民族学伝承ひろいあげ辞典

脳梗塞男の料理とエッセイ、ときどき爆笑、ときどき不満爆発? 著書『秦氏が祭る神の国・その謎』2005年  1955年大分市生、京都育ち。 脳梗塞、高脂血圧、緑内障、糖尿病と闘病中。

2010年08月

「地元の「猪飼野保存会」では[2]を「猪甘津の小橋」 に比定して居ます。[2]の地点に現在「つるのはし跡」公園という小さな公園が在り、右上の写真が「つるのはし跡」の石碑です。多分 [1]付近やその左隣の天王寺区小橋町辺りに、『古事記』に言う「小椅の江」と呼ばれた入江 ...

「三内丸山遺跡東北部の墓域には列状に墓がならんでおり、なかには他にくらべてすぐれて大きいものがみられる。また、土器に入れられた者、穴に葬られた者の別がある。その明確な差は社会階層をしめすものであろう。さらに、北側の谷から人骨が発見された。墓に埋葬されず、 ...

残暑厳しいままなので、難しい解説ははしょり、できる限り簡略に書きたい。■これまでの西欧唯物史観からの脱却とギリシア文明開始★1唯物史観これまで戦後日本では津田左右吉が提唱した唯物史観が史学者を呪縛してきた。それは皇国史観に対抗するためのやや極論だった部分 ...

明治以降の日本の近代化は、ご存知のようにイギリス・ドイツなどのヨーロッパ文明のコピーから始まる。最近では、欧州史学から学んできた日本の史観も、脱ヨーロッパへと急速に向かい始めている。日本が一時的に帝国主義・植民地主義へ傾いたのも、明治の各分野の賢人たちが ...

西欧に溜飲を下げたい日本人のための世界史 2■■2歴史は繰り返す 差別という因果応報が人類史を作った★1 弱肉強食が人類の基本的残照本能第一章で書いた差別からの人類史開始が、その後も延々と続いていくと、人類はついに帝国主義、植民地主義という、究極の理屈を見 ...

日本の古代史に関しては、頭の中が飽和状態になりましたので、しばらくお休みします。新しいことがしたくなった。代わってほったらかしにしている部門である、世界史、特に西欧史はこれまであまりに西欧側からの都合のいい分析ばかりですから、日本人が見た、西欧史を書いて ...

『日本書紀』壬申の乱の行程671年     郭務悰ら唐の使者来朝、軍隊の援助を要求。12月3日天智天皇死去。         大友皇子、唐援軍を決定。672年(壬申) 大海人皇子=天武は天智の死の直前から吉野に隠棲していた。そこへ五月になって朴井連雄君( ...

日本国が真の意味で国際的に国家と認識される中央集権国家に抜け出したのは、天智・鎌足の模索的な律令政治から、嫡子・大友皇子が「太政大臣」を名乗る頃からだったと言える。■「太政」とは「国家、あるいは皇帝の政治」という意味の国際政治用語である。大友皇子の太政大 ...

大山誠一も書いていることだが、日本の天皇というものはそもそも藤原不比等がはじめ、藤原氏を光り輝かせるための存在から開始されているようである。その前の蘇我飛鳥王朝までは「天皇」もいなければ、皇室もない。蘇我大王家こそが大王だったのである。この時点では天皇を ...

蘇我馬子は実質の大王だった。この時点で馬子の妻だった太媛(物部布都媛、大刀自)の存在が次第に気になり始めるのではなかろうか?女帝推古はいなかった。では権力者・蘇我馬子に物部守屋をうたせ、祭祀の実権と土地・財力のすべてを手中にした太媛とは、実は大王を動かせ ...

『日本書紀』虚像としての任那日本府 中央集権への道3 元興寺と王興寺まで http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/49684415.htmlすでに昨年ここに啓上した上の記事をまず再確認しておきたい。538年に同じ百済の聖明王が倭国蘇我王朝に贈ったのは経典と仏像だけであっ ...

わたしたちは仏教伝来は『日本書紀』記述ではなく『上宮聖徳法王帝説』『元興寺伽藍縁起』の記述から「聖徳太子ごさんぱい」つまり538年と習った。父たちは552年という『日本書紀』の記述をそのまま習った。仏教伝来とひとことで言う場合、それは国家として正式に仏教 ...

★4法隆寺金堂薬師如来像光背銘文偽物の根拠●「天皇」「大王天皇」「東宮」などの使用が仏教導入前の飛鳥時代にはまずない。天皇の最古の使用例は飛鳥池遺跡出土の木簡で、これも天武・持統時代の木簡である。中国では唐の高宗の時代に、国王の姓が老子と同じ李だったため ...

■律令国家日本の開始はすべて藤原不比等以後わたしたちは大化の改新は645年だと教わった。しかし今の教科書では645年は蘇我氏が暗殺された乙巳の変であり、大化の改新は翌年、さまざまの律令が成文化して発せられた646年とされている。歴史は生きている。どんどん ...

ここ10数年間で、歴史愛好家たちの間にも、専門家たちの間でも、「どうも『日本書紀』や『古事記』の言っていることにはウソがあるのではないか?」という考え方がかなり増幅してきているようである。それはちょうどバブルの崩壊が起こった1999年あたりから急激に現実 ...

1 継体大王出自はウソ2 倭五王=応神~雄略はウソ3 欽明から推古もすべてウソ4 日本国の開始は天智から5 藤原氏が作った「天皇」「皇室」が蘇我氏の造った大王家を殲滅したこのシリーズは『日本書紀』記述を全否定するとこから始めたい。検証の手引きは大山誠一『 ...

だいたい五回シリーズで藤原不比等と光明皇后と行信の1 皇室創作2 夢殿(東院伽藍)創作3 推古女帝創作4 天武血脈の隠滅5 律令国家・日本と天皇制の創作を描くつもりである。橘一族の祟り演出などもからめて草創期藤原氏の存亡が描き出せれば大成功であるが、さて ...

聖徳太子追補・中大兄と鎌足の国家大系と太子信仰と長屋王蘇我氏による推古朝のあとに天智天皇と藤原鎌足による律令政治が始まる。当時の倭国は隋以来、中国とは国交が断絶したままである。当時の天皇は斉明女帝。中大兄皇子は推古朝の聖徳太子と同じく摂政である。ちょうど ...

隋書倭国伝 倭國、在百濟、新羅東南、水陸三千里、於大海之中依山島而居。魏時、譯通中國、三十餘國、皆自稱王。夷人不知里數、但計以日。其國境東西五月行、南北三月行、各至於海。其地勢東高西下。都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也。古云去樂浪郡境及帶方郡並一萬二 ...

『隋書』倭国伝の背景■589年、隋、中国を統一(滅亡した漢以来四世紀ぶりの大帝国樹立)■高句麗を敵視した隋と広開土王の周辺諸民族との同盟策その14・高句麗の乙支文徳(ウイチムンドク)将軍と撒水(サルス)での戦い 「今の北韓の平安北道南部にある川江(チョンチ ...

少々長いが他サイトがまとめた記事が便利なので引用しておく。「揩(櫻)井等由羅の宮で天下を治められた等与称気賀斯岐夜比売の命(豊御食炊屋姫:推古天皇)がお生まれになってから百年目の癸酉(613年)正月九日に、馬屋門豊聡耳皇子(厩戸豊聡耳皇子か)が、(推古天皇の)勅を受 ...

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