民族学伝承ひろいあげ辞典

脳梗塞男の料理とエッセイ、ときどき爆笑、ときどき不満爆発? 著書『秦氏が祭る神の国・その謎』2005年  1955年大分市生、京都育ち。 脳梗塞、高脂血圧、緑内障、糖尿病と闘病中。

2009年05月

http://plaza.rakuten.co.jp/StockQueue/diary/200905300000/http://blogs.yahoo.co.jp/anamorura55/58123250.htmlこの二つのサイトは平等で、よい記事を書いているので、おすすめである。かつて管理者と紆余曲折があったサイトも含まれるが、いい記事はいい記事。私怨はこの ...

再び北条芳隆大魔神にご登場願う。近畿の前期、中期古墳にはヒコヒメ制を示す、男女の同一埋葬習慣がなかった。それは近畿の前方後円墳の石室が竪穴式で、基本的に男性がひとりしか埋葬されておらず、後期になって横穴式石室が導入されても、玄室の入り口に巨大な塞ぎ石が置 ...

「中国では、礼典と律令法典が別個に存在し、さらに、律令法典は、礼典を前提としなくてはなりたたない法となっていた。これにたいして、日本は、法典に匹敵するような礼典を作ることなく、体系的な律令法典のみを作っている。(中略、よその国はみなこれに従った)なぜなら ...

●倭王武の宋王に当てた上表文(西暦477年頃)「昔より祖禰躬ら甲冑をつらぬき、山川を跋渉し、寧処に遑あらず。東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国、渡りて平ぐること九十五国」訓読 いにしえより そでいみずから かっちゅうをつらぬき、さ ...

文献古代史学の大和学派の主流派申し子であらせられる、上田正昭大明神先生の、大和学派らしくない平等で、ラジカルな意見の数々から、気になったものを少しだけアップ、紹介しておきたい。●「神話は本来、口から耳へ、耳から口へと語り伝えられた、口頭による伝承として存 ...

詳細はわからないが、たまたま自分の画像を整理していたら出てきたのが、この円弧盤の画像である。中国の内モンゴル自治区にある小山遺跡で発見された、鳥龍・鹿龍・猪龍紋がからみあった図柄であるが、どことなく日本の弧文に似ていたから、写したのだと思う。画像の出展不 ...

越後から東北にかけて分布して出てくる石鏃に「アメリカ式石鏃」という特徴的なやじりがあるそうだ。やじりの根元部に切れ込みを入れた特殊なもので、こうするとささったとき、抜こうとするとすぐに根元から折れて、鏃が体内に残るという、残酷だが殺傷力の高いやじりである ...

日本の弥生人は修正・古墳時代人は矛は持っても、楯(修正・持ち楯)という防御の武器は持たなかったそうである。しかし、隼人だけは、楯を持っていたことが、大和地方の奈良時代?の井戸のそばからこれが出たことでわかった。この長い形はやはり持ち楯よりも、置き楯がふさ ...

中古本屋に電話して、この280000円もする古本の仕入れ価格はいくらかと聞いたところ、だいたい100円!だそうである。「著者ですが、高すぎるから、なんとかしてくれ」と要求したら、今朝方には28000円とひとけた下がっていた。それでも元値からすればすごい高 ...

弥生時代、卑弥呼の時代の古志の土器の多くは、山陰から丹後地方の影響を受けた凹線紋土器(おうせんもんどき)で、墳墓は北部九州や大和に多い方形周溝墓と出雲型四隅突出型墳が同居するのが特徴だ。つまり九州から日本海、畿内までに及ぶ地域との交流が古志にはあったとい ...

当家古文書の大分県立図書館(先哲資料館)での公開について5月12日から7月12日までの二ヶ月間、当家の「寒田家文書」「春日神社神宮寺文書」等数十点が、先哲資料館のご好意で実現しました。(画像案内状最下段 08-907番)大分市の春日神社に明治まであり、廃 ...

続いて登場する日本海の首長は丹後と若狭である。丹後地方の弥生墳丘墓はほぼ方墳であるが、出雲とは違って四隅を突出させない。出雲から古志への日本海ルートの真ん中にありながら、ここだけは別の方墳文化が栄えた。これを方形貼石墓という。これは北部九州における方形周 ...

弥生時代に全盛期を迎え、その後衰退してゆく地方共同体を、日本海を中心に少し考古学的見地から眺めてみたい。出雲、丹後、若狭、越前、越後、そして越中という、大和や九州とはちょっと違う古墳のある地域である。第一回目はまず出雲から始めてみたい。出雲と言えばまず糸 ...

