民族学伝承ひろいあげ辞典

脳梗塞男の料理とエッセイ、ときどき爆笑、ときどき不満爆発? 著書『秦氏が祭る神の国・その謎』2005年  1955年大分市生、京都育ち。 脳梗塞、高脂血圧、緑内障、糖尿病と闘病中。

2013年05月

   「小松(北小松)」という古い漁港がある。日本に小松という地名が無数にあるが、周防大島の漁港小松が高麗津(こまつ)であったように、ここもあるいは高麗津だったのかもしれない。この漁村を通り過ごそうとしてふと自然石を組んだ波ふせぎが古い民芸品をみるように ...

 息長氏と百済論資料3  息長氏だけでなく、そこがなぜ百済工人が住むようになるかのひとつのヒントである。その歴史は、百済建国以前からだったろうと思う。なぜなら、日本各地に同類の鉄器、維新材、朝鮮様式の土器、冠頭太刀、積石墳墓、土コウ墓、が馬韓時代のも ...

百済と息長氏論のための資料2  ランキングが落ちてきました。ご協力を!! 《コマ・コウライ》狛犬 高麗人参 独楽 駒)三重県伊勢市高麗広(こまひろ)は伊勢内宮から五十鈴川を遡った山間の里で、紅葉の名所でもある。京都府の南部、木津川を挟んで、精華町「下狛 ...

まず昨今の女性天皇論を踏まえたうえで、誤解のないようにしておかねばならないことが、女性天皇と女系天皇は厳格に違うということである。たんに男子継嗣がいなくなったので女子が天皇になるということではなく、天皇はまずもってあくまでも天孫~神武の系譜=男系であ ...

なぜ金太郎と額田女王に関係があるか?読めばわかる。   ◆金太郎と息長氏「金太郎にはいくつも伝説が存在するが、静岡県駿東郡小山町の金時神社(金太郎が祭られている神社)に記されたものによると、天暦10年(956年)5月に誕生したという。彫物師十兵衛の娘、八重 ...

忍坂・息長氏分析付録この一連の息長氏分析は、必ずや邪馬台国にまで通じる、なんらかのヒントを筆者にもたらすだろうと期待している。Kawakatu  隅田八幡人物画像鏡【すだはちまんじんぶつがぞうきょう】 和歌山県橋本市の隅田八幡神社に古くから伝わる【ぼう】製(ぼ ...

  ◆おしさか【忍坂】  「奈良県桜井市東部の歴史地名。押坂,恩坂とも書き,おさかともいう。忍坂邑の名は古く《日本書紀》※1神武即位前紀,※2垂仁紀にみえ,最古の金石文の一つである※3隅田(すだ)八幡人物画像鏡の銘文に〈意柴沙加宮(おしさかのみや)〉の ...

 国際結婚は歴史的にけっこうある。 (いきなりなんだと言うなかれ) ◆ハプスブルグ家ルドルフ一世のあと、アルフレヒト一世~フリードリヒ一世~マクシミリアン一世と継承された血脈は、ブルゴーニュ公国のマリアをの国際結婚を選択した。さらにその皇子フィリップ ...

 郡より女王國に至る、萬二千余里。 女王國の東、海を渡る、千余里、復た國有り、皆倭種 さて、この文節をどう扱うか?  ◆郡より女王國に至る、萬二千余里。帯方郡から邪馬台国までの総距離である。魏志の各都市の距離を足してゆくと1万2千里である。総距離もこ ...

  『播磨国風土記』揖保郡条「大田と称するわけは、昔、呉の勝[クレノスグリ]が韓の国から渡って来て、始め紀伊の国の名草の郡の大田の村に着いた。その後、分かれ来て摂津の国の三島の賀美[カミ]の郡の大田の村に移って来て、それがまた揖保の郡の大田の村に移住して ...

 昨日は解説できなかったので、もういちどまとめておく。  「井上正雄の労作『大阪府全志』が世に出たのは大正11年のこと。かつて「東成郡」に属していた喜連村の項には旧家に伝わる一つの「家記」が紹介されているのですが、書かれている具体的内容は先に見た楯原 ...

 現在の大阪市平野区喜連町:旧東成郡喜連村付近の伝承記事である。この辺りは、元々大々杼(オオド)国 大々杼郷と称した。「楯原神社」の祭神建御雷男の子孫 大々杼命にちなんで付けられた。神武天皇時功あって 大々杼の姓を賜り、国造に任じられた。14仲哀天皇時「 ...

◆阿波忌部氏と水銀「・吉野川市の前身である「麻植郡」は、807年に斎部宿禰広成が記した『古語拾遺』に阿波忌部の祖神たる天日鷲命(あめのひわし)が肥沃なる地を求め当地に来て穀や麻の種を植えたために名付けられた歴史的名称であった。 その起源は、 徳島市 の「観 ...

