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猫の足跡が付いた土器
兵庫県姫路市


去年だったか、長崎県の壱岐島にあるカラカミ遺跡から、数匹のネコの骨が出土した。
そのことが最近になってYahoo!考古学ニュースに取り上げられた。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190406-00010000-sippo-life


去年の記事
●長崎県壱岐島の弥生時代のカラカミ遺跡でネコの足跡
「◆日本最古!イエネコの骨がみつかる
大溝内からイノシシ、シカ、タヌキ、イヌ、ネズミ、イルカ、アシカなど動物の骨といっしょにイエネコの骨が発見されました。

これまで、神奈川県鎌倉市の千葉地東(ちばちひがし)遺跡〔13世紀代(鎌倉時代)〕で見つかったイエネコの骨が日本最古の事例でした。また、文献史料などからイエネコの伝来は8世紀に「経典」などをネズミの害から防ぐ目的で遣唐使が中国大陸から国内に持ち込んだのが始まりと考えられてきました。

 近年の発掘調査において兵庫県姫路市の見野(みの)古墳群6号墳〔6世紀〜7世紀(古墳時代)〕から、猫の足跡がついた須恵器が発見されたことから、イエネコの起源が古墳時代まで遡(さかのぼ)ることが判明しました。
 今回、カラカミ遺跡から発見されたイエネコの骨は、実物資料としては約1、000年も歴史を塗り替える日本最古の事例としてだけでなく、イエネコの起源が古墳時代よりさらに500年も遡る弥生時代に渡来人が日本国内に持ち込んだことが判明しました。もしかすると、穀物を守るための番犬ならぬ番ネコとして、渡来人と一緒に船に乗って海を渡ってきたのかもしれません。」
https://mykoho.jp/article/%E9%95%B7%E5%B4%8E%E7%9C%8C%E5%A3%B1%E5%B2%90%E5%B8%82/%E5%BA%83%E5%A0%B1%E3%81%84%E3%81%8D-%E5%B9%B3%E6%88%9030%E5%B9%B44%E6%9C%88%E5%8F%B7/%E7%89%B9%E9%9B%86-%E4%BA%BA%E6%B0%97%E6%80%A5%E4%B8%8A%E6%98%87%EF%BC%81%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%82%AB%E3%83%9F%E9%81%BA%E8%B7%A1%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%A9%E3%82%93%E3%81%AA%E9%81%BA%E8%B7%A1/



●中国よりも古い?
中国でネコの来た時代が2000年前だから、日本のカラカミ遺跡のほうが若干早いことになる。
兵庫県では古墳時代のネコの足跡がついた土器が出ている。
これまでは神奈川県の鎌倉時代が最古の痕跡だった。

カラカミ遺跡のネコの骨はほかの野生動物の骨の中に混ざっており、どうも食べられていたらしい。すると食料としてのネコが、弥生時代にはもう日本に来ていたことがわかる。誰が持ってきたのだろう?


カラカミ遺跡は魚介類を食べた痕跡が日本最大量出土した遺跡だ。
また鍛冶遺構としても最古のものも出ている。

つまり日本でも最古の先進地、渡来人最古の到来地だったと判断できる。


「カラカミ遺跡の発掘調査において、地上式の炉跡〔鍛冶遺構(かじいこう)〕が発見されました。地上式の炉跡が発見された場所の近くからは完成間近の鉄製品や鉄製品を加工するために用いる砥石(といし)、敲石(たたきいし)、クド石〔石製支脚〕などの石製工具類、棒状や板状の鉄素材が発見されていることから、カラカミ遺跡では中国大陸や朝鮮半島の最先端の鍛冶技術や設備を整え、積極的に鉄製品を製作していたことをうかがい知ることができます。」
https://mykoho.jp/article/%E9%95%B7%E5%B4%8E%E7%9C%8C%E5%A3%B1%E5%B2%90%E5%B8%82/%E5%BA%83%E5%A0%B1%E3%81%84%E3%81%8D-%E5%B9%B3%E6%88%9030%E5%B9%B44%E6%9C%88%E5%8F%B7/%E7%89%B9%E9%9B%86-%E4%BA%BA%E6%B0%97%E6%80%A5%E4%B8%8A%E6%98%87%EF%BC%81%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%82%AB%E3%83%9F%E9%81%BA%E8%B7%A1%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%A9%E3%82%93%E3%81%AA%E9%81%BA%E8%B7%A1/


壱岐にネコを最初に持ち込んだのは彼らだろう。
ではそのネコたちはどこから持ち込まれたか?