昨日の記事で混乱した元興寺の名称だが、直接飛鳥寺へ電話確認したところ、ていねいな解説を聞くことができた。忙しい中ご対応いただき感謝申し上げる。現在、飛鳥寺(かつての法興寺)は安居院(あんごいん)だけが残されており通称飛鳥寺である。そして元元興寺(もとがん ...

任那日本府は『日本書紀』の虚像である。(田中)昨今、半島での韓国政府による発掘から、さまざまの倭人の遺物がかつての安羅(南加耶)から出土し、倭と加耶との関係が次第にあきらかになっている。しかしながら、任那だったと思われるその場所にいたのは「混血児」である ...

前述の王権の工房が大阪湾岸に誕生してまもなく、今度は倭国に定着する渡来系氏族が誕生した。秦氏や漢氏である。彼らがなぜ、それまで定着しなかった渡来技術者の中から突然のように変化したかを解き明かすことは、そのまま日本の古代王権の成立過程を解き明かすことになる ...

田中史生『越境の古代史』第2章「渡来の身体と技能・文化」「だから渡来人を、辞書や教科書の説明にしたがい朝鮮半島中国大陸から最新の技能を持って移住・定住した人々だと理解してしまうと、倭国の時代に盛んな技能者渡来の本質が見えにくくなる。倭人の首長たちは、(中 ...

画像はすべて松木武彦編集『日本の歴史 1 列島創世記』から最上段、気候変動図グラフは右から左へ時代が新しくなる。二段目、氷河に含まれる植物花粉の量から気温変動を読む。三段目、気候変動が温暖化の時期に、日本の北東部に縄文文化が栄えた。氷河期は一万年前あたり ...

日本の弥生時代~古墳時代の動き各地にムラが発生。独自の国家へと。(大阪府古曾部・芝谷遺跡、観音寺山遺跡、鳥取県妻木晩田遺跡、青谷上寺地遺跡)鉄器が全国的に行き渡る。石器が消滅へ。地域によって青銅器祭祀が衰退。57年 倭の奴国の王が後漢の光武帝に朝貢し、金 ...

古代世界史・日本史同時代年表を古墳時代中期まで更新しました。http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/teabrake.htmlまたそれ以前の時代も世界史を中心にかなり書き加え、留意ポイントの事件は赤色、太字で表現しました。今後、可能なら地球気温の変化などの表や画像を添付し ...

HPにKawakatu’s 古代世界史・日本史同時代年表を作成中です。日本の古代史がどうしてそうなったか?を知るためには外国、特に東アジアの同時進行の動向を併記した年表がどうしても欲しいと考え続けて来ましたが、どうも気に入ったものが見つかりません。そこで ...

白石太一郎の植山・山田古墳、推古天皇稜記事に合致を『祭りの考古学』が疑っている。理由は1 推古が遺言でささやかにせよと書き残すほどの財政緊縮だったはずの時代に、わざわざ石室を二つ作っている。親子なら同じ部屋でいいだろう。2 竹田は遺骸だけが移され、副葬品が ...

中国の唐草らしき古い画像を以前使ったことがある。もう一度確認してみよう。唐草紋のルーツはもちろんローマの忍冬唐草(にんとうからくさ)や葡萄唐草だ。中国は秦の時代からローマとは交流がある。上の画像は西周時代の遺物である。それはシルクロード交易と呼ばれ、日本 ...

弧文・組帯文の派生と進化画像のうち一番上の二枚が纏向石塚の弧文がどう派生して広がるかの説明になっている。しかしその最初はすでに縄文時代の渦巻きにあったと見たい。渦巻きは永遠と再生願望を示し、死者のヨミガエリを願う呪の模様として、さかんに使われた。やがて渡 ...

「復活版!かわかつワールド」に書いたとおり、筆者には一応、「今の段階で」納得いく判断結果が出ました。となると、これ以上分析を続けると、筆者の恣意が記事に反映されてしまう事になりかねず、平等な分析になりませんので、纏向遺跡分析はここまでとさせていただきます ...

纏向遺跡の特徴的出土遺物●slag 鉱滓(こうさい)。業界では俗に金屎(かなくそ)とも言う。たたら製鉄では「のろ」。鉱物を精錬する過程でどうしても出る残りかす。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%B0SK-04区画から約2cmほどの小型のものが ...

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