み;南九州

九州島を大きく南北に分けるのは、地質学上にいう臼杵~八代構造線である。大分県臼杵から熊本県八代を結ぶラインの南には、北東から南西にかけて発達した山岳地帯があり、大きな障壁として人々の動きを逡巡させた。それと同時に、祖母・傾山系の山岳地帯、そして宇土半島の基部地帯には、南北の歴史の大きな節目を形作る地域文化も生まれた。その南側を南九州、北側を(中略)南九州に対応させ単に北九州と呼ぶことにする。

さらに、この大枠としての南九州は、南北方向に走る九州山地によって東西に分けられる。(中略)

また、この東西の区画は国見山地と霧島山系にはさまれ、山間に連なる盆地をつなぐ線で南北に分けられる。これは境界線であると同時に、東西を結ぶ大きな道である。この道を通じて、東西の交流や駆け引きが行われた。境界線としてみれば、その南に大隅半島と薩摩半島が、霧島・桜島という有数な火山地帯の障壁をはさんで対面して位置することになる。

地勢の上からは、南九州は大崩山・むかばき山に代表される花崗岩体からなる荒々しい山肌を見せる山や、四万十層の露頭が特徴づけるリアス式海岸に代表されるように、硬質の地形のイメージがある。

それに対して南部では、平野から見ればちょっとした小山のようであるが、その上に立つと広大な平原が広がるいわゆる火山灰台地が優勢である。その台地を「原(はる)」と呼ぶ。

出典;北郷泰道『熊襲・隼人の原像』P13