民族学伝承ひろいあげ辞典

脳梗塞男の料理とエッセイ、ときどき爆笑、ときどき不満爆発? 著書『秦氏が祭る神の国・その謎』2005年  1955年大分市生、京都育ち。 脳梗塞、高脂血圧、緑内障、糖尿病と闘病中。

2009年02月

「ちはら」は茅原、千原という表記が多いが、もともとは「血原」でその昔「血が流れた場所」、あるいは血のように赤い土の河原である。土蜘蛛退治に関わる場所に血原地名は多い。また同時にそこに取り合うべき赤い資源もあったゆえに、血を見たのかも知れぬ。茅原のようにカ ...

例によって誰もまだ書いていない推量であるが・・・。2003年からの奈良県馬見原古墳群発掘で、巣山古墳から出島状遺構が出土していることはご存じだと思う。ここからは蓋形埴輪や水鳥形埴輪、さらに九州の装飾古墳に多く見られる靫(ゆぎ・矢を入れる道具)を象った木製 ...

北岸 ほくがん東西に走る河川の北側を北岸と言う例。森田克行著『今城塚と三島古墳群 摂津・淀川北岸の真の継体陵』北岸、南岸という言葉には二種類の概念があって、使い分けられる。1 ある地域のはじっこを●岸と呼ぶ用法2 大きな川や海峡に隔てられた向こう側を●岸 ...

おにぎり習慣は東南アジア~中国福建省にもある。中国福建省「草包飯」(ツァオバオファン、cǎobāofàn)ご飯の中に肉、ソーセージ、シイタケなどを具として入れ、これらを編んだ草の袋に詰め込んで携行た、タイではもち米を主食とする東北部では球状にまとめた米飯を草の ...

タイ・・・ナンプラーベトナム・・・ヌックマム (ニョクマム)フィリピン・・・パティス (patis)カンボジア・・・トゥック・トレイ​ラオス・・・ナンパー ミャンマー・・・ンガンピャーイェーインドネシア・・・ケチャップ・イカンバングラデシュ・・・ナピマレーシア・・・ ...

日本の海人文化の残照を見つけようとするとき、まず魚醤は捨てがたい。ひしお、しょっつるの原型はタイのナンプラー、ベトナムのニョクマムである。大豆の醤醢・・・つまり醤油が中国で作られるきっかけが魚醤だ。発酵食品である。代々ひきつがれて魚などを海水につけ込んで ...

With2ブログランキングへ藤原鎌足の古墳●『日本書紀』「皇極天皇紀3年一月一日条」「三年春正月、乙亥(きのとい)の朔(ついたち)。 中臣鎌子連(なかとみのかまこのむらじ)を以って神祇伯(かむつかさのかみ)に拜す。 再三固辭して就(つ)かず。 疾(やまい ...

トウカとは稲荷の音読みであるからキツネのことである。武士の多かった東国でこう言うのは、武士が孫子、孔子を学び漢音を尊重したからである。特に常陸の国では白キツネを指すと風土記にある。トウミョウはキツネと蛇。トウビョウも同じ、あるいは片方は猫か?狐狸妖怪に類 ...

久住者(くずさ)は山伏のこと。「仏教の外術者、すなはち外道と、支那の仙人とは、日本においては混然として、同一の概念である。これを山伏とも、または山の久住者とも呼んだのは、畢竟「仙」すなはち山の人というと同義であるが、あるいはまた行者と言ひ、古くは行い人( ...

マダガスカル島「島の形成に関しては諸説あるが、もともとがゴンドワナ大陸の一部でありモザンビーク造山帯の造山の影響も受けて現在の形になったという説が有力である。この説によれば、現在のインドとアフリカ大陸に挟まれていた部分が、大陸移動の影響により約8000万年前 ...

日本語日本語を構成する要素について様々な見解があるが、まず列島の歴史を見れば、実に雑多な「渡来の渦」が来訪し、時代を追って人も言語も「混血」したと見るのが順当だろう。それは先土器、縄文、弥生、古墳、奈良、平安と海を越えてやって来る波を見たり、またそれ以降 ...

畿内(うちつくに)一般に「きない」古代日本の、都からの氏族の流出を管理するための行政区画天武時代前後までに拡大してゆくが、要所に関所(三関)が設けられ、出入国を厳しく制限された。本来は中国古制『周礼』によって、天子の居城する都から500里(約202キロメートル ...

外国からの倭国への渡来には四度の画期があると上田正昭は『帰化人』に書いている。埴原和郎は『日本人の起源』に「日本人の二重構造」として「在来系集団と渡来系集団との対立と融合の歴史」が弥生時代からあって、その相克から生まれたのだとしている。つまり渡来とは第一 ...

「三善宿禰、百済国速古大王り自り出づ」これはあくまで三善氏からの自己申告であろうと言われている。速古大王とは『三国史記』の「百済本紀」(「百済本記」とは別のもの)にある近肖古王(第五代百済王)のことだろうが、百済系渡来氏族の多くは大抵肖古王を祖としているよ ...

意見封事十二箇条 いけんふうじじゅうにかじょう西暦914年(延喜14年4月.)三善清行(みよし・きよゆき)が醍醐天皇の勅旨により密封提出した意見書。 備中国の受領として苦労した経験から、律令制度衰退期の地方政治の弛緩ぶりを指摘し、儒教的立場から行政上の障害の除 ...

『新撰姓氏録』しんせんしょうじろく平安初期815年成立それまで詐称の多かった畿内豪族の家柄・出身を明らかにするため「皇別」「神別」「蕃別」に類別し、それぞれの家系譜を記して朝廷に提出させた系図書。左右京・山城・大和・摂津・河内・和泉の1182氏族の系譜を ...

愛知県の製塩の歴史http://www.geocities.jp/shimizuke1955/304salt.html・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「海水に浄化作用があることを知っている海の民は、陸化しても海の水や、それが手に入らない場合には塩水を、また時には塩そのものを浄化のために使う ...

尼子経久と奥出雲の鉄「ところで、山陰の覇者となった尼子経久の軍事力の背景にも出雲の鉄資源があると考えている。尼子経久は、京極氏守護代として務めていたのを、京極氏から月山富田城を追放されて、再び富田城を奪回するのだが、その間の尼子経久の消息ははっきりしない ...

百太夫社西宮市の「えべっさん」(西宮神社)には百太夫社という廟がある。西宮神社にたむろした傀儡(くぐつ)たちの信仰する神である。「ひゃくたゆう」16世紀初頭、ここに「散所」があった。散所(さんじょ)とはもともと貴族や社寺の所領を言ったが、なぜかここに遊民 ...

播磨の鉄『播磨国風土記』宍禾(しさわ)郡柏野里敷草村条 現・宍粟(しそう)市千種町「草を敷きて神の座と為しき。故に敷草といふ。此の村に山あり。南方に去ること十里ばかり、二町ばかりの沢あり。此の沢に菅生じ、笠に最も好し。檜・杉・栗、黄蓮・黒葛生ふ。鉄を生ず ...

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