地名を名乗る氏族は山ほどある。それは時代によってさまざまである。例えば同じ熊本の菊池氏も中世の武士であるが、その出自は熊本ではないし、まして古代のキクチヒコともまったく無縁であるのと同じで、蒲池氏にも三種類ほどの伝承と説が存在する。●多氏の子孫説は、阿蘇 ...
2008年06月
石貫ナギノ横穴古墳群
熊本県北中部、菊池川沿線には7世紀以降の装飾横穴古墳群が散在している。その中のひとつに玉名市石貫ナギノ横穴古墳群がある。その画像。多用される装飾は円文を中心とする顔料壁画である。熊本市よりも西南部で展開されたレリーフと着色による靫部たちの横穴古墳とは、若 ...
石神井とミシャグジー
長野県諏訪盆地の祭祀形態である「ミシャグジー」について、いくつかの説では「石神」=シャクジンの音韻変化をあげている。諏訪湖の周囲には7つの巨石の点在が確認されており、先土器、縄文からの原始信仰ではなかったかと考えられているようだ。このシャクジン信仰は東日 ...
疋野神社縁起と由来推測
『疋石野大明神由来』http://koueki.net/narita/061/097/narita609654.html疋石野という表記がどうやら正しい元の社名であろうから、これは菊池川産阿蘇凝灰岩を切り出して引いたという意味になるだろう。そして波=に船で大和に運んだ祈念の神社だと言える。従って祭祀がこ ...
疋野神社
http://www.hikino-jinja.jp/疋野神社リーフレットより編集引用 ○「疋野神社は2000年の歴史を持つ肥後の国の古名社で」「疋野神社の創立は景行天皇築紫御巡幸の時より古いと伝えられ2000年の歴史を持つ肥後の国の古名社です。」●2000年以上の歴史を持つ神社という表現 ...
日田の日下部氏結論
日下部氏について「新撰姓氏録」は『阿多御手犬養同祖 火闌降命之後也』と記述し、あたかも在地氏族のように書くが、日下部はあくまで倭五王雄略時代の役職名である。ただしその役職名の始まりが大和のくさかえや肥後の草部だった可能性は今後追求されるべき。豊後国風土記 ...
筑紫の水沼君
筑紫の水沼君 つくしのみぬまのきみ「旧事本記」に「水間君の祖、物部阿遅古連あじこのむらじ」とある。日本書紀には 『即ち日神の生(あ)れませる三(みはしら)の女神(ひめかみ)を以ては、葦原中國の宇佐嶋に隆(あまくだ)り居(ま)さしむ。今、海の北の道の中に在 ...
火中君
火中君 ひのなかのきみ欽明紀17年 「治世17年春1月、百済王子の恵が帰国を願い出た。よって多くの武器、良馬の他、色々な物を賜わり、多くの人々がそれを感嘆した。阿部臣、佐伯連、播磨直を遣わして、筑紫国の軍船を率い、護衛して国に送りとどけさせた。別に筑紫火 ...
日置氏
日置氏 へぎ・うじ熊本県玉名郡の郡領(郡司クラス)の氏族名。1994年菊水町瀬川鶯原発見の銅板墓誌に「玉名郡人権擬少領外少初位下日置○公」とある。8世紀後半の墓。日置郡公。『到津文書』にも玉名郡の日置氏の名前がある。日置は地名、郡公は役名なので実際の氏姓 ...
木満到・木斤資
木斤資・木満到(もくらこんし・もくらまんち)●神功皇后紀62年(382年?)倭の沙至比跪(さちひこ)が北加羅を蹂躙して新羅を利する行為に走ったので、百済の木斤資がこれを駆逐し王政復古した。●応神天皇紀25年(414?)の『百済紀』引用文 木斤資が ...
日本人・体は北方、心は南方
日本人のDNAのほとんどはバイカル湖から来た北方系の血潮で満たされている。しかし風習はスンダランドの海岸国家や島国のもので満たされている。日本人は新モンゴロイドで、寒冷期にゾウを追って降りてきた人々の中でも、横道にそれてカムチャッカから凍ったオホーツクを ...
2008年6月度おすすめ参考文献
広瀬和雄・小路田泰直編『古代王権の空間支配』青木書店 2003山尾幸久『日本国家の形成』岩波新書 1977 『筑紫君磐井の戦争 東アジアのなかの古代国家』新日本出版社 1999 『古代王権の原像 東アジア史上の古墳時代』2003・・・・・・・ ...
蘇我氏と入部
王子の養育機関であるみぶ・・・入部を管轄掌握するのは、代々王家に妃を提供した(王家を補佐した大臣クラス)家柄であるから、例えば欽明大王の側近からのし上がってくる蘇我稲目の後裔たちは額田部や膳部、河内馬飼部などのすべての入部を管理下に置いたはずだ。これは大 ...
大辟 おおさけ
大辟とは広隆寺水路の通称川勝を中心とする山背北西部の秦氏が開墾した都市型治水・灌漑設備は「開墾した」という意味を持つこの言葉で通称される。山尾幸久説ローマやイスラエルやダビデからではない。断言してよい。面白いと思ったらクリックして!→https://history.blogm ...
ワカミタフリ
ワカミタフリ若御たぶり?隋書倭国伝中に記載の倭国王アマタラシヒコの皇太子の尊称。アマタラシヒコとは天帯彦で、天から降りてきた男、あるいは戯れ(たぶれ)たと勘違いするほど希有な存在の人。天孫降臨神話を考えてみれば前者か?いずれにせよ息長帯姫などのように、「 ...
