マレーシアでは稲作儀礼として動物供犠が非常に特徴的で、それは1941年に宇野円空の『マライシアに於ける稲米儀礼』で記述されている。
これに対し、日本では『播磨国風土記』讃容郡の条に、

「妹玉津日女命、生ける鹿を捕り臥せて、その腹を割きて、その血に稲種き(まきき)」
とあって、動物の血をイナモミに混ぜて豊作祈願する事例がかなりある。

農耕神事としてのこうした動物犠牲に関しては世界的に普遍的な儀礼であると言える。
たとえば諏訪大社で年四度行われる「御狩神事(みかりしんじ)」や、あるいは阿蘇氏大祝がとりおこなう御頭祭(おんとうさい)もまたそうした農耕儀礼と云われて久しい。
こうした弥生から続く動物犠牲が中世以降消滅してゆく大きな要因は狩猟民・稲作民の違いとしてかつてはほぼ常識化していた。しかしながら現在の民俗学的考察では、そうではなく、仏教・儒教を浸透させようとした平安の朝廷からの民衆操作が大きく影響したと考えられている。

その証拠とも云えるのが上記のマレーシア農耕民の行う動物供犠なのである。