民族学伝承ひろいあげ辞典

脳梗塞男の料理とエッセイ、ときどき爆笑、ときどき不満爆発? 著書『秦氏が祭る神の国・その謎』2005年  1955年大分市生、京都育ち。 脳梗塞、高脂血圧、緑内障、糖尿病と闘病中。

2014年02月

 なぜ天智は白村江にでばったのか、なぜ近江に立てこもったのか?その真実を海部評設置から分析します。今夜書くつもりができあがってしまいまして・・・。     PS Hisabetuと古代史 も またやります。  必ずやりますから。    ...

 そもそも弱体政権。そもそも女を差別する儒教がちがち社会。だからぱくぱく、くねくねと旧態依然の古代人脳みそ権威たちに媚を売る。 一方、中国でも、慰安婦問題のものまねで弱体共産政府が右往左往の金瓶梅じゃなくてしゅうきんぺー。 さらに同盟国であるはずの小 ...

  「尾張は東国への、豊後は九州から朝鮮半島への、出雲・隠岐は日本海交通のそれぞれ基点的要衝である。 さらに言えば、隠岐を出雲の勢力圏と見なせば、この三カ国に紀伊を加えた四カ国にだけ、後に海部が設置されることになる。」中村修『海民と国家形成史論』第二 ...

 集団的自衛権(しゅうだんてきじえいけん、英語:right of collective self-defense、フランス語:droit de légitime défense collective)とは、他の国家が武力攻撃を受けた場合に直接に攻撃を受けていない第三国が協力して共同で防衛を行う国際法上の権利。その本質 ...

傀儡子や磯良舞いの神楽では、最初に意味不明の発声がある。これはいわば、磯良を呼び出すための呼び声である。「阿知女々々々於々々・・・」という。「あちめあちめ」と呼ばれて、磯良が「おお」と返事するのである。折口信夫は細男を「才の男」と考え、才は海系、大人 ...

 資料出展 松原弘宣 『古代瀬戸内の地域社会』同成社古代史選書1 2008  記録されている瀬戸内国別氏族  1播磨国      2吉備国      3安岐・周防・長門・豊前国      4 伊予国      5讃岐国    役にたったらクリックお願 ...

  吉備と宇佐の関係資料 1 「国前(くにさき)国造、志賀穴穂朝吉備臣と同祖。吉備都命六世午佐(うさ)自命   定賜国造」『先代旧事本紀』国造本紀 2 豊国(とよくに。大分県~福岡県豊前地域)の国前臣は日子刺肩別命(ひこさしか  たわけ)のことであり大吉備津 ...

 筆者は国東の岐部地名は紀氏臣下の木部だと考えている。3~5初期まで、瀬戸内共栄圏が吉備を中心に東は椿井大塚山古墳から尾張東海地域、西は豊後・豊前の海岸部~海部郡まで広がっていたと見ている。その範囲は昨日書いた平形銅剣の出土地から伺うことができる。  ...

 おほしこうち、おほしあま これらの海人氏族の分析はたくさんある。しかし一番重要な問題は「凡」の意味である。 凡は「おほし」と読ませる。現代表記では「おおし」である。 凡の字義は多い。 角川新字源で調べると 土を盛りつき固めるのに使う板組みの形にかた ...

 ランクリ!  『古事記』「此の御世に、海部、山部、山守部、伊勢部を定め賜うなり」(応神天皇紀)    ここにある「伊勢部」とは文脈から察するに西田長男や水野祐は「伊勢の海部」と解釈している。しかし南伊勢地方に海部地名はなく礒部(いそべ)地名だけがある。 ...

  通常の器台・壺から特殊器台・特殊壺へ「弥生時代最初期から壺形土器が、少し後に器台が現れる。器台はサイズが大きく、装飾性が強いことなどから日常的には使用されなかった道具と考えられる。器台は壺、甕、皿などさまざまな器物を載せるためのものであるが、壺に ...

    紀州式石棚石室と肥後式石屋形横穴式石室の分布    双鳳文鏡分布図この鏡については別記で解説   全国海部の分布     関連資料   3世紀後期出現期の古墳一覧はいずれ作成します。全国的に箸墓と同時代、あるいはそれ以前の前方後円墳はかなりの数 ...

 というわけで、前の記事で書いた横穴式石室の西から東への伝播とともに移動拡散してゆく石棚石室の変遷を時代を経て一目瞭然にしてみた。   最初は屍床だけだったものが5世紀後半の古墳初期には隔壁を両側に置き、さらに6世紀までに上部に石屋根が置かれていく。 ...

長文引用 奈良県立橿原考古学研究所友史会2010年2月例会「平群へぐり谷の古墳」 案内 村社仁史氏(平群町教育委員会) 千賀 久氏 集合近鉄生駒線平群駅 三里古墳 →現・長屋王墓(梨本南2号墳)→現・吉備内親王墓→ツボリ山古墳→あすのす平群→西宮古墳→ 剣上 ...

  三重県嬉野町一志筒野古墳出土 三角縁天王日月獣文帯三神三獣鏡  三角縁神獣鏡と言っても絵柄はさまざまある。この三角縁鏡は 大分県宇佐市免田古墳群の赤塚古墳(4世紀)福岡県福岡市の天神森古墳同じく行橋市に近い苅田町の豊前石塚古墳(二面)同じく筑紫野市原 ...

 紀氏の紀ノ川沿岸、近畿における居住地について、栄原永遠男(さかえはら・とわお)は以下のように五ヶ所に分けて考察している。 ①和泉国南部の淡輪(たんのわ)地域②紀ノ川下流北岸側・・・大谷古墳群周辺③紀ノ川下流南岸側・・・岩橋千塚古墳群周辺④大阪湾沿岸部⑤ ...

   以前当ブログ「石棚のある石室と紀氏海民」で奈良平群谷の紀氏分析を予定していてそのままになっていたので、今回改めて紀氏と石棚石室、海人族がいつから海部になっていったかなどを再調査した。主とする参考文献は理数系出身の歴史考証学者・中村修の最新作『海 ...

 引用文献 菊池山哉『先住民族・賤民族の研究(昭和初期著作集の改訂編纂版)』批評社 1992豊後国風土記網磯野(あみしぬ)の条「纒向日代宮御宇天皇(景行)(豊後国)行幸の時、此に土蜘蛛ある、名を小竹鹿奥(しぬかをく)。小竹鹿臣と曰ふ。此の二人の土蜘蛛 ...

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