民族学伝承ひろいあげ辞典

脳梗塞男の料理とエッセイ、ときどき爆笑、ときどき不満爆発? 著書『秦氏が祭る神の国・その謎』2005年  1955年大分市生、京都育ち。 脳梗塞、高脂血圧、緑内障、糖尿病と闘病中。

2011年01月

島根県にはアイヌ語のような地名がいくつかある。明治時代には日本地名の多くはアイヌ語派生説が主流を占めたが、今は、アイヌは陸封縄文人ということで一致。するとそれらのアイヌ的地名の大本は?アイヌが縄文の特殊化した一派であるとするならば、ツングース系やらの縄文 ...

長々と饒舌に書き綴ってきたこのシリーズもようやく完結を迎えた。邪馬台国はいったいどこにあったのか?そんなことはわからないほうがいい。けれど知りたい。仮説でもいい。なにか新しい着想はないものか。そこから開始されたこのブログの役目も、ようやく大団円を迎えるこ ...

■会津盆地の古墳群「会津盆地には三つの同時期(4世紀前期から中期)に派生した古墳群がある。会津最古の古墳・杵ガ森古墳などを擁する宇内青津古墳群、四道将軍大彦の古墳と以前は言われていた会津大塚山古墳を擁する一箕(いっき)古墳群、そして前方後方墳墳と方墳で構 ...

With2ブログランキングへ●倭人・弥生人の特定と馬王堆遺跡文明の再論紆余曲折の末、ここまでで、ほぼ「弥生人の本拠地である長江流域」という結論に到達した。ミャオ=楚人にも、もちろん可能性はあるが、残存するY染色体分析では、楚人が来たことは証明できず、投石 ...

●縄文人はD系列北方アジア人、弥生人はO系列南方倭種○長江から来た弥生人長江流域からやってくる長江文明人(O系統)たちは、現地でベトナムと華北へ移動している。ベトナム人Y染色体亜型の14%がO2b遺伝子系統を持っている。O2b系統はオーストロアジア系人種 ...

邪馬台国追補解説「弥生人」とは?●●弥生時代の「倭人」とは北西部九州の甕棺墓氏族ですべてが整合!●●DNA多型Y染色体分析による日本列島中間部(九州・四国・本州)へ流入した主なヒト集団のホームランド(地理的ルーツ)および文明・文化(文化的ルーツ)■北部九 ...

それはゴホウラガイと甕棺墓変遷の分析がそうさせます。それがこれからの邪馬台国仮説の中心命題へと必ず考古学者も史学者も向かうことになるのです。間違いなく。だから、ここでこのブログから立ち去ると、九州説の諸氏・・・特に東遷支持の人は大損をします。遠回りするこ ...

間違いなく古代人はゴホウラに魂魄を見た!先端研磨によって巴形に到達したのだ。自信が持てた。With2ブログランキングへ■甕棺墓「アジアでは、まず黄河文明期の中国に現れている。ほとんどが乳幼児のものであり、成人のものは華北西部のみに分布する。また、東南アジ ...

With2ブログランキングへ「金隈遺跡は福岡平野の東部、御笠川に沿って南北に伸びている月隈(つきぐま)丘陵のほぼ真ん中あたりに位置している。近くには、日本でも最古の水田跡の一つと言われる板付遺跡や、すこし南下した春日市には、奴国の中心地ではないかと推測さ ...

土井ヶ浜・・・。山口県の日本海側、そこを訪問したのはもう今から6年以上も前のことだ。With2ブログランキングへ北九州関門大橋から高速で美弥。そこから日本海側豊北町を目指す。川棚温泉、日本海のうねる海岸線をオレンジ色のガードレールに沿ってうねうねと走る。 ...

With2ブログランキングへ■古墳学権威H先生との質疑応答Kawakatu――はじめまして、先祖が秦野市から出た大分居住のものです。かねがねご本は沢山読ませていただいております。ゴホウラガイ加工品遺物についてひとつ知りたいことがあります。九州の橋口先生などはゴホウ ...

With2ブログランキングへ■「隼人盾」の渦巻文「平城宮の井戸跡から発見された16枚の板は,「延喜式」隼人司の条に記されている隼人の楯であることが明らかにされた。 渦巻文をふたつ連結した逆S字状の文様が中央部に大きくえがかれ,上と下の端は三角文でそれぞれ ...

With2ブログランキングへ■ゴホウラガイその切り方には縦横二種類この貝から加工された装飾品には大きく分けて二種類のものがある。ひとつは貝輪と呼ばれるブレスレットで、出土数がもっとも多い。しかし貝輪は貝殻を縦にして切ってある。これでは巴形にはならない。巴 ...

5~8回シリーズわたしKawakatuから読者諸氏へ、あっと驚く招待状。ゴホウラガイが私たちを、まったく考えていない場所へと導くだろう。わたし自身が目から鱗が落ち、そして愕然とした考古学のマジック!の開幕である。With2ブログランキングへ・・・・・・・・・・・ ...

本日、高齢の父親が肺に亀裂が生じ、呼吸が苦しくなって入院しました。一週間くらい回復にかかりそうです。なかなか厳しき新年になったことは年末からの予想どおりでした。高齢者は内臓壁が弱くなり、古くなったゴムのようにもろくなっている。父もこれまで何度か肺炎などで ...