典曹人
典曹人 てんそうにん熊本県江田船山古墳から出土した鉄剣銘文に刻まれていた役職名。「曹」とは現代で言う「法曹界」の「曹」であるからつかさ、すなわち役人のことである。江田船山の被葬者の時代は役人は「伴のつかさ」である。「典」もつかさどるであるが、この場合、典 ...
HP更新
17 阿蘇熔結凝灰岩製石棺と倭王権 阿蘇ピンク石と宇土葦北、火の国造の躍進 飛鳥時代推古と額田部、そして聖徳太子と物部守屋までとタイトルを改めて、ここやかわかつワールドの断片をとりまとめ、読み物にしたててみました。http://www.oct-net.ne.jp/~hatahat ...
物部竺紫氏
二十一年夏六月壬辰朔甲午、近江|毛野臣《ケヌノオミ》衆六萬ヲ率《ヰ》テ任那《ミマナ》ニ往キテ爲ニ復新羅ニ破ラレタル南ノ加羅・※[口+碌の旁]己呑《ロクコトン》ヲ興建シテ任那ニ合セムト欲リス。是《ココ》ニ筑紫國造〔二字傍点〕磐井陰ニ叛逆ヲ謨《ハカ》リ猶豫 ...
阿蘇凝灰岩製石棺と大和王権備考・額田部氏とは ②
また穴門ではこうなっている。http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02135.htm伊勢も近江も穴門ももともとあった国造家の系譜にあとから入り込んでいると判断できる。国造は允恭~雄略の倭王時代に在地の君たちを管轄した官職名であろうから、その後入ってきた氏族は国 ...
阿蘇凝灰岩製石棺と大和王権備考・額田部氏とは ①
●額田部について著名な資料は国宝『額田寺伽藍並条理図』があって奈良時代に大和国平群(へぐり)に荘園を持っていたことがわかっている。http://www.rekihaku.ac.jp/gallery/nukata/index.html●研究書としては『[共同研究] 古代荘園絵図と在地社会についての史的研究』仁 ...
阿蘇熔結凝灰岩分布と大分県臼杵の阿蘇ピンク
画像は上から臼杵市乙見西神野石材置き場のピンク石岩塊。次も同じ。三枚目はそこから採集したサンプル。次がそれを濡らしたもの(右)と宇土サンプル(左)の濡らした物の比較。臼杵の物は色が薄い。次が乙見株の木のピンク石露頭。最後は株の木にある熊堅神社扁額。今回は ...
阿蘇凝灰岩と・・・ここまでの仮説と疑問
追記 訂正各論と新たな疑問●物部氏が豊前企救郡や筑後八女に多いのは磐井の乱の戦闘員の中で残留した枝族がいたためだと思われる。物部氏の出自を企救郡と考えていたかわかつの初期の考えは誤りだったようだ。やはり物部氏は出雲か?●大伴の枝族についても同様のケースが ...
阿蘇凝灰岩製石棺と大和王権⑥摂津三島紀行へのリンクと記事
昨年12月にかわかつワールドに掲載した摂津三島、近江高島と三尾、赤い石棺出会い旅紀行へのリンクhttp://white.ap.teacup.com/kawakatublog/80.htmlhttp://white.ap.teacup.com/kawakatublog/81.htmlhttp://white.ap.teacup.com/kawakatublog/83.html関連記事武寧王と継体 ...
阿蘇凝灰岩番外編ピンク石の分析
画像上から2008・4月宇土市馬門石切場で採集した阿蘇ピンク石サンプルそれを湿らせたもの大阪摂津高槻市の今城塚古墳西石室・高槻市F氏提供阿蘇ピンク石石棺の分布と畿内倭王権のつながりを実証的に考える上で、一番問題なのは、はたしてそれらが本当に阿蘇の凝灰岩な ...
コノチハ オボチ ススヂ マヂチ ウルヂ
浦島伝説と海部氏および日下部氏などの海人族を理解するためのいくつかのマニアな考察②古事記・海幸山幸神話で兄・海幸の針をなくした山幸が困ってわだつみの神に相談しに行ったとき、わだつみが唱えた呪文。大意。「この釣り針は ぼんやり針 すさみ針 貧しい針 おろか ...
ト・ホ・カミ・エミ・タメ
浦島伝説と海部氏および日下部氏などの海人族を理解するためのいくつかのマニアな考察①伴信友『正卜考』(せいぼくこう・天保15年・1844年)が収集した亀卜(キボク)の呪文のひとつ。亀卜する者は亀の甲羅に小さい正方形をいくつか書き込む。これを「町」と呼ぶ。こ ...
阿蘇凝灰岩製石棺と大和王権⑤菊池川と倭王済
5世紀後半、阿蘇凝灰岩灰色石石棺によって河内の古市古墳群に埋葬された人物たちは、大伴氏が仕えた河内の大王=倭五王たちの中の、倭王済=允恭大王の古墳群であると板橋は書いている。古市でひときわ目立つ市野山古墳はその允恭の墳墓であるとされている。唐櫃山(からと ...
阿蘇凝灰岩製石棺と大和王権④
さて、阿蘇凝灰岩使用古墳一覧をご覧になれば、一目瞭然で氷川、菊池川産の石にとってかわってゆく宇土産凝灰岩石棺の動向がおわかりになったことと思う。宇土の灰色石が最初に使われたのはご覧の通り、吉備王の巨大古墳、350メートルの造山古墳前方部である。当初、備前 ...
阿蘇凝灰岩製石棺と大和王権②
倭王権の「石棺同盟」が存在する。それは五世紀末には和歌山県にまで達する。紀ノ川河口の和歌山市大谷古墳には氷川産灰色石が使われていた。しかしここの石棺は舟形ではなく組み合わせ式家型石棺である。熊本から考えれば、最初氷川地域の豪族が倭王とえにしを結んでいたが ...






