鞆の浦は広島県福山市にある小さな湾である。
ここには江戸時代の朝鮮通信使の定宿だった「対潮楼」があった。対朝鮮交易の上で、重要な港だった。
鞆鍛冶は「兵庫とともに船釘のおおきな産地であった」(宮本常吉)
今でも鞆は船釘、いかりの特産地である。
ここの釘こそが「大王のひつぎ実験航海」の際、熊本の実行委員が取り寄せたものだった。阿蘇ピンク石を1500年ぶりに運んだ古代そのままの準構造船を造営する釘となったのである。

古代、鞆はクワや鉄の地金を租庸調の調として献上していた。
その原料は中国産地の砂鉄である。

「鞆の浦から玉島(岡山県倉敷市)にかけては、古代の阿蘇石石棺にとって重要な地域だ。九州に派遣された吉備の王族・鴨分の本拠地だったところだからだ。(中略)鞆の浦から玉の浦(玉島)のあいだが、その鴨分の本拠地だった笠岡市や朝口市鴨方町だ。」(『大王の柩』)

かつては高梁川の河口だったところである。
玉島から高梁川をさかのぼったところにあるのが日本三番目に大きな造山古墳(つくりやまこふん)である。

ぬばたまの夜は明けぬらし玉浦に あさりする鶴鳴き渡るなり 万葉集・遣新羅使

海人小舟 帆かも張れると見るまでに 鞆の浦廻に波立てり見ゆ

次回は牛窓。