With2ブログランキングへ■東西神話のヘビと鳥●引用1「鳥と蛇を宇宙の対立概念とする象徴主義はメソポタミアで生まれ、ユーラシア大陸全域に伝わり、社会の基層文化に深く沈みこんでいったという彼の仮説。東西の文明を問わず、いろいろな形をとって現れる鳥と蛇、イ ...

ついに手元に届いた。橋口達也著『護宝螺と直孤文・巴文』学生社 2004With2ブログランキングへ装飾古墳の絵柄がついに解明されたようだ。直孤文、孤文、巴文、蕨手文・・・そしてあの双脚輪状文も・・・!その源流にあったのは古代南海からプレ隼人たちが運んだゴ ...

With2ブログランキングへ■天武死後、その血脈が途絶えた■ところが天智血統はことごとく切り捨ててきた■仕方なく探し回ったら井上内親王がいた■しかし井上内親王(本名・広刀自)の出自は母親がただの女官(女嬬=にょうじゅ)■まあ父親は聖武天皇だったからしぶし ...

久々の記事になる。少しPCの修理をしていた。With2ブログランキングへ・・・・・・・・・・・・・・・「水の女」とは折口信夫の造語である。天皇の禊を司る「めのと」のことだ。民俗学の綛野和子(かせの・かずこ)が『日本文化の源流をたずねて』慶応義塾出版 200 ...

■馬見古墳群「4世紀末から6世紀にかけて造営されたと見られる。古代豪族・葛城氏の墓域とみる説もある。この葛城地域には、古墳時代前期の中頃から有力な古墳の造営が始まり、前期中葉から中期には、墳丘長200メートルを超える規模の古墳が造営されている。」http://ja.wiki ...

With2ブログランキングへ■新山古墳出土直孤文鏡■新山古墳 「馬見丘陵南部に所在する前方後方墳で,墳長一二六m,前方部幅六六m,後方部幅六七m,前方部高六m,後方部高一〇m,前方部は南向きである。宮内庁は「大塚陵墓参考地」として管理する。  1885年(明治 ...

いまだに人気がある騎馬民族説。いくつかの馬に関する来訪の条件を書いておく。1 馬は小型では騎馬隊にはなり得ないからアラブのような大型馬か、せめて中型馬である必要がある2 馬を運ぶ前に日本に牧草が生えている必要がある3 騎馬民族は船を知らず、作れないから、 ...

With2ブログランキングへ■諏訪神社御頭祭 鶴の包丁 舞鶴の捌き 「『諏訪史第二巻後編』に、「供物の内容に就いては、上宮神事次第大概によって…」とある注釈があります。明治初期の記録です。―――――――― 大祝に雁を供する。その次第は、頭郷より選ばれた両人 ...

   神喜ばせるために供物あり 神請うニエはあまたあり 山海の珍味それなり また緑濃き照る葉もよし さらに同じく碧りの幼な子 そを生む無垢の乙女子はさらなり 節句 しはつにものものを探し、三宝にウズ高く盛り上げるべし 豆は魔を撃つつぶてなり そして鬼 ...

With2ブログランキングへ■石割龍悦氏蔵金銀錯鉄剣■中国江蘇省徐州市銅山県駝竜山出土・建初二年(西暦77)銘鉄剣石割氏は秋田県秋田市在住。日本陶磁協会秋田支部会長で南宋など中国の陶磁器のコレクションは著名。この鉄剣は本人によると、香港の骨董商を通じて1 ...

歴史に絶対必要知識、気候変動・地質変動の画像資料2With2ブログランキングへ※画像の切り取りは画像右クリックし、メールで送信を選んでください。●気候変動●■ 太古の気候変動グラフ■さまざまな事象から捉えた気候変動の痕跡■日本の歴史時代の気候変動■中国の気 ...

ブライアン・フェイガンに言わせると、現在地球は、ヤンガードリアス期以降、急激に上昇した「夏」の地球であり、私たちはその中で、いつ終わるかも知れないこの「暑い、長い、気候」の中で繁栄してきたのだそうである。すべての世界文明は、暖かなこの第三間氷期が生み出し ...

With2ブログランキングへ古代史に限らないが、歴史は近くを凝視し歩き回ったりしまがらも、頭の中にははるかな視野、知識をフル活用していかないとならない気がする。記紀も大事、考古学も大事、けれど環境変動というダイナミックな視野も基本的に必要だ。1 地質とモ ...

With2ブログランキングへ全国に横穴墓というものが存在する。大抵が河岸段丘や扇状地の奥の小高い場所にある。それらの造られた時期は、おおよそ5世紀後半から6世紀。つまり倭五王時代であるから、何の為にそういう場所に人が灰って行ったかはおおよそ想像がつく。青 ...

With2ブログランキングへ大湯環状列石は主として万座環状列石と、それに対面する野中堂環状列石、そして一本木後ロ(いっぽんぎうしろ)配石遺構群と掘立て柱建造物群を含む竪穴住居群によって成り立っている。しかし集落と考えられる建物群が近くになく、掘立て柱建造 ...

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