民族学伝承ひろいあげ辞典

文献・科学・考古学・遺伝子学・環境学・言語学・人類学・民俗学・民族学 あらゆるヒントを総合し、最新用語を解説、独自に解釈してわかりやすく説明します。 誰も書かない、目から鱗、鼻から牛乳、目から火花、頭の先からぴかっと電球

2011年02月

紀氏、業平・・・漂白の旅は調査活動か?地図製作か?か/らころも   き/つつなれにし    つ/ましあれば     は/るばるきぬる      た/びをしぞおもふ伊勢物語9段  三河国八橋「唐衣をずっと着続けていると次第に身に柔らかくなじんでくるが、ちょうどそ ...

■集落の魔除け、ウツギ・卯の花縄文時代の環状集落や弥生時代の環濠集落、さらに古墳時代の古墳まで、その周囲にはウツギや仲間の卯の花の木が植えられていることが多い。馬見丘陵→http://blogs.yahoo.co.jp/kazzkoro/43369584.html安満宮遺跡→http://e066u.blog46.fc2.co ...

■惟喬親王「惟喬親王(これたかしんのう、承和11年(844年) - 寛平9年2月20日(897年3月30日)は、平安時代前期の皇族。文徳天皇の第一皇子。母は紀名虎の娘・更衣紀静子。別名小野宮。同母妹に恬子内親王がいる。当親王を支持した紀氏は、側近だった者らを顕彰し六歌仙と ...

■さざれ石(細石=こまかな石)○古今和歌集の巻第七賀歌   題しらず 読人しらず  わが君は千代にやちよに さざれ石の巌となりて苔のむすまで○「さざれ石」 成務天皇の三十八人目(の子供)は、「姫君にて..数も知らぬほどの皇子 たちの御末なればとて、その御 ...

With2ブログランキングへ■麻打山『播磨国風土記』揖保郡「昔、但馬の国の人、伊頭志君麻良比(いづしの・きみ・まらひ)、此の山に家居しき。二人の女、夜麻を打つに、やがて麻を己が胸に置きて死(みう)せき(御失せき、あるいは身失せきで「みうせき」である)。故 ...

■別部の犬(『播磨国風土記』讃容郡)この鉄を生ずる「十二の谷」を発見したのが「別部の犬(わけべの・いぬ)」だと風土記は書いている。別部(わけべ)も部民の名である。人でありながら犬を自称し、犬の子孫であり、鉱物を探し出す部民である。犬を祖先とする氏族とは隼 ...

With2ブログランキングへ少しの間、『播磨国風土記』から鉱物関連地名を播磨の宍粟・佐用などに探ってみたい。先日の松田、寒田地名からのつながりである。流れの中で「イボ」「イメ」地名などにも暫時触れることになるだろう。■金屋子神 かなやごのかみ江戸期後期天 ...

寒田(さむた)神社  神奈川県足柄上郡松田町松田惣領1767西寒多(ささむた)神社 大分県豊後大野市犬飼町大字西寒田小字松田どちらも松田にあるのは偶然の一致ではない。人が来たからである。時代は鎌倉時代。相模国足柄郡秦野市は豊後守護職(しゅごしき)・大友氏 ...

   ●骨太し 父少尉なり ちさき磁器 収まりかねて余命ちらばる  まだ生きられたのではあるまいか?わが父は・・・。死に急がせたはわれの不明とわががまのため。慙愧と懐疑少しあり。しかし残った兄弟は生きていかねばならない。     ○行く末を 息子にたくし ...

             黒服をひきだし袖を通したり             俳句好きの岳父ついに大往生せり              しばし更新できません。              Kawakatu輩 ...

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