国内に牛を祭る神社は多い。
大概は農耕の役牛を神格化し、馬と合わせて「牛馬の神」とされる。岡山県田倉牛神社や全国に広がる朝鮮系大将軍(だいじょうごん)神社などは牛を祭る。
中に太宰府天満宮のように、天神さん(菅原道真)が丑年生まれだったので鎮魂する社もある。

農耕牛の渡来は朝鮮からの輸入に始まっている。それまで牛は日本にはいなかったことになっている。
となると本土における牛信仰そのものはそれほど古くないことになるだろう。
日本の牛は本来、役牛として運ばれた。その血統はすべて欧州ホルスタイン種の血脈である。
ところが沖縄や玄界灘のある島などに(正確には東シナ海海上の五島列島近く)ホルスタイン種ではなく水牛の血脈の牛がいる。
これらの牛はいつ、どうやって来たのだろうか?

一般的に台湾からの島嶼経由だとされている。しかし氷河期に島々がつながり、日本列島が大陸とつながっていた時代でも、沖縄諸島と鹿児島県の間だけはつながっていなかった。しまい海流がはげしく、そこを泳いで来たとは考えられない。どうしても人為的にやってきたとしか思えなくなる。

牛はよくスサノオだとされることが多い。
スサノオの本地垂迹での神名が「牛頭天皇」だったからである。
牛頭は「ごづ」と読むが、一緒にインドから来た神に馬頭神があって、こちらは「めづ」と読まれる。
「ごづ・めづ」である。
一般に馬頭は「ばとう」観音とされる。

岡山県の牛窓という地名には、「牛が惑う」という意味がある。
海中を巨大な牛が現れて、船舶を襲うといわれていた。つまり瀬戸内の海賊のメッカだったわけだろう。
瀬戸内に海賊が盤踞する理由はもちろんそこが海上交易の主通路だったからであるが、もともと牛窓には塩田があったことが大きい。
塩は奈良時代から平安時代まで唯一の調味料であり、備前の鉄とともに吉備王の最も重要な産業であった。当然、塩は瀬戸内から大阪湾へと運ばれる。そこでこの船を襲う海賊の登場となるわけだ。
天皇家がここに屯倉を置く理由の最大の要因は塩の確保と海賊への牽制であっただろう。
さらに吉備には赤いコメ(赤磐小町米の大元)がとれた。献上品となるハレのイネも貴重品である。

牛は本来、温厚な性格であるが、ひとたび暴れ出すと手がつけられなくなる。その秘められた荒ぶる気性は鬼であり、スサノオであり、海賊にたとえられた。

丑寅と言うと鬼門である。方向は北東、北北東。
中国では節季の始まりは寅、終焉が丑である。
つまり来年は一節季の終了のミレニアムとなる。

稲作社会の「虫送り」「追儺」にはかならずと言っていいほどスサノオ=牛頭の祇園信仰が付随していた。荒ぶる生命力は追儺祭祀には非常にはれがましい扱いとなる。強さが再生と豊穣を、このときばかりは象徴する。そしてその荒御霊は疫病や風水害、虫の害などよりも強い祟り神だったゆえに特別な贄と認識されることとなる。
水田の水を引く水口に、牛の肉を置いて。害虫や疫病をそこにひきよせて田に移らぬよう祈った。
これはもともとは牛一頭を殺して置いたと思え、今考えればかえって腐ってウジや菌がわいて疫病のもととなっただろう。古代人の迷信は実に反対のことばかりやっている。水銀やヒ素を神丹と言って飲んだり、まったく非科学的であほらしいのであるが、絶望の極地の時代にはそれでもよかったのだろう。
むしろ「死」を望んでいた節がある。

ここ数年、古代史を民俗学、人類学、考古学、世界史、船舶史、鉱物史、文献史学、地理学、遺伝子学などなどの面から「蝶のように舞い蜂のように刺」して来たつもりである。
ひとつひとつは思いつきで蒐集したバラバラの概念であるが、通読し、コラボしてゆくと、いろいろな不明の事柄に薄明がさしているように思う。読者諸氏はこれらの数珠、ビーズを一本の紐に通すがごとく読まれて来られたことと想像する。けっして、一個の記事に固執せず、牛歩のごとく、執拗にクロスオーバーする創造力、想像力を十分にお持ちの方々だけが長く愛読されてきたことだと願っている。

時代は悪くなる一方で、きのうあたりも中東がきな臭くなってきたようだ。まったく懲りない人々だとあきれかえる。この燃料不足とCo2規制の世の中に、どかどかと大砲を撃ちかまして、大気を汚し、燃料を無駄遣いする戦争を始める・・・その国家たちの、やるせない歴史を考えてやろうではないか。なにゆえにそのように荒ぶるのか。あたかもスサノオたち出雲の神のごとく、やられてもやられても祟る神となることがなぜ彼等にはできないのか?神の生まれたはずの場所で、なぜ彼等自身は神になれないのか?そういう、気の遠くなるほどの、世界共通の、ある人種の歴史こそが、失われた人類の過去を知るべきよすがなのではないか?

祟りの本質・・・それが歴史を根底から理解するためのキーワードではないだろうか?
人類の本質は荒ぶる御霊なのだ。

悠久の昔、今争いが起きているその場所・中近東で、人類は二つの方向へ分かれていった。欧州とアジア。左に向かった人々は左に回る脳髄で文明を築き、体躯を巨大化させて、肉食という非効率的な食生活を選んだ。右へ向かった人々は右に回る脳髄で、体躯を縮小させ、イネの栄養価をよしとし、おかずを貧弱にして効率的な繁栄を見せた。
倭であることは、アジアの最先端の進化
だったのかも知れない。
シンク・スモール。




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