  ◆三重県の鉱山と鉱物紀州鉱山(きしゅう)… 金・銀・銅・鉛・亜鉛・黄銅鉱・螢石・錫(1978年5月閉山)石原産業(株) -南牟婁郡紀和町山田鉱山…マンガン(1970年代閉山)岡田鉱業所-伊賀市(阿山郡大山田村)阿山鉱山…長石(操業中)白石鉱産-伊賀市(阿山郡阿山 ...

                      吉備型の特殊器台・弧帯文がついている 奈良県立橿原考古学研究所 / 研究員坂 靖(さか・やすし)https://kaken.nii.ac.jp/d/r/30250377.ja.html「従来、特殊器台から変化して埴輪になったとされていた。どこからが特殊器 ...

 記紀が述べている大和王朝歴代王家の中で、実在した可能性が最も高いのが、記紀成立直前の息長系王譜であろう。敏達と息長広姫の婚姻に始まるこの系譜こそは、現代の皇室に直接つながる系譜である。 だが、この敏達以降の王統が、実は日本の王朝にとって海外から「な ...

百人一首98.風そよぐ ならの小川の夕暮は みそぎぞ夏のしるしなりける  従二位家隆 ●みそぎ ・・・魏志に言う、「其の死には棺有るも槨無く、土を封じて冢を作る。始め死するや停喪十余日、時に当たりて肉を食わず、喪主哭泣し、他人就いて歌舞飲酒す。已に葬れ ...

 記紀はなぜスサノヲという荒ぶる神を神話に登場させたのだろうか?あなたはそう考えたことはないだろうか? あのように、およそ神としてあまりに激しい神格を、なんの必要があって史書が書き残したのか? この神を奉ずる氏族は多い。王家の大連(おおむらじ)だった ...

  「香春」の語源については様々な仮説がある。私見を述べるならサンスクリット語の「かっばーら」が有力だろう。カッバーラには皿、鉢などの焼き物の意味がある。亀ト(きぼく)は道教の秘術でシャーマンが亀の甲を焼いて吉凶を占うわけだが、同様に陶器を焼くのも亀 ...

 三世紀の崇神(三輪)王朝のあと、記紀は応神を始祖とする河内王朝へ切り替わってゆく。その変わり目に登場した武力王が景行天皇とその皇子ヤマトタケル、そしてその子仲哀(たらしなかつひこ)天皇である。「たらしなかつひこ」の「たらし」には息長系の古さを証明し ...

 先に『魏志』倭人伝全訳を掲載しておいた。その中でややマニアックな詳細にこだわってみよう。  『三国志』「魏志」東夷伝倭人の条には、筑紫の倭人の風習についてこのような記載がある。 倭の地は温暖にして、冬・夏生菜を食す。皆徒跣なり。 屋室有り。父母兄弟 ...

【政治・歴史】●組織 女王國自り以北には、特に一大率を置き、検察せしむ。諸國之を畏憚す。常に伊都國に治す。國中に於て刺史の如き有り。王の使を遣わして京都・帯方郡・諸韓國に詣らしめ、郡の倭國に使するに及ぶや、皆津に臨みて捜露す。伝送の文書・賜遺の物、女 ...

 【位置・道程・地形】  倭人は帯方の東南大海の中にあり、山島に依りて國邑をなす。旧百余國。漢の時朝見する者あり、今、使譯通ずる所三十國。 ●対海國(対馬)郡より倭に至るには、海岸に循ひて水行し、韓國を歴るに乍ち南し乍ち東し、その北岸狗邪韓國に至る七 ...

   和歌・短歌と言えば古代史の花。その中で特に心に残る達人たちがいるが・・・。 柿本人麻呂大伴家持紀貫之・友則菅原道真公小野小町一家 などなど。  よく考えてみれば彼らの先祖がことごとく「やられた氏族」である。 小野氏と柿本氏はともに1~3世紀のヤ ...

 考古学的発掘結果に準じるならば魏志邪馬台国時代にジャストフィットする遺物が出ているのは大和(おおやまと)古墳群の古いプレ前方後円墳(纒向型弥生墳墓)しか「まだ」ない。今のところ推定充分な墓は、、、 卑弥呼・・・中山大塚墳丘墓・・・理由、庄内式土器の ...

     ●弥生時代 歴代挟撃構想 三世紀前後、極東地域には群雄が割拠していた。公孫氏燕国高句麗ワイ新羅(辰韓)百済(馬韓)伽耶連合(安羅・加羅(弁韓)・倭など)である。 また倭には博多湾から西部の倭人連合が南下して南九州を手中にしており、これはいわ ...

あくまでも読み方の一例である。この碑文には歴史観が関わるために、読み方はさまざまあることだけは先に申しておく。  391年 倭、海を渡り百済・新羅を破り臣下とす。396年 広開土王(好太王)軍を率い百済を攻める。平壌(ピョンヤン)に至る。399年 百 ...

↑このページのトップヘ