち。 脳梗塞、高脂血圧、緑内障、糖尿病と闘病中。

2014年03月

 三国志時代の到来である。現代。 魏志の倭国大乱のいい類似サンプルになるのが台湾政府の親中政策への民間の反発ではないだろうか。 魏・呉・蜀に当たるのが欧米・中・露。今、中露が急速に近寄り始めている。かつての東側二大勢力。一方、西側、欧米日韓は経済的に ...

  ランキング1位をめざす  『墓の考古学』土生田純之 吉川弘文舘 2013 から  1墓のなかった人々は・・・平安時代~中世になっても、これは世界的にだが、墓の中に葬られない人がほとんどだった。筆者が知っているところでは花の都パリなども、街中に死骸・ ...

 まずは押しちょくれ↓ https://blog.with2.net/in.php?686171 ■画文帯神獣鏡は卑弥呼の鏡画文帯神獣鏡 - 日本、中国でも多数出土する。中国で3世紀に製作されたと思われるが、日本では5世紀後半の古墳から出土することがある。日本からは約60面出土している。畿内地 ...

 三角縁神獣鏡が大量に出た古墳と言えば、まず奈良県の黒塚の33枚、京都南部の椿井大塚山の32枚、兵庫県の枚、福岡県の石塚古墳などがあげられる。 その神獣鏡は呉の絵柄を持った鏡ではあるが、こと三角縁という目で見ると、どれもが全部、棺の外側にまとめて置か ...

   最近、ニュースでよく耳にするPM2.5ですが、わかりやすく言うと、「大気中に浮遊する直径2.5μm(マイクロメートル)以下の微粒子状の物質」 物質の種類は関係なく、2.5μm以下の大きさの物質を全てPM2.5と言います。 ※マイクロメートルとは、1ミリの1/1000の大きさ ...

     http://youtu.be/4x5KWaQcSgA           出展サイトhttp://ccsr.aori.u-tokyo.ac.jp/~sumi/factors/il.html    太古から、風は世界の人類を動かしてきた。参考 宮崎正勝『風が変えた世界史 モンスーン・偏西風・砂漠』2011 広く歴史を知 ...

   この季節は桜の記事を毎年書いております。今回は数多い桜の品種の一部を。特に名前の優雅なものをメインに。  参考サイトhttp://5.pro.tok2.com/~yoshino/hana/sakura/sakura_mokuji.htmlなど。    かんざん(関山)         かんざくら(寒桜)    ...

 日本人が梅からサクラへ心変わりした、その時期は特定できるだろか?    卒業式バージョン表彰状    画像はすべて今年2014のサクラ。東九州3月24日本日撮影。   ◆花見の歴史「花見は奈良時代の貴族の行事が起源だと言われている。奈良時代には中国 ...

   そがのいるか~~ですけど、クリックしてみ  乙巳の変 「皇極4年(645)6月12日、板蓋宮で入鹿を殺した中大兄皇子たちは、諸皇族、諸臣を従え飛鳥寺にはいって備えを固め、入鹿の死骸を甘橿丘邸宅の蝦夷のもとに届けさせた。邸宅の各門の警備にあたっていた渡来 ...

 石人が置かれていた古墳の分布図  一覧表熊本県文化財調査報告書2002年  石人全32基■大分県 (豊国)臼塚古墳 (うすづか)   大分県臼杵市(旧南海部郡臼杵)大字稲田下山古墳 (しもやま)   大分県臼杵市大字諏訪天満2号 (てんま)      日田市 ...

 おまけ資料として日田市誠和町陣ヶ原の鏡坂(NHK中継所そば)に置かれてある二基の石人について。以前かわかつワールドブログだったかに訪問記録を書いたはずだが、ブログを削除したのでよそ様の記事を貼り付けておく。  石人  大分県指定有形文化財 「二基のうち一 ...

 石造物は歴史の証拠品。次回、蘇我入鹿の墓はどこだ? そんなのいるか~~~でありますよ。 http://youtu.be/V0O5R_wJKTg  馬子の石舞台は土盛りをはがされたことが近年の調査であきらかになっております。乙巳の変以前に死んでいる馬子でさえそうされたわけです。 ...

          アイルランド   フランス・ブルターニュ   スペイン      朝鮮    日本・佐賀県金立遺跡    大事なのはブルターニュ。支石墓をいくつも横に並べている。そうしていくと古墳の石室に似て来る。   海洋民族にはある共通の死生 ...

With2ブログランキングへ前の記事の支石墓派生地について、では世界に広がるこの海洋民的な墓制は、白水郎の本拠地だった中国南部海岸地域には本当にあるのか?を検証したい。世界の支石墓(ドルメン)分布図◆支石墓とは、その分布域は?「支石墓(しせきぼ)は、ドル ...

    ■武装石人の分布(島根県以外は全部九州。伝承地含む) 分布図と熊本県文化財調査資料による一覧表は修正してhttp://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/56190087.htmlに掲載しました。 ■福岡県 (筑紫国)石人山古墳(せきじんさん) 八女市広川町大字一条字人形 ...