●家ネコの歴史
野生の猫を家畜として改良した最初はメソポタミアだといわれている。
まあ、人類最初の文明が生まれた場所(人類の出アフリカ後最初の集住地で人類拡散の拠点)だから当然ではあろうか。




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エジプトの猫のミイラ



「メソポタミアから古代エジプトに伝わった猫は、そこで家畜化がほぼ完了し、現在の猫の姿になったと言われています。そののち、地中海を渡ってヨーロッパにも広がっていきます。さらにその後、長い旅をへて中国に伝わり、そして中国から日本へ持ち込まれたと考えられています。


  つい最近まで、中国から日本に渡ってきた年代は、奈良時代から平安時代の初期頃(1200~1300年前)とされてきました。一説によると、中国からのありがたい仏教の経典と、ネズミから経典を守る猫がセットで日本に渡ってきたとのことです。

  しかし、10年ほど前に行われた遺跡の発掘によって、猫伝来の時期はさらにさかのぼることとなります。

  その歴史を塗り替える証拠は、2007年に兵庫県姫路市の見野古墳から発見されました。その遺跡から猫の足跡のついた須恵器が見つかったのです。この足跡は誰が見ても猫の足跡、少なくともこの須恵器が作られた時点で、日本に猫がいたという決定的な証拠です。

  おそらく、ろくろを回して作った器は、窯で焼く前に、台か何かの上にところ狭しと並べられて乾燥させていたのでしょう。そこを、当時の猫がキャットウォークを渡るように歩いていたところ、バランスを崩すか何かして、まだ柔らかい器を踏んでしまったのでしょう。その状況をイメージすると、なんだか可笑しいですね。踏んでしまった猫も、きまりの悪い顔をしていたに違いありません。

  ともあれ、この猫のひと踏みが、日本への猫の伝来の歴史を塗り替えたのです。今からおよそ1400年前の、古墳時代後期か飛鳥時代には、猫が確実に日本に存在していたという証拠となりました。」
同上サイトの記事から



ほかの記事
https://zoku-tasogare-2.blog.so-net.ne.jp/2013-02-14-15

カラカミの骨は、さらにそれを遡って弥生時代だ。今から2000以上前のことである。


●縄文時代に来ていた?!

ところが縄文時代、日本にはもうネコがいた可能性がある。



ネコ土偶
山梨県御坂町上黒駒出土 縄文時代(中期)のネコ?の土偶
http://web.joumon.jp.net/blog/2007/09/333.html




またイエネコ起源については、最近こういう意見も出てきた。
ギリシアのキプロス島起源とメソポタミア起源の二通りの拡散ルートだ。

●イエネコの拡散ルート
 「イエネコの起源については諸説ある。イエネコ、つまり野生のヤマネコが家畜化したものだが、約4000~5000年前の古代エジプトを起源とする説が長く最も有力だった。しかし最近になって、地中海に浮かぶ島キプロスで、約9500年前の墓から人間と一緒に埋葬されたと思われる猫の骨が発掘された。」


●猫の拡散には2通りのルート
 「DNA分析の結果、ガイグルらは猫の拡散には2通りのルートがあったと考えている。最初は中東から地中海東部にかけてのルートで、特定のミトコンドリアDNA系統の中東のヤマネコが、その一帯の初期の農村部に広まっていることが分かったという。


 おそらく、農村の穀物を荒らすネズミを狙ってヤマネコが集まり、そのネズミ退治効果に気づいた村人たちが、ヤマネコを飼いならそうとしたのではないかと研究者らは指摘する。」
ここまでhttp://karapaia.com/archives/52226944.html




●アメリカや欧州にもいるヤマネコ
ただし、野生のヤマネコはアメリカや欧州にだっていた。それが欧州へからアメリカへ運ばれてアメリカヤマネコと混血した。
ならばあちこちで改良されていたって不思議はない。何も二通りしかないことでもなかろう。


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人類が拡散すれば、それにともなって猫もついていってもおかしくもないが、あちこちで改良されていたなら、もうどこから来たかなんて決めることができなくなる。


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         人類だって二通りの拡散ルートがある
         イエネコはついてきた?


しかし日本の縄文時代に猫が来たとしたら、それは中国からだったとなるだろう。土偶は山梨県という、奇妙な場所から出ているわけだが、海のない地域で、どうして最古のネコ土偶が出るのか、頭が混乱してしまう。言える事は関東の縄文人が海を渡る人々だったならありえることになる。それしか考えられまい?つまり山梨の富士山の麓に住んだ縄文人たちは、駿河湾からか、あるいは長野の諏訪に出て(出られる。道があった。)千曲川から新潟湾へ出て、半島を経由して江南あたりまで行っていた?!となっちゃうじゃないの?


