ぼんやりと大河いだてんを見ていたら、いきなり「いきなり団子」が出てきた。
いきなり団子とは、一般的には「ゆでもち」と呼ばれる熊本のデザートだ。
それがとなりの大分県竹田市に行くとほぼ同じものが「ハラフト餅」と言われる。

ハラフトとは腹が太くなるという意味だ。
芋は入らない。入るものもある。もっと分厚いものもある。
昔は熊本のも薄っぺらかったが、それは時代の貧窮の問題でしかない。
大分でも近頃は店でうっているものは分厚く、あずきも多い。

同じように熊本と大分では、だご汁と団子汁というのも呼称は違うがほぼ同じもの。
一般的には「ほうとう」あるいは「すいとん」である。
味噌仕立てか醤油仕立てかは関西と関東の問題だが、ようは小麦粉しかとれなかった地域で発達した麵である。

熊本のだご汁は小麦粉団子で味噌仕立て
熊本はだご汁と呼んでいて、「だご」は伸ばさず、小麦粉をまるめて汁に落とすもの。大分は伸ばしてほうとうにして落とす。それがでけが違う。
戦中戦後の貧しいときの「すいとん」は、九州では「びっちょ」。小麦粉が少ないから大量の水分で溶いて暑いところにスプーンで落とすもの。これは貧困食品で、問題外である。

大分の団子汁はほうとうで味噌仕立て
ほうとうは麵である。
作り方はほぼうどんと同じだが、形状が平たい。名古屋のきしめんもこの仲間になろう。なにしろとなりの山梨がほうとうの名所だからね。すると食文化として山梨と大分は似ていることがわkる。名古屋も似ているとなる。なぜだ?それは海人族という共通性で考えてもいいだろう。米は作らず畑で小麦を作った。これを「いんない」という差別用語で言う地方もあった。

山梨のほうとうも今は味噌仕立てが増えた
団子汁の産地が大分では由布院や院内であることとどう関与するかは知るところではない。
どっちにしても稲作に不適な土地だったか、あるいは歴史的には小麦粉文化圏から来た渡来人だったかであろう。米が取れないのは水が沸かないとか、土壌の酸性とかいろいろあろうが、渡来人が先祖だったのなら、華北~半東北部からの渡来だろうか?
どっちにしたってうまいから許せる。われわれはどう考えても半島や中国から逃げt来た敗北者の子孫の遺伝子を多く持っている。それだけは間違いがないことである。

コメント
コメント一覧 (2)
今は山梨の名物ですが昔は貧乏人の食いものでした。
kawakatu
が
しました
世界のソールフードのすべても貧乏な人や被差別の食い物です。フライドチキンも最初はそうでした。いわゆるB級グルメと今言われている食べ物のほとんどが、やはりそういうものです。今のほうとうはそういう時代を乗り越えて伝えられている・・・つまりそこには人間の歴史があるとぼくは言いたいわけです。
kawakatu
が
しました