 敗北した氏族は当然のごとくにそのあと差別された。  それは決して怠惰な生き方をしてきたからではなく、敵対したためにそうなった。  敗北したからそうなった。  怠惰かどうかは、その後の生き方次第である。   少なくともそうなる前には、彼らは君たち以上 ...

      孝徳天皇元年6月14日(645年7月12日)に軽皇子(かるのみこ)が即位し孝徳天皇となる。孝徳天皇は同年の大化元年12月9日(646年1月1日)に都を難波宮に移したが、それに反対する皇太子の中大兄皇子(後の天智天皇)は白雉4年(653年)に都を倭京(飛鳥)に戻すこ ...

    京都府南部大山崎・・・ そう聞くとぼくらの世代では「三川合流地」「サントリーウイスキー山崎」がまず思い浮かんでしまう。 あるいは歴史に詳しい人なら明智光秀と秀吉の大決戦の場。 あるいはミステリーファンなら水無瀬と百人一首の配置の謎・・・。 さ ...

    崇神十年、孝元天皇皇子の武埴安彦命(タケハニヤスヒコ)が反乱した。タケハニヤスヒコは山背から、妻の吾田媛(アタヒメ)は大坂から、同時に大和に攻め込もうとした。このとき、実際に防戦した将軍は、春日王家ワニ氏の彦国葺(ヒコクニフク)と、孝霊天皇皇 ...

 昨今の若い人たちの中には、日本がアメリカと戦争をしたことを知らない人がいるという。そんな馬鹿なと思うが、理由を聞いてなるほどだった。 日本の高校の歴史授業は古代史から始まって平安・中世戦国・近世・近代・現代へと順を追うが、規定の時間内ではどうしても ...

 現代に伝承された縄文技術 ■クリ山の価値●中世には栗山は付加価値絶大網野善彦「中世荘園の財産目録で栗林はほかの山とは別評価されていた」栗は実もさることながら縄文時代から中世を通じて材木として高評価されていた。栗山さんは大地主だったのである。今ならさ ...

   森浩一『敗者の古代史』では、記紀にある古代の戦争や反乱から、敗者がどのようなその後をたどり、それが古代史の多くの謎を解く鍵になることが明確に例証してある。          タイトルをあげておこう。 1 饒速日命と長髄彦 にぎはやひとながすねひ ...

 忍熊王の反乱(宇治川決戦)概要 「息長帯比賣命は朝鮮半島遠征を終えて、筑紫の宇美にもどり品陀和気命(応神帝)を無事出産した。その後大和へ凱旋しようとするが、大和では仲哀帝のもう一人の妃である大中津比賣命所生の皇子香坂王、忍熊王兄弟が阻止しようと待ち構 ...

『三国志』「魏書」東夷伝倭人条「南至邪馬臺國、水行十日陸行一月」記事 倭人在帶方東南大海之中 依山島爲國邑 舊百餘國 漢時有朝見者 今使譯所通三十國從郡至倭 循海岸水行 歴韓國 乍南乍東到 其北岸狗邪韓國七千餘里始度一海千餘里 至對海國 其大官曰卑狗副曰卑奴毋 ...

 三角縁神獣鏡と言うとなにかと 「卑弥呼の鏡か?」 となる風潮だが、 こと神獣鏡に関する限り三角縁である必要は関係ない。 三角縁に倭国内でなっていくのは、 鏡を大きくしたからだけの理由である。 大きくなると金属化鉱物はひずみが生じる。鋳造中に割れてし ...

 ●景初四年銘(西暦240年なお景初四年は実際にはなし) 6、 京都府福知山市東羽合・広峯15号墳(前方後円・4C後半)・斜縁盤龍鏡 7、 宮崎県西都市高鍋町・伝・持田古墳群(不明・4~6C)・斜縁盤龍鏡     日本海側と太平洋側、ほとんど西日本の対角線に位置 ...

 ■宮城十二門号氏族世界大百科事典 第2版 宮城十二門の用語解説 -「 日本古代の宮城の最外郭を囲む 宮城垣に開く門。大宝令では外門という。4面各3門ずつの計12門あるので,宮城十二 門と通称する。ただし平安宮での宮城門は東・西面に上東門,上西門も加えられ14門 ...

他人が感応した、覚醒できたあるヒントを客観的に眺める行為ではないか?そうたまに想う。  これまでここに、そういう、他者が感じた多くのヒントを、だらだらと書き連ねるブログ生活だった。けれどそれを組み合わせて、ぼくはぼくなりの別の視点を述べてきたつもりな ...

 感応するとはなんでしょうか? あるところに磁場があります。 そこは1万年経ったとしても気を感じさせます。      何気ない風景・・・ けれど、この道の先には 実はわたしの祖母の祖先の墓地があります。 初めて来た場所なのに わたしはそれを感じました ...

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