縄文時代は、東北の青森や秋田が先進地で、いろんな中華風な遺物も出ていたりする。あなどれない、縄文海人族。


そもそも縄文人といってもアイヌや蝦夷はどこから来たかも大問題だ。


アイヌなどは、北方系アジア民族(ツングースとかイヌイット)のような寒冷地対応したひらめ顔にならなかった人々で、それはあまり時間をかけずに寒いアムール川や北海道にたどりつけことの証拠でもある。ならば彼らは舟を使ったとしか考えられないわけである。ゲノム遺伝子の分析がまだないから、はっきりした来歴は言えないが、インドシナあたりからいち早く北上していた可能性もあるだろう。琉球人とアイヌがMT遺伝子で近いことは、そういう回答を導き出すとっかかりなる。


そして篠田謙一が最近言うような、弥生人が最初から大陸で縄文的遺伝子の人と混血して渡来したということになれば、やはりネコだって弥生人より早くに、別のコースで日本へネコを持ち込む可能性もあろう。しかしそれがなぜ山梨かとなると、まことに歴史は謎が多い。おもしろい。


なにしろネコが日本にやってきたのは縄文時代が最初で、次に壱岐の弥生渡来人ということは間違いなかろうが、なんと申しても壱岐ではネコは飼われずに蛋白源・・・食料だったのだから、それじゃあ九州本島にはこれたかどうか、極めて????である。


要するに食料ではなく、愛玩動物としてやってこれた時代はどうもやはり古墳時代=奈良時代というのがよさそうだ。しかし、ネコ食ってうまいのかねえ?三味線の材料にしかならないと思ってきたんだが。


なんせカラカミでは狸や狐や犬や猪や鹿と一緒に食われちまっていたのである。一緒に鮑やアサリや海老が食われていたのと一緒にでございますよ、あなた。アワビとネコがどう位置線上で食材として食卓に出てくるわけだ。弥生人すごい。どうも半島や中華の連中は大昔から肉食嗜好が強くていけねえ。人間の骨が出てこないだけましだけどねえ。ということは壱岐では恐慌が起こらなかったということかも知れない。人が人を食うなんていう事態にはならなかったということだ。魏志倭人伝は壱岐対馬は田畑だけじゃ食えずに、あちこちに行って物々交換してしのいでいたとあるのだが・・・。どっちにしても渡海してきた弥生人も九州在住縄文時代人と混血することにあまり違和感はなかったのだろう。ただし遠賀川周辺ではあまり混血しなかったという話で、そのまますぐに土器を持って日本海を北上したらしい。彼らはちょうど高倉健さんみちな「海人顔」「小倉人顔」した、けっこうワイルドな連中だったんじゃないか?豊前から小倉方面には、そういう精悍な顔つきの漁師が多いのが特徴である。面長、色黒、頬骨は高いが細面といった風貌の人が今でも多い。体つきは細いのに頑丈で、骨ばっており、なにより腕っ節が太いのは舟を日常的に漕ぐ人々の特徴で、どこに行くのも舟で、怖がらない。要するに無法松みたいなやんちゃなのが多いのだ。小倉の成人式見ればわかるでしょう?ヤンキーも多いのだ。だから博多の連中は小倉・豊前に行きたがらない。


縄文と混血した人々というのは、西九州にとどまって、南下してみたり、東へ行ってみたり、狭いが濃いつながりで九州人気質を形成したのだろう。熊襲や隼人や海士などともまじわり、おそらく九州の一時代を形成してから王となり、やがて東へ向かったんだろう。四国、広島、岡山を経由して播磨から近畿に入ったに違いない。だから近畿にはイエネコのはいりが遅くなったのではなかろうか?


どっちにしてもネコは犬より襲いといわれてきたが、そうでもさかった可能性が大いに出てきたわけである。するとペットとしての犬とネコは?問題も、弥生時代からすでに始まっていたとなるだろうか?


そしてそれらを食ってしまっていたという半島的嗜好性はいったいどこから消えたのかも不思議である。九州から犬・猫食ってました、飼ってましたという遺物は出たとはあまり聞いてない。愛玩する風習は貴族社会ならあるだろう。犬なら縄文人は食わないで狩猟の友としていた。ネコ食、犬食の風習はいったい本島からあまり出てこない。半島や中国ほどにはということだ。それが奈良時代の仏教の禁断由来とかよく言うが、ほかになにか本当の理由があったのではないか?縄文人も日本の倭人も、どうも犬はさておき、猫は食っていないようだが?



まあ、「人を食ったような話」ではあるかな?



ネコからも、日本人起源は見えてくるからおもしろい。